万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1342)―島根県大田市静間町 静之窟(静之窟説明案内板)ー万葉集 巻三 三五五

●歌は、「大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経ぬらむ」である。

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島根県大田市静間町 静之<静之窟説明案内板>(生石村主真人)

●歌碑(静之窟説明案内板)は、島根県大田市静間町 静之窟にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經

      (生石村主真人 巻三 三五五)

 

≪書き下し≫大汝(おおなむち)少彦名(すくなびこな)のいましけむ志都(しつ)の石室(いはや)は幾代(いくよ)経(へ)ぬらむ

 

(訳)大国主命(おおくにぬしのみこと)や少彦名命が住んでおいでになったという志都の岩屋は、いったいどのくらいの年代を経ているのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おおあなむちのみこと【大己貴命】:「日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)。「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる。「出雲風土記」には国土創造神として見え、また「播磨風土記」、伊予・尾張・伊豆・土佐各国風土記逸文、また「万葉集」などに散見する。後世、「大国」が「大黒」に通じるところから、俗に、大黒天(だいこくてん)の異称ともされた。大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)。大汝神(おほなむぢのかみ)。大穴持命(おほあなもちのみこと)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)少彦名命 すくなひこなのみこと:記・紀にみえる神。「日本書紀」では高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子、「古事記」では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子。常世(とこよ)の国からおとずれるちいさな神。大国主神(おおくにぬしのかみ)と協力して国作りをしたという。「風土記」や「万葉集」にもみえる。穀霊,酒造りの神,医薬の神,温泉の神として信仰された。「古事記」では少名毘古那神(すくなびこなのかみ)。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

(注)志都の石室:島根県大田市静間町の海岸の岩窟かという。(伊藤脚注)

(注の注)静之窟(しずのいわや):「静間川河口の西、静間町魚津海岸にある洞窟です。波浪の浸食作用によってできた大きな海食洞で、奥行45m、高さ13m、海岸に面した二つの入口をもっています。『万葉集』の巻三に『大なむち、少彦名のいましけむ、志都(しず)の岩室(いわや)は幾代経ぬらむ』(生石村主真人:おおしのすぐりまひと)と歌われ、大巳貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)2神が、国土経営の際に仮宮とされた志都の石室はこの洞窟といわれています。洞窟の奥には、大正4年(1915)に建てられた万葉歌碑があります。現在崩落により、立入禁止となっています。」(しまね観光ナビHP)

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑をその1262」」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 事前の調べで、洞窟内は崩落のため立ち入り禁止になっていることは分かっていたが、外観だけでも見てみようと、浮布池から車で移動。

 駐車場がないので、空き地に車を停め、海岸縁まで下りて行く。

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 夕方近くであるので、風が冷たい。防潮堤の階段を下り洞窟の前まで行く。洞窟内部は真っ暗で何も見えない。

 幻の歌碑の傍まで来たということで洞窟の外観を撮影。

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静之窟

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窟内は真っ暗

 

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静之窟 万葉歌人碑文説明案内板



 洞窟の中の歌碑が写っている写真がないのか検索してみた。すると「おおだwebミュージアムHP」の「静之窟(大田市)」に次のような洞窟内の歌碑らしいものが写っているのを見つけた。ありがたい。大正四年に建てられた歌碑である。現物を拝みたかった思いがいっぱいであるが写真で見られることができてこんなにうれしいことはない。ありがとうございます。

 

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静の窟万葉歌碑(おおだwebミュージアムHPより引用させていただきました)

 

 予定では、この後、東出雲の歌碑を見に行くことにしていた。今回はスルーすることにした。

江津で田中俊睎氏との出会いという何物にも代えがたい経験をすることができ、一気に島根万葉の大ファンになってしまった。

 何が何でも機会を作ってもう一度訪れたいものである。東出雲の歌碑が呼んでくれるであろう。

 

 今回の島根の万葉歌碑巡りを書くにあたり、梅原 猛著「柿本人麿論 上下」(新潮文庫)を読んでみて、人麻呂流人説に触れ、驚きと同時に、万葉集の読み方、見方が大きく変わった。歌を歌としてとらえるだけでなく、歌群として、収録された位置づけ等をも考えあわせて読み解く必要性を教えられた。歌の背景にある歴史、風土なども絡め、時間軸・空間軸を自在に行き来し、その中で自分なりの歌の解釈なりをしていくべきという、すごい課題がのしかかって来たのである。

 一朝一夕にはいかないが、こつこつと歩んでいくしかない。

 楽しもう、楽しもう、万葉集

 

本稿で、すばらしい思い出のある島根万葉歌碑の紹介は終わりである。次回以降は富山県小矢部市、石川県、福井県の歌碑を紹介してまいります。

引き続きよろしくお付き合い下さい。

 ありがとうございました。 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「しまね観光ナビHP」

★「おおだwebミュージアムHP」