―その1263―
●歌は、「君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも」である。
●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(7)にある。
●歌をみてみよう。
◆君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉
(柿本人麻呂歌集 巻七 一二四九)
≪書き下し≫君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘むと我(わ)が染(そ)めし袖濡れにけるか
(訳)あの方に差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘もうとして、私が染めて作った着物の袖がすっかり濡れてしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)浮沼(うきぬ)の池;所在未詳
うきぬ【浮沼】について、「コトバンク 精選版 日本国語大辞典」に次のように書かれている。
「〘名〙 泥深い沼。蓴(ぬなわ)や菱などの水草が繁茂するような泥沼。多く『うきぬのいけ』として和歌に用いる。うきぬま。
[補注]:『浮沼の池』を島根県大田市三瓶山付近の地名として歌枕とする説がある(大日本地名辞書)。」
この歌については、直近ではブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1125)」で紹介している。
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パンフレット「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」では、この歌は、人麻呂の歌とされている。
万葉集では、柿本人麻呂歌集の歌として収録されている。「君」は、女性が男性に対して使う敬称であることから、この歌の作者は女性であると考えられる。例外としては、笠金村の歌(巻四 五四三)のように代作の場合や家持が紀皇女を「君」と戯れて詠んだ歌(巻八 一四六二)などがあげられる。
一二四九歌の場合は、単に女性の作者未詳歌と考えられるのである。
人麻呂歌集には、「君」や「吾が背子」という呼称の上から女性の歌と見られるのは四〇首以上にのぼるという。もちろん問答歌などにあっては、女性の歌が収録されていて当然である。女性ならばこう詠えるのではといった歌を男性が作ることも考えられるが、男性が人麻呂かどうかといった問題は残るのである。
―その1264―
●歌は、「妹がため菅の実摘みに行きし我れ山道に惑ひこの日暮らしつ」である。
●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園人麻呂広場(8)にある。
●歌をみていこう。
◆妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮
(柿本人麻呂歌集 巻七 一二五〇)
≪書き下し≫妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まど)ひこの日暮しつ
(訳)故郷で待ついとしい人のために山菅の実を摘みに出かけた私は、山道に迷いこんで、とうとうこの一日を山で過ごしてしまった。(同上)
(注)くらす【暮らす】他動詞:①日が暮れるまで時を過ごす。昼間を過ごす。②(年月・季節などを)過ごす。月日をおくる。生活する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
巻七の一二四七から一二五〇歌の四首の歌群の左注は、「右の四首は、柿本人麻呂が歌集に出づ」である。
この四首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その711)」で紹介している。
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「柿本朝臣人麻呂歌集」という歌群の歌は三七五首あり、万葉集の約八パーセントにのぼる。巻二、巻三にそれぞれ一首、巻七に五十六首、巻九に四十九首、巻十に六十八首、巻十一に百六十三首、巻十二に二十九首、巻十三に三首、巻十四に五首と九つの巻で収録されている。
中西 進氏はその著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「すべてが人麻呂自身の歌ではないのである。そうなるとどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかという問題がおこり、おそらくは永久に解決しないだろう紛糾が生じて来る。」と書かれ、人麻呂歌集の歌について、人麻呂は存命中に歌のノートを持っており、自作や多作のメモを作っていた。当時は口頭による伝承も多く、異伝が本歌を離れ変化していった。さらに当時は、集団的な心情や立場で詠うものであったので、元来メモに過ぎない人麻呂歌集に、伝承性と集団性が加わることによって、厳密な個人性が失われていったのではないかといったことを指摘しておられる。
さらに時間軸上では、人麻呂の没後、人麻呂の偉大性が人麻呂の伝説化を呼び、「あらたなる人麻呂歌集」が編まれたのではないかとも指摘されている。虫麻呂歌集や福麻呂歌集がほぼ自作のみと考えられる相違点として挙げておられる。
「人麻呂歌集の存在は人麻呂の象徴だといってよい。」とも述べられている。
万葉集という枠組みの中に組み込まれたというか、人麻呂歌集を核として拡大的に組まれた万葉集といっても差し支えない。
人麻呂歌集の歌であるというのが、真実の姿であり、人麻呂の歌か否かといった相対的真実性を追い求めることなく向き合うべきということになるのだろう。
万葉集は、歌物語的要素が強い側面があるが、万葉集は万葉集である。浅学の書生がこの万葉集に挑むのは無謀と思い知らされてはいるが、そこに面白さが感じられるのである。
挑み続けることが万葉集の理解への近道となるかもしれない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」