万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1280,1281)―島根県益田市 県立万葉公園(24,25)―万葉集 巻二 二二一、二二二

―その1280―

●歌は、「妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(24)万葉歌碑(柿本人麻呂



●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(24)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

題詞、「讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首并短歌」<讃岐(さぬき)の狭岑(さみねの)島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并(あは)せて短歌>の長歌(二二〇歌)と反歌二首(二二一、二二二歌)のうちの一首である。

(注)狭岑(さみねの)島:香川県塩飽諸島中の沙美弥島。今は陸続きになっている。(伊藤脚注)

(注)石中の死人:海岸の岩の間に横たわる死人。(伊藤脚注)

 

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

       (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たぐ【食ぐ】[動]:食う。飲む。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うはぎ:ヨメナの古名。

 

春の若菜つみの対象とされ、「春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(おとめ)らし春野のうはぎ摘(つ)みて煮らしも」(巻十 一八七九)と詠まれている。

廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)の中で、「人びとが早春の若菜をつむのも、冬に不足していたビタミンやミネラル摂取するためである。万葉びとにビタミン、ミネラルの知識はなかったにしても、若菜を食べれば活力が生まれることを経験的に知っていたにちがいない。ひろびろとした春の野に遊ぶと、精神的開放感が消化吸収を助長することをも、万葉びとは感じていただろうか。」と書かれている。

巻十 一八七九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1058)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 「うはぎ」など春の若菜は生命の象徴であり、春日野では野遊びが行われ、老若男女が野に出かけ歌垣なども催されたようである。

 「うはぎ」のイメージの真逆を、「妻のあらば」と孤独感、「過ぎにけらずや」で時間軸の対称で「生」と「死」を詠っているのである。

 

 二二〇から二二二歌の歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その320)」で紹介している。

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―その1281―

●歌は、「沖つ波来寄る荒礒を敷栲の枕とまきて寝せる君かも」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(25)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆奥波 来依荒礒乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞

       (柿本人麻呂 巻二 二二二)

 

≪書き下し≫沖つ波来寄(きよ)る荒礒(ありそ)を敷栲(しきたへ)の枕とまきて寝(な)せる君かも

 

(訳)沖つ波のしきりに寄せ来る荒磯なのに、そんな磯を枕にしてただ一人で寝ておられるこの夫(せ)の君はまあ。(同上)

(注)なす【寝す】自動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。 ※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 長歌(二二〇歌)では、大半が情景描写に費やされ、後半から続く二二一歌は、死人の妻のことに思いを馳せ、二二二歌に至ってようやく「妻の夫として死人に純粋に心を注いでいる(伊藤脚注)」のである。

 

 長歌もみてみよう。

 

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒礒面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 徃而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 欝悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

      (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行かむ 神(かみ)の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶(かぢ)引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺(はまへ)を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道(みち)だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない、国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充(み)ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)を折れるばかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、浪の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕(まくら)にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしように。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることであろう、いとしい妻は。(同上)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(学研)

(注)くにから【国柄】名詞:国が本来備えている性格・性質。また、国の品格(学研)

(注)かみ【神】の御面(みおも):(国土を神のお顔と見立てていう) 国土の形勢。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)那珂の港:丸亀市金倉川の河口付近(伊藤脚注)

(注)ときつかぜ【時つ風】[連語]①ほどよいころに吹く風。時節にかなった風。順風。② 潮の満ちる時刻になると吹く風。(学研)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(学研)

(注)ころ臥す:一人臥している。「ころ」は自らの意。(伊藤脚注)

(注)家知らば:旅の現状に対して家郷を持ち出すのは、行路悲歌の型(伊藤脚注)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

(注)はし【愛し】形容詞:愛らしい。いとおしい。慕わしい。 ※上代語。(学研)

 

 

「瀬戸内国際芸術祭2022」HPに「沙弥島」について次のように説明がなされている。

 

「かつては、坂出港の沖合約4kmに浮かぶ、面積0.28平方km、周囲約2.0kmの小さな島でしたが、昭和42年、番の州埋立事業により陸続きとなりました。

島の歴史は古く、縄文土器やサヌカイト製石器、製塩土器などが出土しています。また、島の南側にある権現山の西端には、古墳時代中期頃の方墳千人塚があり、その付近には、9基にのぼる古墳が確認されています。さらに、690年頃、万葉の代表的歌人である柿本人麻呂が詠んだ歌の中に、狭岑島(さみねのしま)が登場し、これが現在の沙弥島であることから、万葉集ゆかりの島とも言われています。また、当時の土木技術の粋を集め昭和63年に完成した瀬戸大橋を間近に望み、万葉時代から変わらない美しい多島美と瀬戸大橋が楽しめる遊歩道も整備されています。

このほか,瀬戸内海に沈みゆく夕日が美しい西ノ浜は、環境省選定の『快水浴場百選』にも選ばれており、夏は海水浴を楽しむ多くの方々でにぎわいます。」

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「瀬戸内国際芸術祭2022」HP