万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1344)―富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)―万葉集 巻十八 四〇八五

●歌は、「焼太刀を礪波の関に明日よりは守部遣り添え君を留めむ」である。

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富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)<新碑>(大伴家持

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富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)<旧碑>(大伴家持

●歌碑は、富山県小矢部市蓮沼 砺波の関跡石碑(地蔵堂前)にある。新旧碑が建っている。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「天平感寶元年五月五日饗東大寺之占墾地使僧平榮等 于時守大伴宿祢家持送酒僧歌一首」<天平感宝(てんびやうかんぽう)元年の五月の五日に、東大寺の占墾地使(せんこんぢし)の僧平栄(びやうえい)等に饗(あへ)す。時に、守大伴宿禰家持、酒を僧に送る歌一首>である。

(注)天平感寶元年:749年

(注):寺院に認められた開墾地の所属を確認するための使者。(伊藤脚注)

 

◆夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎等登米

      (大伴家持 巻十八 四〇八五)

 

≪書き下し≫焼大刀(やきたち)を礪波(となみ)の関に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添(そ)へ君を留(とど)めむ                    

 

(訳)焼いて鍛えた大刀(たち)、その大刀を磨(と)ぐという礪波(となみ)の関に、明日からは番人をもっとふやして、あなたをお引き留めしましょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やきたちの【焼き太刀の】分類枕詞:①太刀を身につけるところから、近くに接する意の「辺(へ)付かふ」にかかる。②太刀が鋭い意から「利(と)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意

(注)礪波の関:富山県小矢部おやべ市の砺波山に置かれた古代の関所。倶利伽羅くりから峠の東麓にあたり、加賀と越中を結ぶ旧北陸道の要地。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)もりべ【守部】名詞:番人。特に、山野・河川・陵墓などの番人。(学研)

 

 占墾地使に関する記述は、高岡市万葉歴史館HPの「越中国東大寺開田図の写真複製

(実物大)」に「天平勝宝元年(749)に、諸大寺の墾田私有が認められた際、東大寺が開墾して私有田にすることを許されたのは4,000町でした。この田地を確保するため、東大寺占墾地使僧平栄越中国越前国におもむき、国司や郡司の協力を得ながら、大規模な墾田地の占定作業を進めました。

 こうして確保した東大寺領が越中国には10か所あり、その墾田地の地図が正倉院その他に17枚残っています。その地図を東大寺開田図と呼んでいるのです。これらの地図には、田地の面積、所領地の四方の境、開発状況等がくわしく図示・記入されているため、古代の土地経営を知る貴重な手がかりになっています。」とある。

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源平ライン口・地蔵堂前 礪波の関碑



 平城遷都とともに大仏建立が開始された。天平二十一年(749年)二月陸奥国(みちのくのくに)から黄金が献上された。

 このあたりのことに関しては、藤井一二氏の著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」  (中公新書)に詳しく次のように書かれている。

 「四月一日聖武天皇光明皇后・皇太子(阿倍内親王<あべびひめみこ>)ならびに群臣らと東大寺行幸した。・・・陸奥国小田郡で産出した黄金を献上した(『続日本紀天平勝宝元年四月甲午朔条)。・・・天平勝宝元年(七四九)四月一日に廬舎那仏の前で奏上した宣命(せんみょう)には、黄金の献上とともに『寺々尓墾田地許奉利(てらでらにはりたのゆるしたてまつり)・・・』とする寺院墾田地許可令(じいんこんでんちきょかれい)が含まれた。それはまもなく全国的に展開する東大寺荘園を実現する画期となる・・・天皇は二週間後の一四日にも東大寺行幸・・・この時期、東大寺僧平栄(へいえい)らは、東大寺の墾田地(荘園)を占有するため、占墾地使(せんこんちし)として越中に入って活動していた。五月五日、大伴家持は平栄ら一行をもてなし、酒を贈る歌を作った。」

(注)天平二十一年(749年)四月十四日に改元されている。

(注)阿倍内親王:後の孝謙天皇

 

 大伴家持天平十八年(746年)から越中国司として赴任していた。天平二十一年の宣命越中国で読んでいる。その宣命は、特に大伴氏・佐伯氏の武門を讃え、祖先以来「海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)、山行かば草むす屍、大君の辺(へ)にこそ死なめ、のどには死なじ」と言挙げしてきたと述べ、変わらぬ奉仕を求めているものであった。

(注)のどに【長閑に】副詞:長閑のどかに。穏おだやかに。(『Wiktionary』<日本語版>)

 

 この宣命を読んだ家持は、感動しこの宣命を寿ぐ歌を詠んだのである。

 こちらもみてみよう。

 

 題詞は、「賀陸奥國出金 詔書歌一首并短歌」<陸奥(みちのく)の國に金(くがね)を出だす詔書を賀(ほ)く歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

◆葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日嗣等 之良志久流 伎美能御代ゝゝ 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王乃 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 多之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鶏鳴 東國能 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可ゝ里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓ゝゝ 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆 許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴乃 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主等 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜能子等毛曽 大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利尒 大王能 三門乃麻毛利 和礼乎於吉弖且 比等波安良自等 伊夜多氐 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 <一云 乎> 聞者貴美<一云 貴久之安礼婆>

      (大伴家持 巻二十 四〇九四)

 

≪書き下し≫葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国を 天(あま)下(くだ)り 知(し)らしめしける すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 御代(みよ)重(かさ)ね 天(あま)の日継(ひつぎ)と 知らし来(く)る 君の御代(みよ)御代(みよ) 敷きませる 四方(よも)の国には 山川(やまかは)を 広み厚みと 奉(たてまつ)る 御調(みつき)宝(たから)は 数(かぞ)へえず 尽(つく)くしもかねつ しかれども 我が大君(おほきみ)の 諸人(もろひと)を 誘(いざない)ひたまひ よきことを 始めたまひて 金(くがね)かも 確(たし)けくあらむと 思ほして 下(した)悩(なや)ますに 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 陸奥(みちのく)の 小田(をだ)にある山に 金(くがね)ありと 申(まう)したまへれ 御心(みこころ)を 明(あき)らめたまひ 天地(あめつち)の 神(かみ)相(あひ)うづなひ すめろきの 御霊(みたま)助けて 遠き代(よ)に かかりしことを 我が御代(みよ)に 顕(あら)はしてあれば 食(を)す国は 栄(さか)えむものと 神(かむ)ながら 思ほしめして もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 奉(まつ)ろへの 向けのまにまに 老人(おいひと)も 女(をみな)童(わらは)も しが願ふ 心(こころ)足(だ)らひに 撫(な)でたまひ 治(をさ)めたまへば ここをしも あやに貴(たふと)み 嬉(うれ)しけく いよよ思ひて 大伴(おほとも)の 遠つ神(かむ)祖(おや)の その名をば 大久米(おほくめ)主(ぬし)と 負(を)ひ持ちて 仕(つか)へし官(つかさ) 海行かば 水浸(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね) 大君(おほきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと言立(ことだ)て ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 大伴(おほとも)と 佐伯(さへき)の氏(うぢ)は 人の祖(おや)の 立つる言立(ことだ)て 人の子は 祖(おや)の名絶たず 大君に 奉仕(まつろ)ふものと 言ひ継(つ)げる 言(こと)の官(つかさ)ぞ 梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて 剣太刀(つるぎたち) 腰(こし)に取り佩(は)き 朝(あさ)守(まも)り 夕(ゆふ)の守(まも)りに 大君(おほきみ)の 御門(みかど)の守り 我れをおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増(ま)さる 大君(おほきみ)の 御言(みこと)の幸(さき)の <一には「を」といふ> 聞けば貴(たふと)み <一には「貴くしあれば」といふ>

 

(訳)葦原の瑞穂の国、この国を、高天原(たかまがはら)から降(くだ)ってお治めになった天皇の神の命、その神の命の御末が御代を重ねて、日の神の後継ぎとして治めて来られた貴い御代御代を通して、ずっと支配しておられる四方の国々では、山も川も広々と豊かであるとて、奉る貢(みつぎ)の宝は数えきれず、挙げ尽くしようもない。しかしながら、われらの大君が人びとを仏の道にお導きになり、善き業(わざ)をお始めになって、何とか黄金(こがね)が充分にあればとひそかに御心を砕いておられた折も折、鶏が鳴く東の国の陸奥の小田という所の山に黄金があると奏上してきたものだから、御心も晴れ晴れとなさり、「我が業を天地の神々も挙(こぞ)って嘉(よみ)したまい、代々の天皇の御霊もお助け下さって、遠い昔の代にあったと同じことを我が御代にも顕わしてくださったので、我が治める国は栄えるであろう」と、神の御子でましますままにおぼし召されて、もともろの臣下たちを心から仕えさせられるとともに、老人(おいひと)も女(おんな)子どもも、その願いが満ち足りるように、いとしみたまい治めたもうので、われらはそこのところが何とも貴くてならず、嬉(うれ)しさもいよいよつのって、大伴の遠い祖先の神、その名は大久米部の主(あるじ)という誉(ほま)れを背にお仕えしてきた役目柄、「海を行くなら水漬(みづ)く屍(かばね)、山を行くなら草生(む)す屍となり、大君の辺に死のうと本望、我が身を顧みるようなことはすまい」と言葉に唱えて誓ってきた大夫(ますらお)のいさぎよい名、その名を遠く遥かなる時代から今の今まで絶えることなく伝えてきた、祖先の末裔(まつえい)なのだ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓いのままに、「子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものだ」と言い継いできた誓いを守り続ける靫負(ゆげい)の家柄であるぞ。梓の弓を手に掲げ持って、剣の太刀を腰にしっかと帯び、朝にも夕にも大君の御門を守る守り手は、われらをおいてほかに人はあるはずがないと、いよいよますます言立てしその思いはつのるばかり。大君のみ言葉のありがたさが<よ>、承るとただ貴くて<そのお言葉が貴くてならないので>。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)あしはらのみづほのくに【葦原の瑞穂の国】名詞:日本国の美称。 ※葦原にある、みずみずしい稲穂の実る国の意。(学研)

(注)あまのひつぎ【天の日嗣ぎ】名詞:「あまつひつぎ」に同じ。>あまつひつぎ【天つ日嗣ぎ】名詞:「天つ神」、特に天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統を受け継ぐこと。皇位の継承。皇位。(学研)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。➡なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

(注)よも【四方】名詞:①東西南北。前後左右。四方(しほう)。②あたり一帯。いたるところ。(学研)

(注)みつき【貢・調】名詞:租・庸・調(ちよう)などの租税の総称。▽「調(つき)(=年貢(ねんぐ))」を敬っていう語。 ※「み」は接頭語。のちに「みつぎ」。(学研)

(注)確けく>確けし( 形ク ):たしかである。十分である。 (コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)下悩ます:心中気にかけている

(注)とりがなく【鶏が鳴く】:[枕]地名「東 (あづま) 」にかかる。東国の言葉が鳥のさえずりのようにわかりにくいからとも、鶏が鳴くと東から夜が明けるからともいう。(goo辞書)

(注)小田にある山:宮城県遠田群湧谷町黄金迫(はざま)の山

(注)奉ろへ:心から従わせ仕えさせること

(注)向け:服従させること

(注)し【其】代名詞:〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研) ここでは③の意

(注)仕へし官:仕えて来た役目柄

(注)ことだて【言立て】名詞:他に対して、はっきりと口に出して言うこと。言明。(学研)

(注)をつつ【現】名詞:今。現在。「をつづ」とも。(学研)

(注)言の官:名のある家柄

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その821)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 京都の住吉大伴神社にもこの歌の歌碑がある。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

■臼谷八幡宮→礪波の関跡石碑(源平ライン口地蔵堂前)■

 

  10分ほどのドライブ。事前にストリートビューで確認していたので迷うことなく到着。 地蔵堂の前に新旧の「礪波の関」の碑が並んで建てられている。

 新旧共に歌が刻されているが、旧碑は判読できなかった。旧碑は明治42年に建てられたようである。

 

 四〇八五歌の題詞から東大寺建立、改元、寺院墾田地許可令、国司として家持の行政力などの歴史的背景を読み解くことができるのである。たかが題詞、されど題詞である。万葉集の奥の深さである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「『Wiktionary』<日本語版>」

★「高岡市万葉歴史館HP」