●歌は、「衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし」である。
●歌をみていこう。
◆衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑往者 生跡毛無
(柿本人麻呂 巻二 二一二)
≪書き下し≫衾道(ふすまぢ)を引手(ひきで)の山に妹を置きて山道(やまぢ)行けば生けりともなし
(訳)衾道よ、その引手の山にあの子を置き去りにして、山道をたどると、生きているとも思えない。
(注)ふすまぢを【衾道を】[枕]:地名「引手の山」にかかる。かかり方未詳。「衾道」を地名と見なし、これを枕詞とはしない説もある。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)衾道:天理市南の衾田といわれた一帯か。(伊藤脚注)
(注)引手の山:長歌の「羽がひの山」に当たる。「衾」「引手」は「妹」の縁語。(伊藤脚注)
天理市観光協会HP「記紀・万葉でめぐる天理」に、この歌に関する記述がある。
「衾道」については、手白髪皇女(たしらかのひめみこ)の衾田(ふすまだ)の墓がある。また、「引手の山」について「羽易の山に同じ」と書かれている。
そして、「人麻呂が妻を亡くし、哀しみ背負い歩いた山が龍王山といわれています。この龍王山を背景に、万葉歌人を代表する柿本人麻呂の万葉歌碑が、中山町の山の辺の道沿いにたたずんでいます。」とも書かれている。
「この龍王山を背景に、万葉歌人を代表する柿本人麻呂の万葉歌碑が、中山町の山の辺の道沿いにたたずんでいます。」と書かれている歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その58改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部訂正いたしております。ご容赦下さい。)
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二一三から二一六歌の歌群、「或本の歌に曰く」をみてみよう。
題詞は、「或本歌曰」<或本の歌に曰く>である。
◆宇都曽臣等 念之時 携手 吾二見之 出立 百兄槻木 虚知期知尓 枝刺有如 春葉 茂如 念有之 妹庭雖在 恃有之 妹庭雖有 世中 背不得者 香切火之 燎流荒野尓 白栲 天領巾隠 鳥自物 朝立伊行而 入日成 隠西加婆 吾妹子之 形見尓置有 緑兒之 乞哭別 取委 物之無者 男自物 腋挟持 吾妹子與 二吾宿之 枕附 嬬屋内尓 日者 浦不怜晩之 夜者 息衝明之 雖嘆 為便不知 唯戀 相縁無 大鳥 羽易山尓 汝戀 妹座等 人云者 石根割見而 奈積来之 好雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者
(柿本人麻呂 巻二 二一三)
≪書き下し≫うつそみと 思ひし時に たづさはり 我(わ)がふたり見し 出立(いでたち)の 百枝(ももえ)槻(つき)の木(き) こちごちに 枝(えだ)させるごと春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間(よのなか)を 背(そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天(あま)領巾(ひれ)隠(がく)り 鳥じもの 朝立(あさだ)ち行きて 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り委(まか)する 物しなければ 男(をとこ)じもの 脇(わき)ばさみ持ち 我妹子(わぎもこ)と 二人我(わ)が寝(ね)し 枕(まくら)付(づ)く 妻屋(つまや)のうちに 昼(ひる)は うらさび暮らし 夜(よる)は 息づき明かし 嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽(は)がひの山に 汝(な)が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 灰にていませば
(訳)あの子はずっとこの世の人だと思っていた時に、手を携えて二人して見た、まっすぐに突き立つ百枝(ももえ)の槻(つき)の木、その木がありこちに枝を伸ばしているように、その春の葉がびっしりと茂っているように、絶え間なく思っていたいとしい子ではあるが、頼りにしていたあの子ではあるが、常なき世の定めに背くことはできないものだから、陽炎(かげろう)の燃え立つ荒野に、まっ白な天女の領布(ひれ)に蔽われて、鳥でもないのに朝早くわが家をあとにして行き、山に入る日のように隠れてしまったので、あの子が形見に残していった幼な子が物欲しさに泣くたびに、何をやってよいやらあやすすべを知らず、男だというのに、小脇に抱きかかえて、あの子と二人して寝た離れの中で、昼はうら寂しく暮らし、夜は溜息ついて明かし、こうしていくら嘆いてもどうしようもなく、いくら恋い慕っても逢(あ)える見こみもないので、「大鳥の羽がいの山にあなたの恋い焦がれるお方はおいでになります」と人が言ってくれたままに、岩根を押しわけて難渋してやって来たが、何のよいこともない。ずっとこの世の人だとばかり思っていたあの子が、空しくも灰となっておいでになるので。(同上)
(注)「たづさはり 我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと春の葉の 茂きがごとく」では、軽の池で二人が逢ったことを示す表現ではない。(伊藤脚注)
(注)いでたち【出で立ち】名詞:①(山・樹木などが)突き出てそびえている姿。②旅に出ること。出立(しゆつたつ)。出立準備。③世に出ること。立身出世。④宮仕えに出ること。出仕。⑤身なり。(学研)ここでは①の意
(注)「灰にて」だと、妻は死んでいる。二一〇の「見えなく」だと、妻は山中のどこかにまだいるかもしれないことになる。(伊藤脚注)
短歌三首もみてみよう。
◆去年見而之 秋月夜者 雖渡 相見之妹者 益年離
(柿本人麻呂 巻二 二一四)
≪書き下し≫去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は渡れども相見(あひみ)し妹(いも)はいや年離(としさか)る
(訳)去年見た秋の月は今も変わらず空を渡っているけれども、この月を一緒に見たあの子は、年月とともにいよいよ遠ざかってゆく。(同上)
◆衾路 引出山 妹置 山路念邇 生刀毛無
(柿本人麻呂 巻二 二一五)
≪書き下し≫衾道(ふすまぢ)を引手(ひきで)の山に妹を置きて山道(やまぢ)思ふに生けるともなし
(訳)衾道よ、引手の山にあの子を置いて来て、その山道を思うと、生きた心地もしない。(同上)
(注)山道思ふ:山を背にした表現。二一二と異なり、何かを求めて家に向かっている。(伊藤脚注)
◆家来而 吾屋乎見者 玉床之 外向来 妹木枕
(柿本人麻呂 巻二 二一六)
≪書き下し≫家(いへ)に来て我(わ)が屋を見れば玉床(たまどこ)の外(ほか)に向きけり妹(いも)が木枕(こまくら)
(訳)家に帰り着いて懐かしい妻屋を見ると、空しくもあらぬ方(かた)を向いている。妻の木枕は。(同上)
(注)我が屋:二人して寝た妻屋。(伊藤脚注)
(注)玉床:死者の寝床を尊んでいう。(同上)
(注)外に向きけり:主の魂のこもる枕が抜殻になっているさま。(同上)
■「生けるともなし」(二一五歌)と「生けりともなし」(二一二歌)の違い
「生けるともなし」:「いけ」は四段動詞「いく(生)」の命令形、「と」は、しっかりした気持の意の名詞) 生きているというしっかりした気持がない。 ⇒用例の「刀・戸」は甲類の文字であるから助詞とは見られず、「利心(とごころ)」などの「と」と同じであるといわれるが、この「と」だけが名詞として使われているのは他に例がない。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
「生けりともなし」:「いけ」は四段動詞「いく(生)」の命令形、「と」は助詞) 生きているとも感じられない。生きているように思われない。 ⇒ 万葉例は「いけるともなし」と読む説もあるが、用例の「跡」は乙類の文字であるから助詞とみられ、終止形を受けていると考えて「いけりともなし」と読む(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)万葉の時代の音韻で、ア、カ(ガ)、ハ(バ)、マ行の子音「イ」「エ」「オ」は、「甲」と「乙」の音韻があった。「と」の例でいうと「甲:to」、「乙:tö」となる。(他には、「ヨ」と「ロ」がある。)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」