万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1258)―島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(2)―万葉集 巻二 一三五

●歌は、「つのさはふ石見の海の言さへく唐の崎なる海石にぞ深海松生える荒磯にぞ・・・」である。

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島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(2)万葉歌碑(柿本人麻呂



●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の二首目である。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

      (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 一三一から一三九歌の歌群は「石見相聞歌」と言われている。一三一から一三四歌の歌群と一三五から一三七歌が、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の歌群であり、題詞、「或本歌一首 幷短歌」<或本の歌一首 幷(あは)せて短歌>の一三八、一三九歌の歌群からなっている。

 

 中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、結末の段落「天伝ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我れも 敷栲の 衣の袖は 通りて濡れぬ」について「この結末の段落は、一種壮絶である。おりしも天空を西にうつろっていった太陽は、今落暉(らっき)となって人麻呂の周辺に輝いている。その落日の輝きの中に、その華麗さのゆえに、人麻呂の袖は濡れるのである。それではこの壮絶さは何のゆえに生ずるのか。・・・これはたったひとつ、人麻呂の詩精神のあり方だったと思われる。離別とは、愛への告別である。だから死が愛をもって語られるように、愛もまた死をもって語られなければならなかったのである。死によって透かし見た愛が壮絶な結びを呼んだのではなかったか。」と書いておられる。

 重い言葉である。人麻呂のすべての歌を踏まえての見方であり、当該歌に捉われその少しの背景だけを理解しただけでは思いもつかない考え方である。

 今回島根県の石見の地を巡って人麻呂の妻の「依羅娘子(よさみのをとめ)」のことをこれまで以上に理解が進んだので、これらの歌についても歌の深堀が少しできるようになった。

 歴史の中に、風土の中に身をおいて歌を見て行くことが歌を理解する近道であると実感した。これからも挑戦し続けるつもりである。

 

 一三一歌(長歌)と一三二~一三四歌(短歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その307)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 パンフレット「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」には、「益田の人々は歌聖柿本朝臣人麻呂のことを『人丸さん』と呼んでいます。人麻呂が益田(戸田の里)で生まれ育ち、宮廷歌人として和歌の道を極め、晩年益田川の河口に沈む鴨島で亡くなったと伝えられていることから、敬愛をこめて『人丸さん』と呼ばれるようになったと推察されます。生誕地(戸田)と終焉地(高津)には神社が建立されています。(後略)」と書かれている。

 小冊子「ぐるっと人麻呂!江津物語 萬葉の歌碑めぐり 人麻呂と依羅娘子」には、「(江津市二宮町神主は古くから石見国府があった所ともいわれています。この二宮町神主に恵良という地区がありますが、この恵良の地こそ依羅娘子(よさみのおとめ)の生誕の地といわれています。(後略)」

 また、都野津町柿本神社は、「ここは『姫御所』と呼ばれていた所で、人麻呂が妻『依羅娘子』と暮らしていたと伝えられています。(後略)」(同小冊子)と書かれている。

 人麻呂も依羅娘子についていろいろと諸説があるが、それだけにロマンもかきたてられる。今回は、島根県の人麻呂と依羅娘子とともに歌碑巡りをしよう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著(角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「江津の萬葉ゆかりの地MAP」(パンフレット)

★「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」(パンフレット)

★「ぐるっと人麻呂!江津物語 萬葉の歌碑めぐり 人麻呂と依羅娘子」(小冊子