万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

東歌そして尾花の魅力に迫る<万葉歌碑を訪ねて(その1304、1305の1)>―島根県益田市 県立万葉植物園(P15、16)―万葉集 巻十四 三四四四、巻十 二二四二

―その1304―

●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」である。

 

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島根県益田市 県立万葉植物園(P15)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)


●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P15)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢

      (作者未詳 巻十四 三四四四)

 

≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね

 

(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみる)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)茎韮(くくみら):《「くく」は茎、「みら」はニラの意》ニラの花茎が伸びたもの。(コトバンク デジタル大辞泉) ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。(植物で見る万葉の世界  國學院大學 萬葉の花の会 著)

(注)なふ 助動詞特殊型:《接続》動詞の未然形に付く。〔打消〕…ない。…ぬ。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

伊藤氏は、この歌の脚注で「上四句と結句とを二人の女が唱和する形」になっていると書かれている。

 この歌は、「田植え歌とか茶摘み歌といわれる生活の必要が生んだ労働歌といえるだろう。「籠いっぱい摘む」ことが求められる、いわば収穫の作業時に歌う「茎韮摘み歌」であると思われる。東歌の原点ともいえよう。

 

 「くくみら」を詠った歌はこの一首のみである。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1182)」で紹介している。

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 時を経たこの万葉歌碑(プレート)も味があっていいものである。

 

 

 

―その1305の1―

●歌は、「秋の野の尾花が末の生ひ靡き心は妹に寄りにけるかも」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P16)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)


●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P16)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十 二二四二)

 

≪書き下し≫秋の野の尾花(をばな)が末(うれ)の生(お)ひ靡(なび)き心は妹に寄りにけるかも

 

(訳)秋の野の尾花の穂先が延びて風に靡くように、私の心はもうすっかりあの子に靡き寄ってしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

 

 巻十 二二四一から二二四三歌の歌群の左注は、「右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。」とある。部立「秋相聞」の先頭歌である。

 

 手招きしているようなススキ(尾花)の穂。風にゆらぐ光景は、まさに心ひかれる人への思いそのものである。

 万葉びとの自然のなかの植物の特性に心情を重ね合わせる巧みな詠い方には心惹かれるものがある。

 

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ススキ(尾花)の穂 「みんなの趣味の園芸NHK出版HP)」より引用させていただきました。

 ススキは漢字で「芒」、国字で「薄」と記し、文学的には花穂の姿が獣の尾に似るところから「尾花」とも称される。

 「尾花」と詠っている歌をみてみよう。

 巻八 一五七一歌の様に、万葉仮名では「吾屋戸乃 草花上之・・・」とあるが「我が宿の尾花が上の・・・」と読むものもあるが、原文も「尾花」(乎花、乎婆奈を含む)となっているものを対象としました。

 

 

◆伊香山 野邊尓開者 芽子見者 公之家有 尾花之所念

        (笠金村    巻八 一五三三)

 

≪書き下し≫伊香山(いかごやま)野辺(のへ)に咲きたる萩見れば君が家なる尾花(をばな)し思ほゆ

(訳)伊香山、この山の野辺に咲いている萩を見ると、あなた様のお屋敷の尾花が思い出されます。(同上)

 

題詞は、「笠朝臣金村伊香山作歌二首」<笠朝臣金村、伊香山(いかごやま)にして作る歌二首>である。

この二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その403)」で紹介している。

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◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

                  (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1083)」で紹介している。

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題詞は、「日置長枝娘子歌一首」<日置長枝娘子(へきのながえをとめ)が歌一首>である。

(注)日置長枝娘子:伝未詳。

 

◆秋付者 尾花我上尓 置露乃 應消毛吾者 所念香聞

       (日置長枝娘子 巻八 一五六四)

 

≪書き下し≫秋づけば尾花(をばな)が上に置く露の消(け)ぬべくも我(あ)れは思ほゆるかも

 

(訳)秋めいてくると尾花の上に露が置く、その露のように、今にも消え果ててしまいそうなほどに、私はせつなく思われます。(同上)

(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。

 

 「尾花が上に置く露」、この言語情報だけで、はかなく消えていく露の絵画的情景が目に浮かんでくる。

 

 ススキ(尾花)の花穂の可憐さを踏まえた歌が多いが、空洞の茎のしなやかな構造物としての力強さも歌われているところがまた面白いのである。歌をみてみよう。

 

 題詞は、「太上天皇 御製歌一首」<太上天皇(おほきすめらみこと)の御製歌一首>である。

(注)だいじゃうてんわう【太上天皇】名詞:譲位後の天皇の尊敬語。持統天皇が孫の文武(もんむ)天皇に譲位して、太上天皇と称したのに始まる。太上皇(だいじようこう)。上皇。「だじゃうてんわう」「おほきすめらみこと」とも。(学研) ここは、四十四代元正天皇

 

◆波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代

        (元正天皇 巻八 一六三七)

 

≪書き下し≫はだすすき尾花(をばな)逆葺(さかふ)き黒木もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに

 

(訳)はだすすきや尾花を逆さまに葺いて、黒木を用いて造った新室(にいむろ)、この新室はいついつまでも栄えることであろう。(同上)

(注)はだすすき【はだ薄】名詞:語義未詳。「はたすすき」の変化した語とも、「膚薄(はだすすき)」で、穂の出る前の皮をかぶった状態のすすきともいう。(学研)

(注)をばな【尾花】名詞:「秋の七草」の一つ。すすきの花穂。[季語] 秋。 ※形が獣の尾に似ていることからいう。(学研)

(注)くろき【黒木】名詞:皮付きの丸太。[反対語] 赤木(あかぎ)。(学研)

 

 

 次は高橋虫麻呂の歌である。

 

題詞は、「登筑波山歌一首 幷短歌」<筑波山(つくはやま)に登る歌一首 幷せて短歌>である。

 

草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼

      (高橋虫麻呂 巻九 一七五七)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら) 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる こともありやと 筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば 尾花(をばな)散る 師付(しつく)の田居(たゐ)に 雁(かり)がねも 寒く来鳴(きな)きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来(こ)し 憂(うれ)へはやみぬ

 

(訳)草を枕の旅の憂い、この憂いを紛らわすよすがもあろうかと、筑波嶺に登って見はるかすと、尾花の散る師付の田んぼには、雁も飛来して寒々と鳴いている。新治の鳥羽の湖にも、秋風に白波が立っている。筑波嶺のこの光景を目にして、長い旅の日数に積りに積もっていた憂いは、跡形もなく鎮まった。(同上)

(注)旅の憂へ:漢語の「旅愁」にあたる。他には見えない表現。(伊藤脚注)

(注)師付の田居:万葉の歌人高橋虫麻呂が歌に詠んだ場所といわれており、現在の志筑地区の北側、恋瀬川下流一帯の水田をさしたものと推定されています。この地には、昭和48年以前は鹿島やわらと称し、湿原の中央に底知れずの深井戸があったとされていますが、耕地整理によって景観がかわり、もとの深井戸があった場所から水を引いています。

この井戸にまつわる話として、日本武尊が水飲みの器を落したという内容や、鹿島の神が陣を張って炊事用にしたという内容が伝えられています。(かすみがうら市歴史博物館HP)

(注)新治:筑波山東麓の地。国府のあった石岡市の西郊。(伊藤脚注)

(注)鳥羽の淡海:東に小貝川、西に鬼怒川が流れ、その間にある市街地は北から伸びる洪積台地の末端となっています。小貝川沿岸の低地は「万葉集」に詠まれた鳥羽の淡海跡で、水田地帯となっています。主な観光スポットは、茨城百景に選定されている「砂沼」や関東最古の八幡様の「大宝八幡宮」などがあります。(いばらき観光キャンペーン推進協議会HP)

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仙石原のすすき草原 「箱根全山」(箱根町総合観光案内所HP)より引用させていただきました。

 「その1305」では、2回に分けて、万葉びとが感じ取ったススキ(尾花)の魅力に迫るべく尾花を詠んだ歌を見てきています。次稿(その1305の2)もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「かすみがうら市歴史博物館HP」

★「いばらき観光キャンペーン推進協議会HP」

★「箱根全山」 (箱根町総合観光案内所HP