万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1332)―島根県江津市波子町 辛の崎(石見海浜公園大崎鼻地区)―万葉集 巻二 一三五

●歌は、「つのさはふ石見の海の言さへく唐の崎なる海石にぞ深海松生える荒磯にぞ・・・」である。

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島根県江津市波子町 辛の崎(石見海浜公園大崎鼻地区)万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県江津市波子町 辛の崎(石見海浜公園大崎鼻地区)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

         (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

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歌の解説案内板

 一三一から一三九歌の歌群は「石見相聞歌」と言われている。一三一から一三四歌の歌群と一三五から一三七歌が、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の歌群であり、題詞、「或本歌一首 幷短歌」<或本の歌一首 幷(あは)せて短歌>の一三八、一三九歌の歌群からなっている。

 

 江津市HP「辛の崎の歌碑」には、次のように書かれている。

「ここは人麻呂の長歌の中に出てくる『辛の崎』と言われているところです。京都大学名誉教授澤瀉久孝(おもだかひさたか)先生は唐山を求めてこの地を訪れ、ここを辛の崎とその著書に発表されました。

歌碑は昭和62年に建立され、碑文はその澤瀉先生の筆によるものです。」

 

 島根県立海浜公園は、浜田市江津市にまたがる全長5.5kmにおよぶ公園である。

 歌碑は、大崎鼻地区と呼ばれるゾーンにある。

 海浜公園というので海辺を連想してしまうが、海浜を展望できる高台にある。

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石見海浜公園案内図



 

 新古今和歌集の選者として知られる藤原定家の歌について、小川靖彦氏は、その著「万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史」(角川選書)の中で、「・・・定家は『万葉集』のさまざまな歌を本歌取りしました。・・・本歌取りするためには、古歌について十分な知識が必要です。『万葉集』について、定家が長歌までも一首全体を深く読み込んだ上で本歌取りしている・・・」と書かれている。

<たをやめの袖(そで)かもみぢか明日香風(あすかかぜ)いたづらに吹(ふ)く霧(きり)の遠方(をちかた)>の歌は、志貴皇子の<采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く(巻一 五一)>を本歌取りして、「風に翻っているのは袖か紅葉かわからない」(前出小川氏著)と詠っていることにふれ、「これは、柿本人麿の『石見相聞歌』の第二長歌の『・・・大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず・・・』と、自分を慕って妻が袖を振っているのが、紅葉が散るのにまぎれて見えないことを言った歌句を踏まえているのかもしれません。そして、さらに見ようと目を凝らしてみても、霧の彼方に明日香風が吹くばかりです。」(前出小川氏著)と書かれている。

(注)本歌取り【ほんかどり】;和歌の修辞法の一つ。古歌を素材にとり入れて新しく作歌すること。とられた古歌を本歌という。古歌の1句もしくは数句を素材として新しい表現に用い,表現効果の複雑化を意図するので,余情の表現に適している。平安中期以来行われ,新古今時代に盛行,連歌にもうけつがれた。」(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

 志貴皇子の五一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その155)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史」 小川靖彦 著 (角川選書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア」

★「江津市HP」