万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1348表⑤)―小矢部市蓮沼 万葉公園(3表⑤)―万葉集 巻十六 四一〇六

●歌は、「・・・世の人の立てる言立てちさの花咲ける盛りにはしきよしその妻と子と朝夕に笑みみ笑まずもうち嘆き語りけまくはとこしへにかくしもあらめや・・・」である。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(3表⑤)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(3表⑤)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良无 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐   言佐夫流者遊行女婦之字也

    (大伴家持 巻十六 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言い継(つ)ぎけらく 父母を 見れば尊(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛もあらむと 待たしけむ 時の 盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹(いも)が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ) 溢(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 佐夫流(さぶる)その子に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ   左夫流と言ふは遊行女婦が字なり

 

(訳)大汝命と少彦名命(みこと)が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見ると尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風(ふう)に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、言葉どおりに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時にほほ笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の花の盛りのように栄える時もあろう」という言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞさびしいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくてうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつきあって、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底に深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何とまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)大汝少彦名:大国主命少彦名命。集中で物事の由来の古いことを説くのに持ち出されることが多い。(伊藤脚注)

(注)ちさ【萵苣】名詞:木の名。えごのき。初夏に白色の花をつける。一説に「ちしゃのき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。※上代語。(学研) ⇒参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

(注)ゑむ 【笑む】①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)ことよす【言寄す・事寄す】①言葉や行為によって働きかける。言葉を添えて助力する。②あるものに託す。かこつける。③うわさをたてる。(学研)ここでは①の意

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研)

(注)「南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ」は序。「左夫流」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ひものおの【紐の緒の】 枕詞 :① 紐を結ぶのに、一方を輪にして他方をその中にいれるところから、「心に入る」にかかる。 ② 紐の緒をつなぐことから、比喩的に「いつがる」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林

(注)いつがる【い繫る】つながる。自然につながり合う。「い」は接頭語。(学研)

(注)にほどりの【鳰鳥の】枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

(注)さどふ:血迷う意か。(伊藤脚注)

(注)すべもすべなさ【術も術なさ】分類連語:どうにもしようがないことだ。 ※「すべなし」を強めたもの。(学研)

 

題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首幷短歌」<史生尾張少咋(をはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。

家持が、部下の尾張少咋が遊行女婦の佐夫流子と現を抜かしていることを諭している歌である。

「南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ) 溢(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ」と心がさびれるそんな「佐夫流(さぶる)子」と「紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる」となんとふがいない日常かと非難し、「君が心の すべもすべなさ」とあきれかえっている。

尾張少咋のこころに楔が打ち込まれたそのような衝撃があったであろう。

この歌ならびに短歌三首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その473)」で紹介している。

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 四一〇九歌の「紅はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも」はなかなか含蓄のある言い回しである。また四一〇八歌の「里人の見る目恥ずかし」のフレーズには、怒りの気持ちを抑えきれないのがにじみ出ている。

 

 「橡」を古女房と譬える歌をみてみよう。

◆橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利

      (作者未詳 巻十二 三〇〇九)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

 

(訳)橡(つるばみ)染めの地味な衣を解いて洗って、また打つという、真土(まつち)山のような、本つ人―古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)もとつひと【元つ人】名詞:昔なじみの人。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)真土山(読み)マツチヤマ:奈良県五條市和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[枕]同音の「待つ」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その703)」で紹介している。

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 一方、「紅」は人をひきつける魅力的なイメージで詠われている。

 高橋虫麻呂の一七四二歌をみてみよう。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

     (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1155)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 男女の機微は万葉も今も変わらないものである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 三省堂大辞林

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)