万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1345、1346表①)―小矢部市蓮沼 倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(1の表①)ー万葉集 巻十八 四〇八五、三月四日池主の律詩

―その1345―

●歌は、「焼太刀を礪波の関に明日よりは守部遣り添え君を留めむ」である。

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小矢部市蓮沼 倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)万葉歌碑(大伴家持



●歌碑は、小矢部市蓮沼 倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎等登米

      (大伴家持 巻十八 四〇八五)

 

≪書き下し≫焼大刀(やきたち)を礪波(となみ)の関に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添(そ)へ君を留(とど)めむ                    

 

(訳)焼いて鍛えた大刀(たち)、その大刀を磨(と)ぐという礪波(となみ)の関に、明日からは番人をもっとふやして、あなたをお引き留めしましょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やきたちの【焼き太刀の】分類枕詞:①太刀を身につけるところから、近くに接する意の「辺(へ)付かふ」にかかる。②太刀が鋭い意から「利(と)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意

(注)礪波の関:富山県小矢部おやべ市の砺波山に置かれた古代の関所。倶利伽羅くりから峠の東麓にあたり、加賀と越中を結ぶ旧北陸道の要地。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)もりべ【守部】名詞:番人。特に、山野・河川・陵墓などの番人。(学研)

 

 この歌については、前稿ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1344)」で紹介している。

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■礪波の関跡石碑(源平ライン口地蔵堂前)→倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)■

 源平ライン口地蔵堂前の礪波の関跡石碑を見た後、小矢部市観光協会から事前に教えていただいた資料を基に、源平ラインを上って行く。中腹あたりに蛇行する箇所がある。その蛇行が終わるあたり右手に「万葉公園」の白い説明案内板が見えて来る。その右手上り道を上がったところに「倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)万葉歌碑」がある。その左手の上り道入口に「万葉公園」の碑がある。

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まん中に白い「万葉公園」の説明案内板、右手を上れば「倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)万葉歌碑」がある。左手に「万葉公園」の碑があり、上れば万葉公園である。(グーグルマップ・ストリートビューから引用作成いたしました。)

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門構えのような立て看板

 門構えのような立て看板をくぐって行く。看板は風化して文字が読みづらい。「七四六年」「大伴家持」「萬葉」「代表的歌人」「奈良東大寺」「大仏造営」「従五位下」「東大寺の建立は空前の」「墾田拓」「東大寺の荘園」「墾地史僧」「歓待」「酒」などが拾い読みできる程度である。これらから、大伴家持が七四六年越中国司として赴任、万葉集の代表的な歌人であり、東大寺の荘園開拓に手腕を発揮、占墾地史僧平栄を歓待した旨が書かれているものと思われる。

 

 上りきった左手に「砺波の関跡」の説明案内板が建てられている。

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「砺波の関跡」説明案内板

 晴れていれば見晴らしのいい高台に、歌碑と鹿の銅像が建てられている。

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歌碑と鹿の銅像

 

 「倶利伽羅県定公園・万葉公園口(源平ライン)万葉歌碑」を見終わり、「万葉公園」説明案内板に目を通してから「万葉公園」を目指して上って行く。途中から地道になる。割合と急な坂道である。ホウノキの落ち葉が道一杯に広がっている。「ほほがしわ」を主題に家持と講師僧恵行の掛け合い的な歌(巻十九 四二〇四、四二〇五歌)を思い出しながら、踏み分けて上るが多少滑るので要注意である。

 巻十九 四二〇四、四二〇五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その965)」で紹介している。

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 ところどころに真新しい「熊出没注意」の黄色い看板が建てられている。万葉公園といった歴史的なゾーンを独占できるのは良いが、熊注意とは、緊張してしまう。物音がするとドキッとする。(「熊出没注意」の看板を撮影してこなかったのが悔やまれる)

頂上に漸く到着。四阿がある。向かって左に二基、右二三基の歌碑が建てられている。シーンと静まり返っている。時折雨が落ちて来る。何かピーンと張りつめた緊張感がただよう。「熊出没注意」の看板のせいである。

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四阿左二基の歌碑

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四阿右三基の歌碑

 「万葉公園」の歌碑はそれぞれ裏表に複数の歌が刻されているのである。順番に紹介していきます。

 

 

―その1346表①―

●歌は、「桃源は海に通ひて仙舟を泛ぶ 雲罍桂を酌みて三清の湛 羽爵人を催して九曲の流れ・・・」である。

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「万葉公園」万葉歌碑(1)表

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(1の表①)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「七言晩春三日遊覧一首幷序」<七言、晩春三日遊覧一首 幷(あわ)せて序>である。

(注)七言:一句7字の漢詩。ここは八句の律詩(伊藤脚注)

 

◆上巳名辰暮春麗景 桃花昭瞼以分紅 柳色含苔而競緑 于時也携手曠望江河之畔訪酒逈過野客之家 既而也琴罇得性蘭契和光 嗟乎今日所恨徳星己少歟 若不扣寂含章何以攄逍遥之趣忽課短筆聊勒四韻云尓 

 

餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊

柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟

雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流

縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留

 

三月四日大伴宿祢池主

 

≪書簡の書き下し≫上巳(じやうし)の名辰(めいしん)、暮春(ぼしゅん)の麗景(れいけい)なり。桃花は瞼(まなぶた)を昭(て)らして紅(くれなゐ)を分ち、柳色は苔(こけ)を含みて緑(みどり)を競(きほ)ふ。時に、手を携(たづさ)はり曠(はる)かに江河の畔(ほとり)を望み、酒を訪(とぶら)ひ逈(とほ)く野客の家に過(よき)る。すでにして、琴罇(きんそん)性を得、蘭契(らんけい)光を和(やはら)げたり。ああ、今日恨むるところは、徳星すでに少なきことか。もし寂(じやく)を扣(う)ち章を含(ふふ)まずは、何をもちてか逍遥(せうえう)の趣(おもぶき)を攄(の)べむ。たちまちに短筆に課(おほ)せて、いささかに四韻(しゐん)を勒(しる)すと云爾(いふ)。

 

≪律詩の書き下し≫余春の媚日(びじつ)は怜賞(れんしやう)するに宜(よ)く、上巳(じやうし)の風光は覧遊(らんいう)するに足(た)る。

柳陌(りうばく)は江(かは)に臨みて袨服(げんふく)を縟(まだらか)にし、桃源(たうげん)は海に通ひて仙舟(せんしう)を泛(うか)ぶ。

雲罍(うんらい)桂を酌(く)みて三清の湛(たた) 羽爵(うしやく)人を催(うなが)して九曲(きうきよく)の流

縦酔(しょうすい)陶心(たうしん)彼我(ひが)を忘れ、酩酊(めいてい)し処として淹留(えんりう)せずといふことなし

 三月の四日、大伴宿禰池主

 

(書簡の略訳)三月三日の佳き日は、晩春の風景は美しく広がり、桃の花は瞼を輝かせその紅色を見せるかのように、柳は苔とその緑を競っている。時に、友と手を携えて遠く揚子江黄河を眺めるかのように(実際は射水川を眺め)、酒を求めて野に住む人の家にはるばる足をとめる。そして、琴を弾き、酒を楽しむ、蘭の香りのような心の通った交わりは心をやわらげさせる。ああ、今日ような日を怨むことは賢人(家持のこと)がここにいないことであろうか。心のうちを揺り動かして詩章を綴らなかったら、何をもってそぞろ歩きのような趣を表すことになるのか。そこで拙い文章ではあるが、ちょっとした四韻の詩を書きつけたしだいです、

(注)上巳:月の上旬の巳の日の吉日。ここは三月三日。(伊藤脚注)

(注)江河:揚子江黄河。ここは射水川。(伊藤脚注)

(注)酒を訪(とぶら)ひ逈(とほ)く野客の家に過(よき)る:酒を求めて野に住む人の家にはるばる足をとめる。「野客」は友人を野に住む隠者に見立てたもの。(伊藤脚注)

(注の注)やかく【野客】:山野に住む人。また、仕官しない人。在野の人。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)きんそん【琴樽】〘名〙:琴と酒樽。琴を奏したり酒を飲んだりすること。楽しく遊ぶこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)蘭契:らんかう【蘭交】に同じ:《「易経」繋辞上から》友人間の、心の通い合った交わり。その美しさを蘭の香りにたとえていう。金蘭の契り。蘭契。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)とくせい【徳星】:①吉兆のしるしとしてあらわれる星。②徳のある人。賢人。③木星の異称。(goo辞書) 

(注の注)徳星:賢人の譬えで、ここは暗に家持をさす。(伊藤脚注)

(注)もし寂(じやく)を扣(う)ち章を含(ふふ)まずは、:心のうちを揺り動かして詩章を綴らなかったら。(伊藤脚注)

(注)四韻:次の律詩の第二・四・六・八句遊・舟・流・留の末字を押韻させた詩。(伊藤脚注)

(注)たんぴつ【短筆】〘名〙:文章や文字のへたなこと。また、つたない文章や筆跡。拙筆。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)おほす【負ほす・課す】他動詞:①背負わせる。②(責めを)負わせる。(罪を)かぶせる。③名づける。命名する。④(傷・害を)負わせる。⑤(労役・債務・租税などを)課する。負担させる。 ※「お(負)はす」の変化した語(学研)

(注)いささかなり【聊かなり・些かなり】形容動詞:ほんのわずかだ。ほんの少しだ。(学研)

(注)しるす 他動詞:(一)【徴す】前兆を示す。きざしを見せる。(二)【標す】目印とする。(三)【記す・誌す】書き付ける。記録する。(学研)ここでは③の意

 

 

(律詩の訳)

晩春のうららかなる日ざしは賞美するに甲斐(かい)あり、

上巳のさわやかなる風景は遊覧するに値する。

柳の路は江に沿うて人の晴れ着を色様々に染め、

桃咲く里は流れ海に通じて仙舟を浮かべる。

雲雷模様の酒壺に桂(かつら)の香を酌み入れて清酒(すみざけ)満々、

鳥型(とりがた)の盃は詩詠を促して曲がりくねる水面潺々(せんせん)。

欲しきままに酔い陶然(とうぜん)として彼我を忘れ、

酩酊して所かまわず坐(すわ)りこむばかり。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よしゅん【余春】〘名〙:① 春の末。晩春。② 立夏が過ぎてもまだ春らしさが残っていること。また、その時季。旧暦の四月。《季・夏》(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは①の意

(注)媚日:なまめいた日ざし。(伊藤脚注)

(注)【柳陌】リュウハク:①柳のあるあぜみち。②いろざと。③花柳街。(広辞苑無料検索学研漢和大字典)

(注)げんぷく【袨服】:①黒色の衣。②はれぎ。盛装。(広辞苑無料検索 広辞苑)ここでは②の意

(注)桃源:桃の花咲く里を仙境に見立てた。(伊藤脚注)

(注)雲罍(うんらい)桂を酌(く)みて:入道雲の形を刻んだ酒壺は桂の香りを入れて。(伊藤脚注)

(注)さんせい【三清】〔名〕 清酒をいう。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注)たたはしい【湛】〘形〙 (四段動詞「たたう(湛)」の形容詞化した語):① (満月のように)満ちているさまである。欠けたところのないさまである。② 大きくて威厳がある。いかめしく、立派である。厳格である。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)羽爵>うしょう【羽觴】に同じ:もと、雀すずめの形に作って頭部や翼などをつけた杯のこと。転じて、杯。酒杯。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)きうきょく【九曲】〘名〙: 数多く曲がりくねること。また、その所。ななまがり。つづらおり。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)縦酔陶心彼我を忘れ:欲しいままに酔い、うっとりしてすべてを忘れ。(伊藤脚注)

(注)えんりう【淹留】[名]:長く同じ場所にとどまること。滞留。滞在。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 この歌は、家持が越中に赴任して初めて迎えた新春であったが、二月下旬に病に倒れたのである。二月の二十日の三九六二歌の題詞に、「たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨む・・・」とある。「枉疾」の「枉」には、道理をゆがめる等の意味があるから、思いもかけない煩わしい病にかかり、「泉路」(黄泉へのみち。死出の旅路。<goo辞書>)をさまようほどの不安感にさいなまれていることがわかる。

 万葉時代の、極寒の鄙ざかる越中で病に倒れた家持の心中がうかがい知れる。小生も単身赴任が長かったが、熱がありふらふらになると不安感におしつぶされそうになる。夜中の部屋の暗さは重みを感じる。水を飲みたいと思っても自分で台所まで這って行かなければならない。みじめにもなる。家持はお付きの人がいたであろうが、それでも不安な気持ちはいたたまれなかったのであろう。

 家持は、病床にあり不安と悲しみのなか歌を作り池主に贈っている。その時の家持と池主のやりとりは次のよに三月五日まで及んでいる。

 

天平十九年二月二十日、大伴家持→大伴池主、病に臥して悲傷しぶる歌一首(三九六二歌)ならびに短歌(三九六三、三九六四歌)

◇同二月二十九日、家持→池主 書簡ならびに悲歌二首(三九六五.三九六六歌)

◇三月二日、池主→家持 書簡ならびに歌二首(三九六七、三九六八歌)

◇三日、家持→池主 書簡ならびに短歌三首(三九六九~三九七二歌)

◇四日、池主書簡ならびに七言漢詩

◇五日、池主→家持 書簡ならびに歌一首(三九七三歌)幷せて短歌(三九七四・三九七五歌)

◇五日、家持→池主、書簡、七言一首ならびに短歌二首(三九七六、三九七七歌)

 

 書簡・三九六五.三九六六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その959)」で紹介している。

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 序・三九六九、三九七〇、三九七一、三九七二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その854)」で紹介している。

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 三九七三、三九七四、三九七五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その702)」で紹介している。

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 いやはや、漢詩となると検索辞書と首っ引きである。知らない言葉がこんなにもあるのだ。参りました。

 万葉集はこのような勉強まで強いてくるのである。しかしくらいついていくしかない。万葉集に叱咤、叱咤、叱咤されている毎日である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「広辞苑無料検索」

★「グーグルマップ・ストリートビュー

★「万葉歌碑めぐりマップ」(高岡地区広域圏事務組合)