―その1238-
●歌は、「安波峰ろの峰ろ田に生はるたはみづら引かばぬるぬる我を言な絶え」である。
●万葉陶板歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(36)にある。
●歌をみていこう。
◆安波乎呂能 乎呂田尓於波流 多波美豆良 比可婆奴流奴留 安乎許等奈多延
(作者未詳 巻十四 三五〇一)
≪書き下し≫安波峰(あはを)ろの峰(を)ろ田(た)に生(お)はるたはみづら引かばぬるぬる我(あ)を言(こと)な絶え
(訳)安波の峰の岡田に生えているたわみずら、その蔓草(つるくさ)のように、引き寄せたらすなおに靡き寄って寝て、この私との仲を絶やさないようにしておくれ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「引かばぬるぬる」を起こす。
(注)-ろ 接尾語〔名詞に付いて〕:①強調したり、語調を整えたりする。②親愛の気持ちを添える。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)引かばぬるぬる:誘ったらすなおに寄り添って寝て。「寝る」を懸ける。
(注の注)ぬるぬる 〔副〕:ずるずるとほどけるさまを表わす語。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典)
この歌については、類歌「いはゐつら」を詠った三三七八歌とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1121)」で紹介している。
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「たはみづら」が詠まれているのは、この一首だけである。現在の植物の何に相当するかは、ヒルムシロ、ミクリ、ジュンサイといった諸説がある。
「づら」は蔓(つる)のことであり、「引かばぬるぬる」とあるから茎に粘性があると考えられる。こういった点から「ヒルムシロ説」が有力である。
(注)ヒルムシロ:ヒルムシロ科(APG分類:ヒルムシロ科)の浮葉性多年草。池沼や小川および水田など、水深1メートル以内の浅水中に群生する。種子および根茎の先端に生じる殖芽で越冬する。根茎は泥中を横走し、節から白色で糸状の根と水中茎を出す。水深により水中茎の長さが異なり、普通10~60センチメートル、ときに3.5メートルに及ぶ。(中略)水田の雑草として知られ、日本およびアジア東部に分布する。名は、浮葉の形をヒルの休む蓆(むしろ)に例えたもの。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))
―その1239―
●歌は、「我がやどは甍しだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」である。
●万葉陶板歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(37)にある。
●歌をみていこう。
◆我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生
(作者未詳 巻十一 二四七五)
≪書き下し≫我がやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見れどいまだ生(お)ひず
(訳)我が家の庭はというと、軒のしだ草はいっぱい生えているけれど、肝心の恋忘れ草はいくら見てもまだ生えていない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1082)」で紹介している。
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「しだ草」が詠まれているのは万葉集ではこの一首だけである。これについても諸説があるが、「甍(イラカ)しだ草」とあるので、軒の下に生えることが名の由来になって「ノキシノブ」が定説になっている。
四句目に「恋忘れ草」とあるが、「忘れ草」は、五首が収録されている。
「忘れ草」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。
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忘れたいが故にすがりたい思いに駆られるアイテムとして「忘れ貝」や「恋忘れ貝」がある。これを詠った歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。
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「たはみづら」や「しだくさ」のように万葉集に一首しか詠まれていない植物の特定は確かに困難を伴うものである。
一首しか詠われていない万葉植物を少し挙げて見るとみると次のようになる。
■つまま(巻十九 四一五九)
マツ、イヌツゲ、タブノキなどの諸説がある。「タブノキ」が有力な説。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。
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■はなかつみ(巻四 六七五)
マコモ、ハナショウブ、ヒメシャガ、アヤメなどの諸説がある。「ヒメシャガ」が有力。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その30改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)
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■ももよぐさ(巻二十 四三二六)
キク、ツユクサ、ムカシヨモギなどの諸説がある。「キク」が有力。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1174)」で紹介している。
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その他では、「かづのき(ヌルデ)」、「あざさ(アサザ)」「くそかづら(ヘクソカズラ)」などがある。
今の名前と同じであるのでポピュラーかと思われるが、意外と一首しか詠われていないものには、「さかき」、「はまゆう」、「ひめゆり」、「ふじばかま」などがある。
■いちし(巻十一 二四八〇)
古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナの諸説が入り乱れ、万葉植物群の中で最も難解な植物とされていたが、牧野富太郎氏によってヒガンバナ説が出され、山口県では「イチシバナ」、福岡県では、「イチジバナ」という方言があることが確認され、ヒガンバナ説が定着したといった事例もある。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その319)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「植物データベース」 熊本大学薬学部 薬草園HP
★「町田市立野津田公園HP」