万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1262)―島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(6)―万葉集 巻三 三五五

●歌は、「大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経ぬらむ」である。

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島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(6)万葉歌碑(生石村主真人



●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(6)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「生石村主真人歌一首」<生石村主真人(おひしのすぐりまひと)が歌一首>である。

 

◆大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經

      (生石村主真人 巻三 三五五)

 

≪書き下し≫大汝(おおなむち)少彦名(すくなびこな)のいましけむ志都(しつ)の石室(いはや)は幾代(いくよ)経(へ)ぬらむ

 

(訳)大国主命(おおくにぬしのみこと)や少彦名命が住んでおいでになったという志都の岩屋は、いったいどのくらいの年代を経ているのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おおあなむちのみこと【大己貴命】:「日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)。「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる。「出雲風土記」には国土創造神として見え、また「播磨風土記」、伊予・尾張・伊豆・土佐各国風土記逸文、また「万葉集」などに散見する。後世、「大国」が「大黒」に通じるところから、俗に、大黒天(だいこくてん)の異称ともされた。大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)。大汝神(おほなむぢのかみ)。大穴持命(おほあなもちのみこと)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)少彦名命 すくなひこなのみこと:記・紀にみえる神。「日本書紀」では高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子、「古事記」では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子。常世(とこよ)の国からおとずれるちいさな神。大国主神(おおくにぬしのかみ)と協力して国作りをしたという。「風土記」や「万葉集」にもみえる。穀霊,酒造りの神,医薬の神,温泉の神として信仰された。「古事記」では少名毘古那神(すくなびこなのかみ)。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

(注)志都の石室:島根県大田市静間町の海岸の岩窟かという。

(注の注)静之窟(しずのいわや):「静間川河口の西、静間町魚津海岸にある洞窟です。波浪の浸食作用によってできた大きな海食洞で、奥行45m、高さ13m、海岸に面した二つの入口をもっています。『万葉集』の巻二に『大なむち、少彦名のいましけむ、志都(しず)の岩室(いわや)は幾代経ぬらむ』(生石村主真人:おおしのすぐりまひと)と歌われ、大巳貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)2神が、国土経営の際に仮宮とされた志都の石室はこの洞窟といわれています。洞窟の奥には、大正4年(1915)に建てられた万葉歌碑があります。現在崩落により、立入禁止となっています。」(しまね観光ナビHP)

 

 「大汝少彦名」と詠い出す歌は万葉集では三首、「大汝少御神」が一首収録されている。

 

大伴坂上郎女の歌からみてみよう。

 

大汝 小彦名能 神社者 名著始鷄目 名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 干重之一重裳 奈具佐米七國

     (大伴坂上郎女 巻六 九六三)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなびこな)の 神こそば 名付(なづ)けそめけめ 名のみを 名児山と負(お)ひて 我(あ)が恋の 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)めなくに

 

(訳)この名児山の名は、神代の昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命がはじめて名付けられた由緒深い名だということであるけれども、心がなごむという、名児山という名を背負ってうるばかりで、私の苦しい恋心の、千のうちの一つさえも慰めてはくれないのではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)名児山:福岡県福津市宗像市の間の山

(注)なづけそむ【名付け初む】他動詞:初めて名前を付ける。言いはじめる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)千重の一重(読み)ちえのひとえ:数多くあるうちのほんの一部分。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その929)」で紹介している。

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 次は、家持の「史生(ししやう)尾張少咋(をはりのをくひ)を教へ喩す歌」である。

 

於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良之 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良無 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐  <言佐夫流者遊行女婦之字也>

      (大伴家持 巻十八 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言ひ継(つ)ぎけらく 父母を 見れば貴(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻(つま)の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離(はな)れ居(ゐ)て 嘆かす妹が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 射水川(いづみ かは) 流る水沫(みなは)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その子(こ)に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ  <佐夫流と言ふは遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり>

 

(訳)大汝(おほなむち)命(みこと)と少彦名命が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見る尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、その言葉通りに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時には微笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の盛りの花のように栄える時もあろう」と言う言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。

離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞ寂しいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつき合って、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底の深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何ともまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちさ【萵苣】名詞:木の名。えごのき。初夏に白色の花をつける。一説に「ちしゃのき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。※上代語。(学研) ⇒参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」

(注)ゑむ 【笑む】①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)ことよす【言寄す・事寄す】①言葉や行為によって働きかける。言葉を添えて助力する。②あるものに託す。かこつける。③うわさをたてる。➡ここでは①の意(学研)

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研)

(注)ひものおの【紐の緒の】 枕詞 :① 紐を結ぶのに、一方を輪にして他方をその中にいれるところから、「心に入る」にかかる。 ② 紐の緒をつなぐことから、比喩的に「いつがる」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林

(注)いつがる【い繫る】つながる。自然につながり合う。「い」は接頭語。(学研)

(注)にほどりの【鳰鳥の】枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その473)で紹介している。

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 「大汝少御神」の一首もみてみよう。

 

◆大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉

      (柿本人麻呂歌集 巻七 一二四七)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背(いもせ)の山を見らくしよしも

 

(訳)その大昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこのみこと)の二柱の神がお作りになった、妹(いも)と背(せ)の山、ああ、この山を見るのは、何ともいえずすばらしい。(同上)

(注)妹背の山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の和歌山県伊都(いと)郡かつらぎ町の、紀ノ川の北岸の背山と、南岸の妹山をいう。『万葉集』以後に、妻恋いの歌が多く詠まれた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 

 人麻呂展望広場は、「石見の広場」と「大和・旅の広場」で構成されている。広場のメインストリートの「大和・旅の広場」に沿って、広場内の歌を紹介した三つの説明碑が設けられている。

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テーマ別広場の歌の紹介案内碑(1)

 一つ目は「柿本人麻呂が大和で詠った歌十三首」が紹介されている。

◆東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ(人麻呂・巻一 四八)

◆ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し(人麻呂・巻一 四七)

◆飛ぶ鳥の明日香の河の上つ瀬に生ふる玉藻は下つ瀬に・・・(人麻呂・巻二 一九四)

◆敷栲の袖かへし君玉垂の越智野過ぎゆくまたも逢はめやも(人麻呂・巻二 一九五)

◆黄葉の散り行くなへに玉梓の使ひを見れば逢ひし日思ほゆ(人麻呂・巻二 二〇九)

◆去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る(人麻呂・巻二 二一一)

もののふの八十宇治川網代木にいさよふ波の行くへ知らずも(人麻呂・巻三 二六四)

◆近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ(人麻呂・巻三 二六六)

◆あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が岳に雲立ち渡る(人麻呂・巻七 一〇八八)

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テーマ別広場の歌の紹介案内碑(2)

 二つ目は「柿本人麻呂が旅先で詠った歌四首」と「石見を中心にしまねを詠った歌六首」が紹介されている。

◆妻もあらば採みてたげまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや(人麻呂・巻二 二二一)

◆沖つ波来よる荒磯を敷栲の枕とまきて寝せる君かも(人麻呂・巻二 二二二)

◆燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(人麻呂・巻三 二五四)

◆天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(人麻呂・巻三 二五五)

◆つのさはふ石見の海の言さへく唐の崎なる海石にぞ深海松生ふる・・・(人麻呂・巻二 一三五)

◆青駒の足掻を速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける(人麻呂・巻二 一三六)

◆秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む(人麻呂・巻二 一三七)

◆石見のや高角山の木の際より我が振る袖を妹見つらむか(人麻呂・巻二 一三二)

◆石見の海打歌の山の木の際より我が振る袖を妹見つらむか(人麻呂・巻二 一三九)

◆な思ひぞ君に言へども逢はむ時いつと知りてか我が恋ひざらむ(依羅娘子・巻二 一四〇)

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テーマ別広場の歌の紹介案内碑(3)

 三つめは「鴨山五首(人麻呂の死の事情について述べた歌)」、「島根県東部を詠った歌」、「小倉百人一首に選ばれた歌」そして「稲岡耕二氏自筆の石碑」が紹介されている。

◆鴨山の磐根しまける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ(人麻呂・巻二 二二三)

◆今日今日と我が待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも(依羅娘子・巻二 二二四)

◆直の逢ひは逢ひつかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(依羅娘子・巻二 二二五)

◆荒波に寄りくる玉を枕に置き我ここにありと誰か告げなむ(丹比真人・巻二 二二六)

◆天離る夷の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし(作者未詳・巻二 二二七)

◆意宇の海の川原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに(門部王・巻三 三七一)

◆大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経ぬらむ(生石村主真人・巻三 三五五)

◆君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも(人麻呂・巻七 一二四九)

◆妹がため菅の実摘みに行きし我山路に迷ひこの日暮らしつ(人麻呂・巻七 一二五〇)

◆古にありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寝ねかてずけむ(人麻呂・巻四 四九七)

◆あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を独りかも寝む(人麻呂・巻十一 二八〇二)

◆小竹の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹思ふ別れ来ぬれば(人麻呂・巻二 一三三)

 

 この広場にテーマごとに歌碑を配置してあるのはなかなかの試みである。午前3時に出発して8時間かけてのドライブの価値は十二分にあった。 

時折小雨がパラつく平日であるので、人麻呂広場はほぼ貸切状態でゆっくり堪能することができたのであった。

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広場メインストリート

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「しまね観光ナビHP」

★「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」