万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1316)<万葉集は歌群でストーリーを読むことも>―島根県益田市 県立万葉植物園(P27)―万葉集 巻二 二二一

●歌は、「妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや」である。

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万葉歌碑を訪ねて(その1316)―万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P27)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

       (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たぐ【食ぐ】[動]:食う。飲む。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うはぎ:ヨメナの古名。

 

この歌については直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1280)」で紹介している。

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 これまで、「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(柿本人麻呂 巻三 二六六歌)」の歌については、夕暮れ間近な広大な琵琶湖、かすかに静寂を破る千鳥の声、それがトリガーとなり昔のことが思い起こされるという時間軸・空間軸の広がりを歌ったすばらしい歌であると習い、そのように思い込んでいた。

しかし、梅原 猛氏の著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)に出逢って、見方が激変したのである。

ブログその1288の中でふれたが、氏の著の中で「万葉集の歌を一首ずつ切り離して観賞するくせがついているが、私は、こういう観賞法は根本的にまちがっていると思う。」として、巻三 二六三から二六七歌を挙げられ、「私は、この一連の歌は、けっして単独に理解されるべきものではなく、全体として理解されることによって、一連の歴史的事件と、その事件の中なる人間のあり方を歌ったものである―その意味で、万葉集はすでに一種の歌物語である―と思う・・・」と書かれ、そして、人麿が、近江以後、「彼は四国の狭岑島(さみねのしま)そして最後には石見の鴨島(かもしま)へ流される。流罪は、中流から遠流へ、そして最後には死へと、だんだん重くなり、高津(たかつ)の沖合で、彼は海の藻くずと消える。」と書かれている。人麻呂は最初は、近江に流されたのである。

 二六四歌の「いさよふ波の行く方(へ)知らずも」は、「・・・詠まれているのは、無常観ではない。むしろ、どこへ行くのか分からない、自己の未来にかんする不安感である。」と流人となった人麿の嘆きとされている。

 

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1288)」

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 二二〇から二二二歌の歌群(題詞は、「讃岐の狭岑(さみね)の島にして、石中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌」である。)の次に、「鴨山五首」が収録されている。こういった万葉集の歌の配列も頭に入れ、歌を見て行くべきなのである。

 梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)の中で、「・・・なぜ人麿が狭岑島へ行ったか・・・」と疑問をなげかけ解明されている。

 大宰府への旅の途中に立ち寄ったとする説には、九州への航路から大きく外れていると、讃岐の国の役人として視察に行ったとする説には、狭岑島のような小さな島に視察に行き、そこに庵する必要があるかと、四国から本州に行く途中、潮待ちしていたとする説には、四国からあまりにも近すぎる(現在は埋め立てにより陸続きになっている)し、港らしい港がないことなどをあげ、「私はやはり、この島は人麿が死んだ鴨島と同じように、流人の島ではなかったかと思う。」と書かれている。

 小さな島であるが、古墳が多くあり、島で亡くなった流人の貴族たちの墳墓であろうと書かれて、流人であったが故にかえって手厚く葬られたと考えられている。

 そして、「人麿のこの歌を私が流罪の歌と考えるのは、必ずしも島の状況によってのみではない。それ以上にこの歌のもつ深い悲しみの響きゆえである。人麿はこの狭岑島で死人を見たが、その感動は異常である。その死人の中にほとんど己を見ているほどだ。なぜ人麿は石中死人の中に己れを見なくてはならなかったのか。それは人麿流人説によってはじめて説明されると思う。」と書かれている。

 

 あらためて、二二〇から二二二歌の歌群をみてみよう。

 

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

       (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない。国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)が折れるなかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、波の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしよう。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように。しかし、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることだろう、いとしい妻は。(同上)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(学研)

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

(注)ころふす【自伏す】:ひとりで横たわる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

       (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆奥波 来依荒磯乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞

        (柿本人麻呂 巻二 二二二)

 

≪書き下し≫沖つ波来(き)寄(よ)る荒磯(ありそ)を敷栲(しきたへ)の枕とまきて寝る(な)せる君かも

 

(訳)沖つ波のしきりに寄せ来る荒磯なのに、そんな磯を枕にしてただ一人で寝ておられるこの夫(せ)の君はまあ。」(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なす【寝す】動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 「おそらく、近い将来に自分がおちいるにちがいない運命を人麿は見たのである。もはやここでは人麿が死人そのものであり、死人に第一の思いは、はるか遠く離れて、自分がここにこうしていることも知らないでいる妻への思いである。」

 

 万葉集の奥深いところに何があるか、歌という外見的なものを見るだけでなく、時代的背景、風土、時間等様々な観点から見ていく必要がある。相当の見識を深めていかないと万葉集は真の姿を見せてくれないのである。

 ああ万葉集・・・

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上下」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉