●歌は、「・・・白玉の見が欲し御面直向ひ見む時までは松柏の栄えいまさね貴き我が君」である。
●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(1の裏①)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「為家婦贈在京尊母所誂作歌一首 幷短歌」<家婦(かふ)の、京に在(いま)す尊母(そんぼ)に贈るために、誂(あとら)へられて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。
(注)かふ【家婦】〘名〙: 家の妻。また、自分の妻。家の中の仕事をする女の意でいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注の注)ここでは、前年の秋に下向した家持の妻、坂上大嬢のこと。
(注)そんぼ【尊母】:他人の母を敬っていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注の注)ここでは、大伴坂上郎女をいう。
(注)あつらふ【誂ふ】他動詞:①頼む。②(物を作るように)注文する。あつらえる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
越中の家持のところ都から来た妻の坂上大嬢にかわって、京にいる母(大嬢の母、大伴坂上郎女)に長歌と短歌を贈っている。ある意味美辞麗句も歌として詠み込まれていると気持ちを表したものと受けとめられるのであろう。当時の相聞歌のべたべた感が当たり前の時代であったことを考えるとさもありなんある。
◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須家奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 <御面謂之美於毛和>
(大伴家持 巻二十 四一六九)
≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 白玉(しらたま)の 見が欲(ほ)し御面(みおもわ) 直向(ただむか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄(さか)えいまさね 貴(たひとき)き我(あ)が君 <御面、みおもわといふ>
(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、累々と重なる山の尾根に立つ雲、その雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まる暇もなく、思う心は苦しくてなりません。奈呉の海人(あま)がもぐって採るという真珠のように、見たい見たいと思う御面(みおも)、そのお顔を目(ま)の当たりに見るその時までは、どうか常盤(ときわ)の松や柏(かしわ)のように、お変わりなく元気でいらして下さい。尊い我が母君様。<御面は「みおもわ」と訓みます>
(注)「ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の」は序。「かぐはしき」を起こす。
(注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(学研)
(注)みこと【御言・命】名詞:お言葉。仰せ。詔(みことのり)。▽神や天皇の言葉の尊敬語。 ※「み」は接頭語。上代語。(学研)
(注)やまのたをり【山のたをり】分類連語:山の尾根のくぼんだ所。(学研)
(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)
(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意
(注)やすげなし【安げ無し】形容詞:安心できない。落ち着かない。不安だ。(学研)
(注)「奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の」は序。「見が欲し」を起こす。
(注)まつかへの【松柏の】[枕]:松・カシワが常緑で樹齢久しいところから、「栄ゆ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)あがきみ【吾が君】名詞:あなた。あなたさま。▽相手を親しんで、また敬愛の気持ちをこめて呼びかける語。(学研)
この歌ならびに四一七〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1123)」で紹介している。
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「奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃(奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の)」というフレーズがあるが、この「奈呉の海」については、高岡市万葉歴史館HPに「奈良時代に国府があった高岡市伏木と、射水川(現小矢部川)を挟んで対峙する 新湊市の海浜部に『奈呉』と称する地区があります。
『奈呉の浦』は、この一帯の海岸のことを指しています。
その奈呉の浦近くにある放生津八幡宮には、家持を祀る『祖霊社』があります。
下の白黒写真は、八幡宮裏にひろがる『奈呉の浦』の景色ですが、
ここも現在はすっかり埋め立てられて、近代的な 漁港となっています。
」と書かれている。
放生津八幡宮には、家持の「あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小舟漕ぎ隠る見ゆ(巻十七 四〇一七)」の歌碑がある。
この歌ならびに放生津八幡宮についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その861)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「高岡市万葉歴史館HP」
★「グーグルマップ」
★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)