●歌は、「藪波の里に宿借り春雨に隠りつつむと妹に告げめや」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「縁檢察墾田地事宿礪波郡主帳多治比部北里之家 于時忽起風雨不得辞去作歌一首」<墾田地(こんでんぢ)を検察する事によりて、礪波(となみ)の郡(こほり)主帳(しゆちやう)多治比部北里(たぢひべのきたさと)が家に宿る。時に、たちまちに風雨起(おこ)り、辞去すること得ずして作る歌一首>である
(注)こんでん【墾田】:律令制下、新たに開墾した田。朝廷が公民を使役して開墾した公墾田と、有力社寺や貴族・地方豪族が開墾した私墾田がある。はりた。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは庶民の開墾した土地。
(注)主帳:郡の四等官。公文に関する記録等をつかさどる。
◆夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜
(大伴家持 巻十八 四一三八)
≪書き下し≫薮波(やぶなみ)の里に宿(やど)借り春雨(はるさめ)に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告(つ)げつや
(訳)薮波の里で宿を借りた上に、春雨に降りこめられていると、我がいとしき人に知らせてくれましたか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)つつむ【包む】他動詞:①包む。②隠す。包み隠す。
つつむ 【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。
つつむ 【慎む】他動詞:気がねする。はばかる。遠慮する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)隠(こも)りつつむ:(雨ごもりして)宿にじっとしていること。(伊藤脚注)
(注)や 係助詞 《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。:文末にある場合。
①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。:。
(学研)ここでは②の意
(注)この歌の「妹」:家持の妻、坂上大嬢のことである。
左注は、「二月十八日守大伴宿祢家持作」<二月の十八日に、守大伴宿禰家持作る>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その859)」で紹介している。
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この歌の作られた二月十八日前後に、家持の妻坂上大嬢が越前に来ていたものと思われる。四一三八歌は巻十八の巻末歌である。巻十九は天平勝宝二年三月一日から始まっているが、四一五三歌まで、三日間で十五首(二日までの二日間では十二首)も詠っている。単身赴任の越中に妻が来てくれたが故に気持ちが充実していたからであろう。
小生も単身赴任の期間が結構長かったので、この気持ちは十二分に理解できるのである。
十五首は歌のみであるが、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その819)」で紹介している。
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島根万葉歌碑巡りの次は、本稿から北陸シリーズである。
令和3年11月11日~12日、コロナ禍がようやく一段落したことでもあり、北陸万葉歌碑巡りを行った。1年ぶりの北陸行である。前回行こうとしたが、情報不足であきらめた源平ラインの万葉公園について、今回は事前に小矢部市観光協会に問い合わせ、資料も入手できたので念願が果たせた。ストリートビューの画面をベースに、万葉公園への入口などきめ細かいデータを送ってもらえたのである。
天気予報は、10日ほど前からみていたが、オーマイガー北陸はほぼ「雨」。何と3時間ごとの予報には傘マークがびっしり。現役の時は、晴れ男であったのに、万葉歌碑巡りとなると雨が多い。なぜ?
雨も本格的な降りが予報されている。カメラが濡れるのは避けられそうにない。カメラの雨用カバーを通販などで探すもしっくりこない。
この際とばかり、御守りにでもなればと段ボールに、プラ袋をかぶせ、透明プラシートを前後に貼り付けたタイプのカバーを作ったのである。
ただ、残念ながら、北陸の晩秋のスコールはただものではなかった。想像以上であった。結局、カバーは、役にはたたなかったのである。考えが甘かった。
スケジュールの変更も余儀なくされた。
実際の足取りは次の通りとなった。
■■11月11日■■
富山県小矢部市臼谷 臼谷八幡宮→小矢部市源平ライン口地蔵堂前 砺波の関碑→同源平ライン源平ライン砺波の関跡・万葉公園→→石川県河北郡津幡町 倶利伽羅公園→石川県羽咋市千里浜海岸 千里浜レストハウス→福井県越前市 万葉の里「味真野苑」→清水川万葉大橋欄干
■■11月12日■■
福井県坂井市 三國神社→福井県越前市 小丸城跡→同 城福寺門前→同志水頭町 魚友支店横→同東千福町 ふるさとギャラリー淑羅
11日は、楽しみにしていた、なぎさドライブウエーも走行禁止。千里浜レストハウスでは、風雨が異常。車から外に出て歌碑のほうへ行こうとすると、傘は飛ばされるは、激しい雨にたたきつけられるはと散々な目に。ほぼ全身びしょ濡れ。風に逆らい、雨に打たれ歌碑の撮影はなんとか終えた。タオルは相当用意していたので車中ではミイラ状態に。車内温度を上げ、座席シートの暖房で救われたようなものであった。途中のPAで着替え。
このような経験は二度としたくない。でも歌碑巡りは行きたい。
詳細は追って歌碑紹介と共に・・・
≪11月11日≫
出発は午前3時、予定通り8時に現地に到着。この時は小雨がパラつくていどであった。雨に洗われたような朝の神社は、一層神々しく感じる。社殿は雪囲いの中である。
雨に濡れた参道石段を上ると、拝殿の左側に歌碑はあった。
家持も、「春雨(はるさめ)に隠(こも)りつつむ」と詠っているが、計画の最初が雨で「隠りつつむ」ほどであった、そのような歌碑を選んだのがケチのつき始めだったのだろうか。
前回の島根県益田市の島根県立万葉公園に行った時もそうであったが、午前3時の出発は、その日を有効に活用できるので今後も午前3時出発を基本に考えてスケジュールを組もう。
万葉集の魅力に迫る歌碑巡りの旅はまだまだ続く。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」