万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1315)<柿本人麻呂は石州半紙生産を奨励>―島根県益田市 県立万葉植物園(P26)―万葉集 巻十 一八九五

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P26)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

      (柿本朝臣人麿歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)はるさる【春さる】分類連語:春が来る。春になる。 ※「さる」は近付くの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さきくさの【三枝の】分類枕詞:「三枝(さきくさ)」は枝などが三つに分かれるところから「三(み)つ」、また「中(なか)」にかかる。(学研)

(注の注)さきくさ【三枝】① 茎が三つに分かれている植物。ミツマタジンチョウゲヤマユリ・ミツバゼリ・フクジュソウ、その他諸説がある。② ヒノキの別名。③ オケラ(朮)の別名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考 (1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「さきくさ」については、ミツマタ説が有力である。ミツマタは、中国原産の落葉低木で、楮(こうぞ)・雁皮(がんぴ)と並ぶ和紙の原料である。

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さきくさ(ミツマタ) 「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)より引用させていただきました。

 高津柿本神社境内にある「柿本人麻呂と石州半紙」という解説案内板には、「万葉の歌人 柿本人麻呂は晩年にこの石見地方に住んだと言われており 石州半紙の生産を奨励したという伝説が残っています(後略)」と書かれていた。

 

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高津柿本神社境内「柿本人麻呂と石州半紙」解説案内板

 紙がいつ頃作られたかについては、日本製紙連合会HPに、「紙は、紀元前2世紀頃、中国で発明されたと考えられています。当初は試行錯誤しながらいろいろな方法で紙が作られていたようですが、西暦105年頃に蔡倫(さいりん)という後漢時代の役人が行った製紙法の改良により、使いやすい実用的な紙がたくさん作られるようになったと言われています。ちなみに蔡倫が紙作りに使った材料は、 麻のボロきれや、樹皮などでした。」と書かれており、さらに日本に伝播したのは、「610年 (推古18年)。高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が墨とともに日本に製紙法を伝えたと言われています(しかし、それ以前に紙抄きが行われていたという説もあります)。伝播当初、使われていた材料は『麻』でしたが、その後『コウゾ』や『ガンピ』などの植物も原料として使われるようになり、紙を抄く方法にも独自の改良が加えられ、日本オリジナルの“和紙”として発展していくこととなります。」と書かれている。

 

紙でもなく和紙でもなく「半紙」と書いてある。習字で使ったことのあるあの半紙か。なぜ半紙というのか疑問に駆られる。

 

半紙【はんし】

和紙の一種。狭義には毛筆書き用の記録用和紙。大きさは一般に25cm×40cm程度。コウゾを原料とし,手ですかれた。紙面は比較的粗剛。江戸時代に普及し,各地で産するが,石州半紙(島根県,徳地半紙(山口県),須崎半紙(高知県),柳川半紙(福岡県)などが有名。改良半紙はミツマタを原料とし,紙面が平滑で,優美。大洲(おおず)半紙(愛媛県)が代表的。現在事務用として,化学パルプを原料とする機械ずきのものが多量に作られている。

コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

 「石州半紙」について調べて見ると、「島根県HP」に次のように書かれている。

 「万葉歌人・柿本人麿呂により奈良時代から始まったとされ、江戸時代には、浜田・津和野両藩において盛んに生産された。昭和44年に国の重要無形文化財に指定されている。石州半紙は、繊維が長く幅が太く、また非常に強靭であり粗剛でたくましい地元産の「コウゾ」を原料にして作られる。漉きの段階で、同じく地元で取れる「トロロアオイ」の根の粘液を使用することにより、紙床から紙をはがしやすくしている。製品は、強くて粘りがあり、紙肌は黒っぽいが書いて字がにじまないのを特徴とする。現在、書籍・書道半紙・短冊・名刺等、多種多様の用途がある。強靭で光沢のある品質は、日本の手すき和紙では最高の水準にある。(後略)」

 

柿本人麻呂歌集の略体表記から人麻呂はメモ帳のようなものを持っており、折に触れ書き留めていたと考えると、そのメモ帳の作り方にも関心があり、それを石見に住んでいた時に「半紙の生産を奨励した」という伝説にはロマンを感じさせるものがある。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「日本製紙連合会HP」

★「島根県HP」