万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1348表③)―小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3の表③)―万葉集 巻十七 三九九一

●歌は、「・・・玉櫛笥二上山に延ふ蔦の行きは別れずあり通ひいや年のはに思うどちかくし遊ばむ今も見るごと」である。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3の表③)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(3の表③)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「遊覧布勢水海賦一首幷短歌  此海者有射水郡舊江村也」<布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧する賦(ふ)一首幷せて短歌 この海は射水の郡(いみづのこほり)の古江村(ふるえむら)に有り>である。

(注)布勢の水海:二上山の西北麓。富山県氷見市南部にあった湖。今は陸地。(伊藤脚注)

(注)賦:中国の韻文の一体。感じる所をそのままに詠じた韻文。ここでは長歌の意に当てたもの。(伊藤脚注)

(注)古江:氷見市南部にあった村。(伊藤脚注)

 

◆物能乃敷能 夜蘇等母乃乎能 於毛布度知 許己呂也良武等 宇麻奈米氐 宇知久知夫利乃 之良奈美能 安里蘇尓与須流 之夫多尓能 佐吉多母登保理 麻都太要能 奈我波麻須義氏 宇奈比河波 伎欲吉勢其等尓 宇加波多知 可由吉加久遊岐 見都礼騰母 曽許母安加尓等 布勢能宇弥尓 布祢宇氣須恵氐 於伎敝許藝 邊尓己伎見礼婆 奈藝左尓波 安遅牟良佐和伎 之麻末尓波 許奴礼波奈左吉 許己婆久毛 見乃佐夜氣吉加 多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等

     (大伴家持 巻十七 三九九一)

 

≪書き下し≫もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)の 思ふどち 心遣(や)らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒礒(ありそ)に寄する 渋谿(しふたに)の 崎(さき)た廻(もとほ)り 麻都太江(まつだえ)の 長浜(ながはま)過ぎて 宇奈比川(うなひがは) 清き瀬ごとに 鵜川(うかは)立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽(あ)かにと 布施の海に 舟浮け据(す)ゑて 沖辺(おくへ)漕(こ)ぎ 辺(へ)に漕ぎ見れば 渚(なぎさ)には あぢ群(むら)騒(さわ)き 島廻(しまみ)には 木末(こぬれ)花咲き ここばくも 見(み)のさやけきか 玉櫛笥(たまくしげ) 二上山(ふたがみやま)に 延(は)ふ蔦の 行きは別れず あり通(がよ)ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと

 

(訳)数多くの官人たちが、親しい者同士で気晴らしにと、馬を打ち連ねて、うちくちぶりの、白波が荒磯に寄せる渋谿の崎をぐるりと廻(めぐ)り、麻都太江の長浜を通り過ぎて、宇奈比川の清らかな瀬ごとに鵜飼(うかい)を楽しんだり、あちらへ行きこちらへ行きして見て廻ったりしたが、それでもまだ物足りないと、布勢の水海に舟を浮かべて、沖を漕ぎ岸辺を漕ぎして見わたすと、波打ち際にはあじ鴨が群れ遊び、島陰(しまかげ)には木々の枝先一杯に花が咲いていて、ここの眺めはまあこんなにも見る目にさわやかであったのか。あの二上山にからみあって、這い延びて行く蔦のように、別れ別れになったりせずに、ずっと通い続けて、来る年も来る年も、気心合った仲間同士、こうして遊ばんものぞ。今見わたして楽しんでいるように。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)やそとものを【八十伴の緒・八十伴の男】名詞:多くの部族の長。また、朝廷に仕える多くの役人。(学研)

(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(学研)

(注)こころをやる【心を遣る】分類連語:①気晴らしをする。心を慰める。②得意がる。自慢する。 ※「心遣る」とも。(学研)

(注)うちくちぶり:語義未詳。 [補注]諸説ある。(1)「をちこちふり(遠近振)」で、遠近の磯に振う意。(2)「打ち来ちぶり」で、「ちぶり」は地名。(3)「うちくち」は打ち崩す意、「ちぶり」は寄せる波の意。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)渋谿:富山県高岡市太田(雨春)の海岸。(伊藤脚注)

(注)麻都太江:渋谿から氷見にかけての海岸。今、松田江というあたり。(伊藤脚注)

(注)宇奈比川:氷見市北方を流れる宇波川(伊藤脚注)

(注)鵜川立ち:鵜飼をすること。(伊藤脚注)

(注)あぢ【䳑】名詞:水鳥の名。秋に飛来し、春帰る小形の鴨(かも)。あじがも。ともえがも。(学研)

(注)ここばく>ここば 【幾許】副詞:甚だしく。たいそう。こんなにも。 ※上代語。(学研)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注)「玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 」は序。「行きは別れず」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

 

 布勢水海(ふせのみずうみ)については、「コトバンク 小学館デジタル大辞泉プラス」に「富山県氷見市にある潟湖、十二町潟の旧称。『万葉集』の大伴家持の歌などに記述が見られる。江戸時代の新田開発を経て改称。」と書かれている。

 三九九一歌ならびに十二町潟についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その813)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 布勢神社がある布勢の円山は、布勢水海(十二町潟)が埋め立てられる前は島であったことについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その816)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 この「布勢の水海に遊覧する賦」は、「二上山の賦」、「立山の賦」とともに家持が詠んだ「三賦」と呼ばれている。

 「レファレンス協同データベース」には、次のように書かれている。

「『富山大百科事典』の『越中万葉-越中五賦』の項によると、『大伴家持越中守在任中に詠んだ叙事詩長歌3首(越中三賦)と、それに唱和した大伴池主の長歌2首を合わせた5首。越中の代表的な風景を詠んだ家持の『二上山の賦』『布勢水海に遊覧する賦』『立山の賦』と、池主の『敬みて布勢水海に遊覧する賦に和ふる』『敬みて立山の賦に和ふる』で、〈万葉五賦〉ともいう。」

 越中三賦や万葉五賦という言い方があるようである。

 

 二上山の賦(巻十七 三九八五)ならびに短歌二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その824)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 立山の賦(巻十七 四〇〇〇)ならびに短歌二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その826)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 家持は、中国文学を学び「賦」という考え方をとり込んだりと、進取の気性に富んでいたようである。万葉集には家持によって蓄積されたエネルギーを感じさせる場面が多いのである。

 万葉集に脱帽の日々の連続である。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「レファレンス協同データベース」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)