万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1277)―島根県益田市 県立万葉公園(21)―万葉集 巻二 二〇九

●歌は、「黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(21)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(21)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念

       (柿本人麻呂 巻二 二〇九)

 

≪書き下し≫黄葉(もみぢば)の散りゆくなへに玉梓(たまづさ)の使(つかひ)を見れば逢ひし日思ほゆ

 

(訳)黄葉(もみじば)がはかなく散ってゆく折しも、文使(ふみづか)いの者が通うのを見ると、いとしいあの子に逢った日のことが思い出されてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は儚く散って逝った妻への悲しみをこめる。(伊藤脚注)

(注)なへに 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たまづさの【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)逢ひし日思ほゆ:回想の表現。ここで初めて妻の死を認めている。(伊藤脚注)

 

二〇七から二一六歌の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌>とあり、「二〇七(長歌)、二〇八、二〇九(短歌)」と「二一〇(長歌)、二一一、二一二(短歌)」の二群に、さらに「或本の歌に日はく」とあり、長歌一首と短歌三首「二一三(長歌)、二一四~二一六(短歌)」が収録されている。「泣血哀慟歌」と言われている。

 

ここでは、題詞に注目してみよう。

「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌」と、「哀慟」という表現がなされている。

この歌群の前後の題詞を見てみると、二〇四から二〇六歌の歌群の題詞は、「弓削皇子の薨ぜし時に、置始東人(おきそめのあづまびと)が作る歌一首 幷(あは)せて短歌」であり、二一七から二一九歌の歌群の題詞は、「吉備津采女(きびつのうねめ)が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌」である。

前後の題詞は、事柄をある意味、淡々と述べている題詞である。

 

 二〇七から二一六歌の歌群の題詞は、「泣血哀慟(きふけつあいどう)して」と直接的に感情を示している。

 このような例は、巻一、二のなかに十例があり、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」のなかで挙げておられる。<題詞の書き下しは「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)による>

  • 麻続王(をみのおおきみ)、伊勢の国の伊良虞(いらご)の島に流さゆる時に、人の哀傷(かな)しびて作る歌(巻一 二三)
  • 麻続王、これを聞きて感傷(かな)しびて和(こた)ふる歌(巻一 二四)
  • 高市古人、近江の旧(ふる)き都(みやこ)を感傷(かな)しびて作る歌(巻一 三二、三三)
  • 有間皇子、自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首(巻二 一四一、一四二)
  • 長忌寸意吉麻呂、結び松を見て哀咽(かな)しぶる歌二首(巻二 一四三、一四四)
  • 大津皇子の屍(しかばね)を葛城(かづらき)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はぶ)る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首(巻二 一六五、一六六)
  • 皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)、慟傷(かな)しびて作る歌二十三首(巻二 一七一~一九三)
  • 但馬皇女(たぢまのひめみこ)の薨ぜし後(のち)に、穂積皇子(ほづみのみこ)、冬の日に雪の降るに御墓(みはか)を遥望(えうぼう)し悲傷流涕(ひしやうりうてい)して作らす歌一首(巻二 二〇三)
  • 柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌(巻二 二〇七~二一二)
  • 柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら(いた)みて作る歌一首

 

神野志隆光氏は、前述書の中で、「これらは、『傷』『哀』『悲』に集中します。『感傷』『悲傷』『哀傷』などと熟する場合もありますが、ただ挽歌であっても、このように直接心情や感情を示す題詞は普通ではありません。・・・主題が悲しみの感情であることを外形的に明示するのです。・・・歌自体によるのみでなく、感情を外形的に明示して世界構築をになうものであり、つまり、感情まで組織として世界を構築するものとしてあるのです。」と書かれている。さらに「麻積王(伊藤氏は、麻続王と書き下しておられる)、有間皇子大津皇子という事件にかかわる感情も、ここで『哀傷』ということに、いわば統制されて『歴史』に定位されています。泣血哀慟歌のような、私情として見出されてありえたものも、おなじく『哀』であって、おなじ題詞のもとに組織されるのです。感情の枠をつくるのだといえます。以上をまとめていえば、私的領域を見出し、これをからめとって組み込むとともに、感情をも組織して世界を成り立たせてある、ということです。」と書かれている。

 「泣血哀慟歌のような、私情として見出されてありえたもの」とは、妻の死は私的なものであるが、このような私的なことを、挽歌という殯宮などの儀礼的な場などとは違った「私的な悲しみ」を詠った歌まで万葉集では収録され、その意味で歌の可能性を広げたものと同氏は考えておられる。

 

 同氏は、左注にも同様の例(巻一 八歌の「哀傷したまふ」、巻二 一六六歌の「感傷哀咽して」)があると指摘されている。

 

 題詞や左注における、直接的な感情表現まで深堀されていることは、思いもつかない考え方であったが、このような万葉集へのアプローチがあったことを知り、万葉集の見方が以前より少し視野が広がったように思える。ますます面白くなる万葉集である。る。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」