万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1306)<染めに用いられた植物>―島根県益田市 県立万葉植物園(P17)―万葉集 巻七 一三三八

●歌は、「我がやどに生ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P17)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P17)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾屋前尓 生土針 従心毛 不思人之 衣尓須良由奈

       (作者未詳 巻七 一三三八)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどに生(お)ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな

 

(訳)我が家の庭に生えているつちはりよ、お前は、心底お前を思ってくれぬ人の衣(きぬ)に摺られるなよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆ 格助詞 《接続》:体言、活用語の連体形に付く。〔起点〕…から。…以来。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つちはり【土針】植物の名。メハジキとも、ツクバネソウとも、エンレイソウともいわれる。諸説があるが、メハジキが有力。シソ科の越年草。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

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メハジキ(別名ヤクモソウ) 「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)より引用させていただきました。

 つちはりを自分の娘に喩え、「心ゆも思はぬ人」と結ばれることがないようにと、戒める親の気持ちを歌っている。

 

 つちはりのように、染めに関わる植物で万葉集で歌われたものに、紅花、紫草、茜、つるばみ、つゆくさ、はり、萩、山藍、かきつばた、からあい、こなぎ、はねず、菅の根などが

ある。

 

それぞれの植物の代表的な歌をみてみよう。

 

【紅花(くれなゐ)】【山藍】

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従  赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

      (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(同上)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1155)」で紹介している。

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【紫草(むらさき)】

題詞「笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首」<笠女郎(かさのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌三首>の一首である。

 

◆託馬野尓 生流 衣染 未服而 色尓出来

       (笠女郎 巻三 三九五)

 

≪書き下し≫託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり

 

(訳)託馬野(つくまの)に生い茂る紫草、その草で着物を染めて、その着物をまだ着てもいないのにはや紫の色が人目に立ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)託馬野:滋賀県米原市朝妻筑摩か。

(注)「着る」は契りを結ぶことの譬え

(注)むらさき【紫】名詞:①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。古くから「武蔵野(むさしの)」の名草として有名。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」に紹介している。

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【つるばみ】

 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念

     (作者未詳 巻七 一三一一)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ

 

(訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※古くは「つるはみ」。(学研)

(注)ことなし【事無し】形容詞:①平穏無事である。何事もない。②心配なことがない。③取り立ててすることがない。たいした用事もない。④たやすい。容易だ。⑤非難すべき点がない。欠点がない。(学研) ここでは④の意 ➡「男女間のわずらわしさがない」の譬え

 

 「橡の衣」を身分の低い女性に喩え、身分違いのそのような気安い(着やすい)女性を妻にしたいと考えている男の歌である。日頃の思いと逆に逃避した心境であろうか。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1084)」で紹介している。

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【はり】

題詞は、「二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌」<二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)、三河の国に幸(いでま)す時の歌>である。

 

◆引馬野尓 仁保布原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓

               (長忌寸意吉麻呂 巻一 五七)

 

≪書き下し≫引馬野(ひくまの)ににほふ原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに

 

(訳)引馬野(ひくまの)に色づきわたる榛(はり)の原、この中にみんな入り乱れて衣を染めなさい。旅の記念(しるし)に。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)引馬野(ひくまの):愛知県豊川市(とよかわし)御津(みと)町の一地区。『万葉集』に「引馬野ににほふ榛原(はりばら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに」と歌われた引馬野は、豊川市御津町御馬(おんま)一帯で、古代は三河国国府(こくふ)の外港、近世は三河五箇所湊(ごかしょみなと)の一つだった。音羽(おとわ)川河口の低湿地に位置し、引馬神社がある。(コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注)はり【榛】名詞:はんの木。実と樹皮が染料になる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)にほふ【匂ふ】:自動詞 ①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。

他動詞:①香りを漂わせる。香らせる。②染める。色づける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首長忌寸奥麻呂」<右の一首は長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)>である。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

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【萩】

◆吾衣 揩有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之揩類曽

       (作者未詳 巻十 二一〇一)

 

≪書き下し≫我(あ)が衣(ころも)摺(す)れるにはあらず高松(たかまつ)の野辺(のへ)行きしかばの摺れるぞ

 

(訳)私の衣は、摺染(すりぞ)めしたのではありません。高松の野辺を行ったところ、あたり一面に咲く萩が摺ってくれたのです。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)摺染(読み)すりぞめ:〘名〙: 染色法の一つ。草木の花、または葉をそのまま布面に摺りつけて、自然のままの文様を染めること。また花や葉の汁で模様を摺りつけて染める方法もある。この方法で染めたものを摺衣(すりごろも)という。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その952)」で紹介している。

 ➡ こちら952

 

 

【つゆくさ】

月草尓 衣者将揩 朝露尓 所沾而後者 徙去友

       (作者未詳 巻七 一三五一)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露(あさつゆ)に濡(ぬ)れての後(のち)はうつろひぬとも

 

(訳)露草でこの衣は摺染(すりぞ)めにしよう。朝露に濡れたそののちは、たたえ色が褪(あ)せてしまうことがあるとしても。(同上)

(注)つきくさ【月草】名詞:草の名。つゆくさの古名。この花の汁を衣に摺(す)り付けて縹(はなだ)色(=薄藍(うすあい)色)に染めるが、その染め色のさめやすいことから、歌では人の心の移ろいやすいたとえとすることが多い。[季語] 秋。(学研)

(注)上二句は、結婚を諸諾する意。

(注)濡れての後は:結婚してのちは。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で紹介している。

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【かきつばた】

◆墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣尓揩著 将衣日不知毛

      (作者未詳 巻七 一三六一)

 

≪書き下し≫住吉(すみのえ)の浅沢小野(あささはをの)のかきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付け着む日知らずも

 

(訳)住吉の浅沢小野に咲くかきつばた、あのかきつばたの花を。私の衣の摺染めにしてそれを身に付ける日は、いったいいつのことなのやら。(同上)

(注)浅沢小野:住吉大社東南方の低湿地。

(注)かきつはた:年ごろの女の譬え(伊藤脚注)

(注)「着る」は我が妻とする意。(伊藤脚注)

 

 染料として使われていた「かきつばた」の花汁は青みを帯びた紫色で鮮やかなものであった。花そのものとしてもその立ち姿の美しさは群を抜いていた。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-6)」で紹介している。

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【からあい】

◆秋去者 影毛将為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟

      (作者未詳 巻七 一三六二)

 

≪書き下し≫秋さらば移(うつ)しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ

 

(訳)秋になったら移し染めにでもしようと、私が蒔いておいたけいとうの花なのに、その花をいったい、どこの誰が摘み取ってしまったのだろう。(同上)

(注)移しもせむ:移し染めにしようと。或る男にめあわせようとすることの譬え。

(注)誰(た)れか摘(つ)みけむ:あらぬ男に娘を捕えられた親の気持ち

(注)からあゐ【韓藍】: ケイトウの古名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1166)」で紹介している。

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【こなぎ】

◆奈波之呂乃 古奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家

      (作者未詳 巻十四 三五七六)

 

≪書き下し≫苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまにあぜか愛(かな)しけ

 

(訳)通し苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花、そんな花でも、着物に摺りつけ、着なれるにつれて、どうしてこうも肌合いにぴったりで手放し難いもんかね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)こなぎ【小水葱・小菜葱】① ミズアオイ科の一年草。水田などの水湿地に生える。ミズアオイ(ナギ)に似るが全体に小さく、花序が葉より短い。ササナギ。② ナギ(ミズアオイの古名)を親しんでいう称。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。

※参考名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その275)」で紹介している。

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【はねず】

◆山振之 尓保敝流妹之 翼酢色之 赤裳之為形 夢所見管

      (作者未詳 巻十一 二七八六)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ

 

(訳)咲きにおう山吹の花のようにあでやかな子の、はねず色の赤裳を着けた姿、その姿が夢に見え見えして・・・。(同上)

(注)山吹の:「にほふ」の枕詞(伊藤脚注)

(注)はねず:① 初夏に赤い花をつける植物の名。ニワウメ・ニワザクラなど諸説がある。②「唐棣花(はねず)色」の略。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 

【菅の根】

◆真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得

       (作者未詳 巻七 一三四四)

 

≪書き下し≫真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の社(もり)の菅(すが)の根を衣にかき付け着せむ子もがも

 

(訳)鷲(わし)の棲む雲梯の社(もり)の長い菅の根、その根を衣(きぬ)に描き付けて着せてくれるかわいい子がいたらいいのになあ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まとり【真鳥】:鳥。また、鷲(わし)のようにりっぱな鳥。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)雲梯の社:橿原市雲梯町の神社

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その131改)で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

➡ 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集に表された染め」 (論文 宇都宮大学教育学部清水裕子・佐々木和也 共著

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「歌の解説と万葉集柏原市HP

★「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)