万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1284,1285)―島根県益田市 県立万葉公園(28,29)―万葉集 巻二 一九四、一九五

―その1284―

●歌は、「飛ぶ鳥明日香の川の上つ瀬に流れ触らばふ玉藻なすか寄りかく寄り・・・」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(28)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(28)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂獻泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)と忍坂部皇子(おさかべのみこ)とに献(たてまつ)る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)泊瀬部皇女:?-741 飛鳥(あすか)-奈良時代,天武天皇の皇女。・・・持統天皇5年川島皇子をほうむるとき、柿本人麻呂が皇女に献じた歌があるところから、川島皇子の妻だったという説が有力。(後略)(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

(注)忍坂部皇子:天武天皇の第9皇子。・・・忍壁皇子などともいい、忍坂部とも書く。大宝律令の制定と施行に従事した。672年(天武1)壬申の乱草壁皇子とともに・・・天武天皇に合流。・・・679年皇后(持統),草壁皇子大津皇子ら6人と天武天皇に忠誠を誓う。681年詔を受け,川島皇子らと帝紀および上古諸事を記定。(コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版) 泊瀬部皇女の同母兄。

(注)持統五年九月九日、川島皇子没。越智野で喪に服する妻泊瀬部とその兄忍壁との歌を献呈したもの。(伊藤脚注)

 

 

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬尓 生玉藻者 下瀬尓 流觸經 玉藻成 彼依此依 靡相之 嬬乃命乃 多田名附 柔膚尚乎 劔刀 於身副不寐者 烏玉乃 夜床母荒良無 <一云 阿礼奈牟> 所虚故 名具鮫兼天 氣田敷藻 相屋常念而 <一云 公毛相哉登> 玉垂乃 越能大野之 旦露尓 玉裳者埿打 夕霧尓 衣者沾而 草枕 旅宿鴨為留 不相君故

      (柿本人麻呂 巻二 一九四)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥の 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 生(お)ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触(ふ)らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡(なび)かひし 夫(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔肌(にきはだ)すらを 剣太刀(つるぎたち) 身に添へ寝(ね)ねば ぬばたまの 夜床(よとこ)も荒るらむ<一には「荒れなむ」といふ> そこ故(ゆゑ)に 慰(なぐさ)めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて <一には「君も逢ふやと」といふ> 玉垂(たまだれ)の 越智(をち)の大野(おほの)の 朝露(あさつゆ)に 玉裳(たまも)はひづち 夕霧(ゆふぎり)に 衣(ことも)は濡(ぬ)れて 草枕 旅寝(たびね)かもする 逢はぬ君故(ゆゑ)

 

(訳)飛ぶ明日香川の川上の、川上の瀬に生えている玉藻は、川下の瀬に向かって靡き触れ合っている。その玉藻さながらに靡き寄り添うた夫(せ)の皇子(みこ)が、どうしてかふくよかな皇女(ひめみこ)の柔肌(やわはだ)を今は身に添えてやすまれることがないので、さぞや夜の床も空しく荒れすさんでいることであろう<空しく荒れすさんでゆくことであろう>。そう思うと、どうにも御心を慰めかねて、もしや夫(せ)の君にひょっこり逢(あ)えもしようかと<夫の君がひょっこり現われもしようかと思って>、越智の荒野の朝露に裳裾(もすそ)を泥まみれにし、夕霧に衣を湿らせながら、旅寝をなさっておられることか。逢えない夫の君を慕うて。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)流れ触らばふ:靡いて触れあっている。(伊藤脚注)

(注)かよりかくよる【か寄りかく寄る】:[連語]あっちへ寄り、こっちへ寄る。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)たたなづく【畳なづく】分類枕詞:①幾重にも重なっている意で、「青垣」「青垣山」にかかる。②「柔肌(にきはだ)」にかかる。かかる理由は未詳。 ⇒参考 (1)①②ともに枕詞(まくらことば)ではなく、普通の動詞とみる説もある。(2)②の歌は、「柔肌」にかかる『万葉集』唯一の例。(学研)

(注)つるぎたち【剣太刀】分類枕詞:①刀剣は身に帯びることから「身にそふ」にかかる。②刀剣の刃を古くは「な」といったことから「名」「汝(な)」にかかる。③刀剣は研ぐことから「とぐ」にかかる。(学研)

(注)「夫の命の たたなづく 柔肌すらを 剣太刀 身に添へ寝ねば」:夫の川島が妻の柔肌を身に添えて休むことがないので、の意。(伊藤脚注)

(注)その故に:夜床が荒れるままなので。(伊藤脚注)

(注)けだし【蓋し】副詞:①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研)

(注)たまだれの【玉垂れの】分類枕詞:緒(お)で貫いた玉を垂らして飾りとしたことから「緒」と同じ音の「を」にかかる。(学研)

(注)越智の大野:佐田の岡の西に続く越智周辺の原野。(伊藤脚注)奈良県高取町にある。

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)

(注)旅寝かもする:服喪をこのように見たてた。(伊藤脚注)

 

 

―その1285―

●歌は、「敷栲の袖交へし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも」である。

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島根県益田市 県立万葉公園(29)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(29)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆敷妙乃 袖易之君 玉垂之 越野過去 亦毛将相八方 <一云 乎知野尓過奴>

       (柿本人麻呂 巻二 一九五)

 

≪書き下し≫敷栲(しきたへ)の袖(そで)交(か)へし君玉垂の越智野(をちの)過ぎ行くまたも逢はめやも <一には「越智野に過ぎぬ」といふ>

 

(訳)袖を交わして床をともにした君は、越智野(おちの)を通り過ぎてさらにどこか遠くへ行ってしまった。<越智野にお隠れになった>。またとお逢いできようか。(同上)

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)

 

左注は、「右或本曰 葬河嶋皇子越智野之時 獻泊瀬部皇女歌也 日本紀云朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑浄大参皇子川嶋薨」<右は、或本には「河島皇子(かはしまのみこ)を越智野に葬(はぶ)りし時に、泊瀬部皇女に献る歌なり」といふ。 日本紀には「朱鳥(あかとり)の五年辛卯(かのとう)の秋の九月己巳(つちのとみ)の朔(つきたち)の丁丑(ひのとうし)に、浄大参(じやうだいさん)皇子川島薨ず」といふ>である。

 

 夫川島皇子の喪に服している妻の泊瀬部皇女に、このような歌を贈るとは、感覚的には、不謹慎に思えるが、人麻呂は愛を語り、死を愛でもって語る宮廷歌人であったから許されるのであろう。

 中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「人間の運命は死ぬべく定められていた。そこでいっそう人麻呂の愛への情念は、激しく燃えたのであろう。その愛を死という裏側から見るのが、彼に課せられた役目だった、とは。」と書かれている。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」