万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1322)―島根県益田市 県立万葉植物園(P33)―万葉集 巻十七 三九二一

●歌は、「かきつはた衣に摺り付けますらをの着襲ひ猟する月は来にけり」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P33)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P33)にある。

 

●歌をみていこう。

 

加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比獦須流 月者伎尓家里

       (大伴家持 巻十七 三九二一)

 

≪書き下し≫かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり

 

(訳)杜若(かきつばた)、その花を着物に摺り付け染め、ますらおたちが着飾って薬猟(くすりがり)をする月は、今ここにやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)きそふ【着襲ふ】他動詞:衣服を重ねて着る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首」<十六年の四月の五日に、独り平城(なら)の故宅(こたく)に居(を)りて作る歌六首>である。

 

左注は、「右六首天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作」<右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)に居(を)りて、大伴宿禰家持作る。>である。

 

 題詞、左注の「独り平城(なら)に居り」、「平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)」から、安積親王の喪に服していたと考えられるのである。家持は、天平十年から十六年、内舎人(うどねり)であった。

(注)天平十六年:744年

(注)うどねり【内舎人】名詞:律令制で、「中務省(なかつかさしやう)」に属し、帯刀して、内裏(だいり)の警護・雑役、行幸の警護にあたる職。また、その人。「うとねり」とも。 ※「うちとねり」の変化した語。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1126)」で紹介している。

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「かきつばた」の語源は、「書付花(かきつけばな)」で、衣服を染めるのに利用されたことによるという。「かきつはた衣に摺り付け」は、まさにこのことを物語っている。

「かきつばた」を詠んだ歌は七首収録されている。これらをみてみよう。

 

 

◆常不 人國山乃 秋津野乃 垣津幡鴛 夢見鴨

      (作者未詳 巻七 一三四五)

 

≪書き下し≫常ならぬ人国山(ひとくにやま)の秋津野(あきづの)のかきつはたをし夢(いめ)に見しかも

 

(訳)人国山の秋津野に咲くかきつばた、美しいそのかきつばたの花を、昨夜、私は夢に見ました。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つねならず【常ならず・恒ならず】分類連語:変わりやすい。無常である。はかない。 ⇒なりたち 名詞「つね」+断定の助動詞「なり」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)「常ならぬ」から「かきつはた」まで人妻の譬え。(伊藤脚注)

(注)人国山:他国の山。和歌山県の山の名とも。(伊藤脚注)

(注の注)人国山を詠んだもう一首は一三〇五歌である。

 

◆雖見不飽 人國山 木葉 己心 名著念

    (柿本人麻呂歌集 巻七 一三〇五)

 

≪書き下し≫見れど飽(あ)かぬ人国山(ひとくにやま)の木の葉をし我(わ)が心からなつかしみ思ふ

 

(訳)いくら見ても見飽きることのない人国山の木の葉よ、この木の葉が、私としたことが自身の心の底から懐かしく思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)人国山:他国の山。和歌山県の山の名とする説も。(伊藤脚注)

(注)木の葉:人妻あるいは他の部落の女の譬え(伊藤脚注)

(注)をし:略体歌では、「助辞」が省略されることから考えると、目的+強調で「を」「し」か。「をぞ」と読んでいる本もあり、「を+し」で目的を強調。

(注の注)「万葉歌碑を訪ねて(その713)」で「をし」を「形容詞:①【惜し】残念だ。心残りだ。手放せない。惜しい。②【愛し】いとしい。かわいい。(学研)」としていたが、間違いで、原文に書かれていない以上「助辞」とみるのが正しいと思う。

 

 一三〇五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その713)」で紹介している。

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◆墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣尓揩著 将衣日不知毛

      (作者未詳 巻七 一三六一)

 

≪書き下し≫住吉(すみのえ)の浅沢小野(あささはをの)のかきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付け着む日知らずも

 

(訳)住吉の浅沢小野に咲くかきつばた、あのかきつばたの花を。私の衣の摺染めにしてそれを身に付ける日は、いったいいつのことなのやら。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)浅沢小野:住吉大社東南方の低湿地。(伊藤脚注)

(注)かきつはた:年ごろの女の譬え(伊藤脚注)

(注)「着る」は我が妻とする意。(伊藤脚注)

 

一般財団法人 大阪市コミュニティ協会 住吉区支部協議会HPによると、「かきつばた」は、大阪市住吉区の区の花に指定されているそうである。住吉大社の南東、細江川北岸・浅沢神社周辺は古代、浅沢沼と呼ばれていた、書かれている。

 藤原定家の「いかにして浅沢沼のかきつばた紫ふかくにほひ染めけん」 また、明治10年明治天皇行幸された時の歌、「むかし見し浅沢小野の花あやめいまも咲くらむ葉がくれにして」が紹介されている。

 

 

◆吾耳哉 如是戀為良武 垣津旗 丹頬合妹者 如何将有

      (作者未詳 巻十 一九八六)

 

≪書き下し≫我(あ)れのみやかく恋すらむかきつはた丹(に)つらふ妹(いも)はいかにかあるらむ

 

(訳)私だけがこんなにせつなく恋い焦がれているのであろうか。かきつばたのように紅(あか)い頬をしたあの子は、いったいどんな気持ちでいるのであろうか。(同上)

(注)かきつはた【枕詞】① 花の美しさから、「にほふ」「丹(に)つらふ」にかかる。② 花が咲くところから、「さき」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)につらふ【丹つらふ】自動詞:紅(くれない)に照り映えて美しい。 ※上代語。(学研)

 

 

垣幡 丹頬経君▼ 率自尓 思出乍 嘆鶴鴨

      (作者未詳 巻十一 二五二一)

  ▼は「口偏に『リ』」である。「君▼」で「きみを」

 

≪書き下し≫かきつはた丹(に)つらふ君をいささめに思ひ出(い)でつつ嘆きつるかも

 

(訳)かきつばたのように顔立ちの立派なあなた、そんなあなただものだから、ふっと思い出しては、溜息ばかりついています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いささめに 副詞:かりそめに。いいかげんに。(学研)

 

 「丹つらふ」は、「紅に照り映えて美しい」意であるが、「丹頬合」と書かれているのは、書き手の遊び心であろうか。

 

 

 次の二八一八、二八一九歌は「問答歌」になっている。

 

垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 将著日乎待尓 年曽経去来

      (作者未詳 巻十一 二八一八)

 

≪書き下し≫かきつはた佐紀沼(さきぬ)の菅(すげ)を笠(かさ)に縫(ぬ)ひ着む日を待つに年ぞ経(へ)にける

 

(訳)かきつばたが美しく咲くという、その佐紀沼の菅を笠に縫い上げて、身に着ける日をいつのことかと待っているうちに、年が経ってしまった。(同上)

(注)佐紀沼:奈良市佐紀町の沼か。

(注)着む日:女を妻と定めて結婚する日。(伊藤脚注)

 

 

◆臨照 難波菅笠 置古之 後者誰将著 笠有莫國

      (作者未詳 巻十一 二八一九)

 

≪書き下し≫おしてる難波(なには)菅笠(すがかさ)置き古(ふる)し後(のち)は誰(た)が着む笠ならなくに

 

(訳)おしてる難波の名物の菅笠、それを放ったらかしにして古びさせておいて、まあ、時が経ったとて、どこのどなたがかぶる笠でえもないのに、まあ。(同上)

(注)おしてる【押し照る】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。(学研)

(注)難波菅笠:女自身の譬え。(伊藤脚注)

(注)「置き古(ふる)し後(のち)は誰(た)が着む」:私を放ったらかしにして古びさせておいて、の意。男の怠慢への詰問。(伊藤脚注)

 

 

垣津旗 開澤生 菅根之 絶跡也君之 不所見頃者

      (作者未詳 巻十二 三〇五二)

 

≪書き下し≫かきつはた佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる菅(すが)の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ

 

(訳)佐紀沢に生い茂っている菅の根でも絶えるというが、これっきりで仲が絶えるというのか、あの方がいっこうにおみえにならぬ今日この頃だ。(同上)

(注)上三句は序。「絶ゆ」を起こす。(伊藤脚注)

 

 一九八六、二五二一歌の「かきつばた」は「「丹(に)つらふ」にかかる、二八一八、三〇五二歌の場合は「咲き」と同音の「佐紀」にかかる枕詞である。

 「かきつはた」の美しいが故に、「菅」と組み合わせ、「すげないあなた」と訴えているのであろう。

 

「かきつはた」七首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-6)」で、書き下しと訳とを紹介しているが、本稿では原文をも紹介し、関連事項を追記した。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「一般財団法人 大阪市コミュニティ協会 住吉区支部協議会HP」

★「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)