―その1330―
●歌は、「鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。
◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有
(柿本人麻呂 巻二 二二三)
≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ
(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。
(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意
(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」で紹介している。
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「鴨山五首」といわれる歌群の人麻呂の歌である。
妻依羅娘子の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」および「同(その1268)」」で紹介している。
二二四歌
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二二五歌
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丹比真人の二二六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1269)」で紹介している。
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作者未詳の或る本の歌、二二七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1270)」で紹介している。
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「益田市観光ガイド」(益田市観光協会HP)には、高津柿本神社について次のように解説されている。
「柿本人麻呂が祀られており、(国重要美術品)正一位柿本大明神の神位を持ち、 疫病防除、開運、学問、農業、安産、眼疾治癒、火防などのご利益があります。入母屋造の本殿は県建造物文化財です。
その歴史は、人麿没後まもなく神亀年間(724〜729)に、聖武天皇の勅命によって終焉の地である鴨島に人麿を祀る小社が立てられましたが、300年後の万寿3年(1026)の大地震で島は海底に沈み、人麿のご神体も津波で流され、現在の高津松崎に漂着しました。そして地元の人によってこの高津松崎に人丸社が建てられ、 長い間人々の信仰を集めたとされており、更に600年後、風波のため破損がひどくなったため、1681年に津和野藩主亀井茲親(これちか)によって、高角山(標高約50m高津城跡)に移築され、今に残っています。拝殿は津和野城から参拝できるように津和野の方向へ向いています。(後略)」
「火防」もご利益とあるが、「火止まる」のごろ合わせであろうがほほえましく思える。
同神社に設置されている「柿本神社本殿」説明案内板にも同様のことならびに建造物に関する説明がなされている。
柿本神社を写真でながめてみよう。
同神社境内には、「鴨島(鴨山)遺跡改訂調査状況」という解説案内板も設置されている。そこには、「昭和五十二年七月梅原猛先生、考古学、地質学の先生等は、人麿公終焉の地である鴨島を科学的に立証するため十日間の海底遺跡調査を試みられた。(海底調査資料より抜粋の箇所は省略) 調査終了後、現地座談会の締括りに於いて『やはりここに鴨島はあるんだというぬき難い確信がある。』と述べられた。」と書かれている。
梅原猛氏が、その著「水底の歌 柿本人麿論」(新潮文庫)で展開されている「鴨島(鴨山)」の地を調査し裏付けられたとされている。
万葉植物園から高津柿本神社の間に「万葉一人者・梅原猛先生鴨島展望台1,5m石碑」なるものを見落としてしまったのが悔やまれるのである。
前稿で島根県立万葉公園・万葉植物園の歌碑(プレート)の紹介を終えたのであるが、「万葉公園」の案内板にも歌のシートが張られ歌碑っぽいので紹介します。
歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1272)」で紹介している。
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島根県立万葉公園、高津柿本神社を後にして次の目的地、萩。石見空港に向かったのである。
―その1331―
●歌は、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」である。
●歌をみていこう。
◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
(柿本人麻呂 巻二 一三二)
≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか
(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)
(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)
(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)
(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち 完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(学研)ここでは①の意
(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)
この歌は、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首并(あは)せて短歌>の反歌二首の一首である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。
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萩。石見空港駐車場の空港正面に人麻呂の歌碑が設置されているのは、町挙げて「人麻呂さん」と敬愛を込めて呼んでいるだけのことはあるように感じられた。
今回のブログは観光案内的になってしまった。
ありがとうございました。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「水底の歌 柿本人麿論 上下」 梅原 猛 著 (新潮文庫)
★「令和の万葉公園を楽しむ!」(パンフレット;島根県立万葉公園管理センター)