●歌は、「あしひきの山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ」である。
●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(33)にある。
●歌をみていこう。
◆足日木之 夜麻之多日影 可豆良家流 宇倍尓左良尓 梅乎之努波
(大伴家持 巻十九 四二七八)
≪書き下し≫あしひきの山下(やました)ひかげかづらける上(うへ)にやさらに梅をしのはむ
(訳)山の下蔭の日蔭の縵、その日陰の縵を髪に飾って賀をつくした上に、さらに、梅を賞でようというのですか。その必要もないと思われるほどめでたいことですが、しかしそれもまた結構ですね。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ひかげ【日陰・日蔭】名詞:①日光の当たらない場所。世間から顧みられない境遇にたとえることもある。②「日陰の蔓(かづら)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意
(注の注)ひかげは蔓性の常緑草木。これを縵にするのは新嘗会の礼装。
題詞は、「廿五日新甞會肆宴應詔歌六首」<二五日に、新嘗会(にひなへのまつり)の肆宴(とよのあかり)にして詔(みことのり)に応(こた)ふる歌六首>である。
(注)新嘗会>新嘗祭りに同じ。
(注の注)にひなめまつり【新嘗祭り】名詞:宮中の年中行事の一つ。陰暦十一月の中の卯(う)の日、天皇が新穀を皇祖はじめ諸神に供え、自らもそれを食べる儀式。即位後初めてのものは、大嘗祭(だいじようさい)または大嘗会(だいじようえ)と呼ぶ。新嘗祭(しんじようさい)。(学研)
國學院大學デジタルミュージアムHPの「にいなめ」には、次のように書かれている。(万葉集に関連したところを中心に抜粋させていただきました。)
「・・・その年の新穀を捧げて神を祭る祭り。・・・奈良時代は下の卯の日に行われた場合もある。・・・万葉集には『廿五日新嘗会肆宴応詔歌六首』(19-4273~4278)がある。752(天平勝宝4)年11月25日に開かれた宴で、この日は11月の下の卯の日に当たる。・・・廣岡論文によれば、前半3首すべてに『天地』『天』が詠み込まれ、『天地と相ひ栄えむ』(19-4273)、『天地と久しきまでに』(19-4275)とは『新穀が天地からの最上の賜物であると共に天地悠久の未来を寿ぐといふ新嘗の根幹に関わる観念』を表現したものである。また第3首に歌われた『黒酒白酒(くろきしろき)』は『新嘗会白黒二酒料』(『延喜式』巻40「造酒司」)とあり、新嘗祭に必要不可欠のものであった。また万葉集には『天平宝字元年十一月十八日於内裏肆宴歌二首』(20-4486、4487)がある。757(天平宝字元)年11月18日の干支は『壬辰』であるので、前日の『辛卯』日(中の卯の日)に行われた新嘗祭を引き継いだ『肆宴』(豊明節会(とよのあかりのせちえ))で詠まれた歌である。また万葉集巻14の『東歌』にも、新嘗(にふなみ)が詠まれている。新嘗の祭りに夫を送り出して、自分はひとり残って精進潔斎している女の許に、別の男が言い寄ってきたという歌である(14-3460)。新嘗祭は宮中のみならず、村落共同体でも広く行われていたのである。『東歌』にはもう1首(14-3386)新嘗の歌がある。(後略)」
上述の國學院大學デジタルミュージアムHPの理解のために六首の書き下しを記載いたします。
◆≪書き下し≫天地(あめつち)と相栄(あひさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき
(大納言巨勢朝臣 巻十九 四二七三)
◆天(あめ)にはも五百(いほ)つ綱延(つなは)ふ万代(よろづよ)に国知らさむと五百(いほつ)つ綱(つな)延ふ
◆天地と久しきまでに万代(よろづよ)に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)を
(文室智努真人 巻十九 四二七五)
◆島山に照れる橘(たちばな)うずに挿(さ)し仕へまつるは卿大夫(まへつきみ)たち
(藤原八束朝臣 巻十九 四二七六)
◆袖(そで)垂(た)れていざ我が園(その)にうぐひすの木伝(こづた)ひ散らす梅の花見に
◆あしひきの山下(やました)ひかげかづらける上(うへ)にやさらに梅をしのはむ
(大伴家持 巻十九 四二七八)
『廿五日新嘗会肆宴応詔歌六首』についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1055)」で紹介している。
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東歌の二首をみてみよう。
◆多礼曽許能 屋能戸於曽夫流 尓布奈未尓 和我世乎夜里弖 伊波布許能戸乎
(作者未詳 巻十四 三四六〇)
≪書き下し≫誰(た)れぞこの屋(や)の戸(と)押(お)そぶる新嘗(にふなみ)に我(わ)が背(せ)を遣(や)りて斎(いは)ふこの戸を
(訳)誰ですか、この部屋の戸を揺(ゆ)するのは。新嘗(にいなめ)の祭りに私のあの人を送り出して、忌み慎んでいるこの部屋の戸を。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)新嘗:新穀を供えて、来る年の豊穣を祈る祭り。
◆尓保杼里能 可豆思加和世乎 尓倍須登毛 曽能可奈之伎乎 刀尓多弖米也母
(作者未詳 巻十四 三三八六)
≪書き下し≫にほ鳥(どり)の葛飾(かづしか)早稲(はせ)をにへすともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも
(訳)にほ鳥が水に潜(かず)くというではないが、葛飾の早稲(わせ)の新穂(にいほ)を、神に捧げて斎(い)み籠(こも)っている夜でも、あのいとしい人、その方を外に立たせておくことなどできるものか。(同上)
(注)にほどりの【鳰鳥の】分類枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)
(注)にへす【贄す】他動詞:その年の新しい穀物を神に供える。(学研)
(注)にへすとも:神に新物をささげて新嘗の祭りを行う時でも。 ⇒この時には家族でも内に入れるのを禁じた。
東歌のおおらかさが存分に詠われている。神をも畏れぬ歌ではあるが、開けっ広げで、微笑ましさも感じてしまう歌である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」