万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1354)―石川県羽咋市千里浜町 能登千里浜レストハウス北―万葉集 巻十七 四〇二五

●歌は、「志雄道から直越え来れば羽咋の海朝なぎしたり舟楫もがも」である。

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石川県羽咋市千里浜町 能登千里浜レストハウス北万葉歌碑(大伴家持

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四〇二五歌碑文




●歌碑は、石川県羽咋市千里浜町 能登千里浜レストハウス北にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「赴参氣太神宮行海邊之時作歌一首」<気太(けだ)の神宮(かむみや)に赴(おもぶ)き参り、海辺を行く時に作る歌一首>である。

(注)気多大社(けたたいしゃ):創建二千年もの歴史を持つ能登一宮。(中略)古くは天平二十年(748年)、当時越中国守であった大伴家持能登巡行の折に「気太神宮」に赴いたと「万葉集」にみえる(後略)(羽咋市HP)

 

◆之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈藝思多理 船梶母我毛

      (大伴家持 巻十七 四〇二五)

 

≪書き下し≫志雄道(しをぢ)から直(ただ)越え来れば羽咋(はくい)の海朝なぎしたり船楫(ふなかぢ)もがも

 

(訳)志雄越えの山道を辿(たど)ってまっすぐに越えてくると、羽咋の海は今しも朝凪(あさなぎ)している。舟の櫂(かい)でもあればよいのに。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)志雄道:富山県氷見市から西へ、石川県羽咋市の南の志雄へ越える道。臼が峰を床鍋から深谷へ抜ける道か。(伊藤脚注)

 

 羽咋市HPの「大伴家持の歌碑」には、次のように書かれている。

奈良時代の官人(つかさびと)であり、『万葉集』の歌人・編さん者としても知られる大伴家持は、天平十八年(746年)、富山県高岡市伏木の越中国府に国司として着任しました。

天平二十年(748年)の春、国司の務めである『出挙(すいこ)』(春に種もみを貸し付け、秋の収穫時に利息とともに回収する)のため、当時越中国に属していた能登国を視察・巡行。

家持は之乎路と呼ばれる峠道を越えて羽咋郡に入り、『気多神宮』を参拝しました。その際に羽咋の海の風景に感じ入り残した歌です。(歌ならびに現代訳は省略)

歌碑は、市内有志らによる『羽咋市郷土研究会』が家持の万葉歌碑建設を計画し、昭和37年11月に千里浜海岸の砂丘上に設置したものです。

独特の形状は、家持が歌に詠んだ『船梶』をデザインしたもので、気多大社に向けて建てられています。碑文の歌の文字は『寛永万葉集』(1643年)から、『家持』の文字は『太政官符(だじょうかんぷ)』(太政官が役所や諸国に下した古代の公文書)に書かれた家持直筆の署名部分から取り摸刻したものです。(後略)」と書かれている。

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歌の解説案内板

 

倶利伽羅公園➡石川県羽咋市千里浜海岸 千里浜レストハウス

 倶利伽羅公園の歌碑を見て、次の目的地石川県羽咋市千里浜海岸 千里浜レストハウスを目指す。

「のと里山街道」をひたすら北上する。この街道を北上するにつれ天候が刻一刻変化してくる。これまでは「雨」といっても降ったりやんだりで、事前に作っておいたカメラカバーを使うほどではなかった。

しかし左手に見える海は大荒れで白波がたっている。鉛色の空、茶色っぽい海、荒れ狂う白波、まさに冬の日本海のイメージそのものである。

しかも楽しみにしていた「なぎさドライブウェー」は、道路案内標識に走行禁止と出ている。

 ようやく現地到着。レストハウスの北側の広場に歌碑が建っている。しかし風と雨がますます激しくなってくる。歌碑の周りは一気に水浸し状態に。うっかり車を近づけたら脱出できない恐れも。レストハウス側の比較的水溜まりの少ないところに車を停める。

あまりにも激しい雨と風なのでカメラカバーを準備しても風で吹っ飛ばされるのがおちである。フロントガラスにたたきつける雨。意を決し傘をさして碑の方に歩き出す。突然、これまでの激しさを上回る晩秋のスコールといえるほどの土砂降りプラスアルファ―の雨。さらに強い風。傘は飛ばされそうになるは、その上帽子は飛ばされるしまつ。歌碑の周りはあっという間に完全水浸し状態。

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歌碑の周りは水浸し


 ここまで来たのにと、カメラはあきらめスマホでの撮影のみに。なんとか歌碑に近づき撮影するも、スマホを安定的に構えることができない。こらえて構えるが風にあおられる。いままでに経験したこともない風雨であった。

 もう全身びしょ濡れ。それでもなんとか写しおえたのである。シャッターボタンマークを押すのが精一杯で写り具合の確認などはできないままであった。

 当初は、福井へ行く途中、なぎさドライブウェーの南端、羽咋郡宝達志水町の歌碑も巡る予定をしていたが、ここはギブアップせざるをえないはめに。

 スマホで天気予報をみてみると越前市は「曇り」になっている。予定を変更し、気を取り直し、越前市万葉の里「味真野苑」をめざす。

 車のワイパーも効かない。叩きつける雨。反対車線の車も黒っぽい灰色の走るブロックにしか見えない。ライトが点いているから車とわかるほどのひどさである。

 雨を予想してのカメラカバーは結局出番なし。

全身びしょ濡れである、寒い。冷たい。

 車中の暖房をガンガンに。雨を予想していたのでかなりの枚数を用意していたバスタオルでぐるぐる巻きに。ミイラ状態である。座席のヒーターのありがたみをどれほどかみしめたことか。

 さすがに限界である。途中のPAに停まり、車の中でごそごそと着替える。

 着替えてしばらくすると嘘の様に雨も小降りに、鉛色の雲の合間に晴れ間も。

 万葉の里に到着すると、信じられないような青空。手入れの行き届いた庭園。苔は鮮やかな緑色。今までの苦労も吹き飛ぶ。天国である。

 

 

 歌に話を戻そう。

 

四〇二一から四〇二九歌の左注は、「右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時當所属目作之 大伴宿祢家持」<右の件(くだり)の歌詞は、依春の出挙(すいこ)によりて、諸郡を巡行し、時に当り所に当りて、属目(しよくもく)して作る。大伴宿禰家持>である。

 四〇二一歌から順にみていこう。

(注)しょくもく【嘱目/属目】[名](スル):①今後どうなるか、関心や期待をもって見守ること。②目を向けること。③俳諧で、指定された題でなく即興的に目に触れたものを詠むこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは③の意

 

題詞は、「礪波郡雄神河邊作歌一首」<礪波(となみ)の郡(こほり)の雄神(をかみ)の川辺(かはへ)びして作る歌一首>である。

(注)礪波郡:富山県西南部の郡。越前との境。(伊藤脚注)

 

◆乎加未河泊 久礼奈為尓保布 乎等賣良之 葦附<水松之類>等流登 湍尓多々須良之

      (大伴家持 巻十七 四〇二一)

 

≪書き下し≫雄神川(をがみかは)紅(くれなひ)にほふ娘子(をちめ)らし葦付(あしつき)<水松之類>取ると瀬(せ)に立たすらし

 

(訳)雄神川、この川は一面に紅色に照り映えている。娘子たちが、葦付<水松の一種>を取るとて、裳裾濡らして立っておられるのであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)雄神川:礪波平野を流れる荘川の、富山県砺波市荘川町付近での古名。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1349表④~⑥)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞は。「婦負郡渡鸕坂河邊時作一首」<婦負(めひ)の郡(こほり)にして鸕坂(うさか)の川辺(かわへ)を渡る時に作る一首>である。

(注)婦負の郡:越中中央部の郡。礪波郡の東隣。(伊藤脚注)

(注)鸕坂川:鸕坂辺を流れる神通川の古名か。(伊藤脚注)

 

◆宇佐可河泊 和多流瀬於保美 許乃安我馬乃 安我枳乃美豆尓 伎奴々礼尓家里

      (大伴家持 巻十七 四〇二二)

 

≪書き下し≫ 鸕坂川(うさかがは)渡る瀬(せ)多みこの我(あ)が馬(ま)の足掻(あが)きの水に衣(きぬ)濡(ぬ)れにけり

 

(訳)鸕坂川、この川には渡る瀬が幾筋も流れているので、乗るこの馬の足掻きの水しぶきで、着物がすっかり濡れてしまった。(同上)

(注)衣濡れにけり:衣を干すのは妻の仕事。妻への思いがこもる。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「見潜鸕人作歌一首」<鸕(う)を潜(かづ)く人を見て作る歌一首>である。

 

◆賣比河波能 波夜伎瀬其等尓 可我里佐之 夜蘇登毛乃乎波 宇加波多知家里

      (大伴家持 巻十七 四〇二三)

 

≪書き下し≫婦負川(めひがは)の早き瀬(せ)ごとに篝(かがり)さし八十伴(やそとも)の男(を)は鵜川(うかは)立ちけり

 

(訳)婦負川の早い流れごとに篝火をともして、こんな季節にたくさんの官人(つかさびと)たちは、鵜飼を楽しんでいる。(同上)

(注)婦負川:鸕坂川下流の名か。(伊藤脚注)

(注)やそとものを【八十伴の緒・八十伴の男】名詞:多くの部族の長。また、朝廷に仕える多くの役人。(学研)

(注)うかは【鵜川】名詞:鵜(う)の習性を利用して魚(多く鮎(あゆ))をとること。鵜飼い。また、その川。(学研)

 

 

題詞は、「新川郡渡延槻河時作歌一首」<新川(にひかは)の郡(こほり)にして延槻川(はひつきかは)を渡る時に作る歌一首>である。

(注)延槻川:立山剣岳から発する早月川。(伊藤脚注)

 

◆多知夜麻乃 由吉之久良之毛 波比都奇能 可波能和多理瀬 安夫美都加須毛

      (大伴家持 巻十七 四〇二四)

 

≪書き下し≫立山(たちやま)の雪し来らしも延槻の川の渡り瀬(せ)鐙(あぶみ)漬(つ)かすも

 

(訳)立山の雪が解けてやって来たのであるらしい。この延槻の、川の瀬でも、ふえた水かさで鐙(あぶみ)を浸すばかりだ。(同上)

(注)あぶみ【鐙】名詞:馬具の一つ。鞍(くら)の両脇(りようわき)に垂らして、乗る人が足を踏みかけるもの。(学研)

 

 

題詞は、「能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首」<能登(のと)の郡(こほり)にして香島(かしま)の津より舟を発(いだ)し、熊来(くまき)の村(むら)をさして徃(ゆ)く時に作る歌二首>である。

(注)能登郡:石川県の七尾市鹿島郡の一帯(伊藤脚注)

(注)香島の津:七尾市東部の海岸。(伊藤脚注)

(注)熊来の村:七尾湾西岸の石川県七尾市中島町あたり。(伊藤脚注)

 

◆登夫佐多氐 船木伎流等伊布 能登乃嶋山 今日見者 許太知之氣思物 伊久代神備曽

      (大伴家持 巻十七 四〇二六)

 

≪書き下し≫鳥総(とぶさ)立て舟木(ふなぎ)伐(き)るといふ能登(のと)の島山(しまやま) 今日(けふ)見れば木立(こだち)茂(しげ)しも幾代(いくよ)神(かむ)びぞ

 

(訳)鳥総を立てて祭りをしては船木を伐り出すという能登の島山、この島山を今日この目で見ると、木立が茂りに茂っている。幾代を経ての神々しさなのか。(同上)

(注)とぶさ【鳥総】名詞:樹木の梢(こずえ)や葉の茂った枝先。きこりが木を切ったときに、これを折って、切った跡へ立てて山神を祭る習慣があった。(学研)

(注)能登の島山:七尾湾中央の能登島。(伊藤脚注)

(注)かんび【神】〔名〕:(動詞「かんぶ(神)」の連用形の名詞化。「かむび」と表記) 神さびていること。こうごうしいさまであること。かんさび。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

 

 

◆香嶋欲里 久麻吉乎左之氐 許具布祢能 河治等流間奈久 京師之於母倍由

     (大伴家持 巻十七 四〇二七)

 

≪書き下し≫香島より熊来をさして漕(こ)ぐ舟の楫(かぢ)取る間(ま)なく都し思ほゆ

 

(訳)香島の舟着き場から熊来をさして漕ぎ進む舟、この舟の櫂(かい)を操る手を休める間がないように、ひっきりなしに都のことが思われる。(同上)

(注)「香島より熊来をさして漕ぐ舟の」は序。

 

 

題詞は、「鳳至郡渡饒石川之時作歌一首」<鳳至(ふげし)の郡(こほり)にして饒石(にぎし)の川を渡る時に作る歌一首>である。

(注)鳳至の郡:能登半島北部の郡。石川県輪島市とその周辺。(伊藤脚注)

(注)饒石川:能登半島西岸の門前町剣地の地で日本海に注ぐ川。(伊藤脚注)

 

◆伊母尓安波受 比左思久奈里奴 尓藝之河波 伎欲吉瀬其登尓 美奈宇良波倍弖奈

      (大伴家持 巻十七 四〇二八)

 

≪書き下し≫妹(いも)に逢(あ)はず久しくなりぬ饒石川清き瀬(せ)ごとに水占(みなうら)延(は)へてな

 

(訳)それにしても、あの子に逢わずに久々と日数が重なっている。無事幸いに過ごしているのか、饒石川のこの清らかな瀬という瀬に水占(みなうら)の縄を流してみたい。(同上)

(注)みなうら【水占】〔名〕:(「な」は「の」の意) 古代の占いの一種。川などの水辺で、水を用いる占いかといわれる。具体的な方法は不明。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)縄の流れ方による占いか。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「従珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首」<珠洲(すす)の郡(こほり)より舟を発(いだ)し、太沼の郡に還(かへ)る時に、長浜(ながはま)の湾(うら)に泊り、月の光を見て作る歌一首>である。

 

珠洲能宇美尓 安佐妣良伎之弖 許藝久礼婆 奈我波麻能宇良尓 都奇氐理尓家里

      (大伴家持 巻十七 四〇二九)

 

≪書き下し≫珠洲(すす)の海に朝開(あさびら)きして漕(こ)ぎ来(く)れば長浜の浦に月照りにけり

 

(訳)珠洲の海に朝早くから船を出して漕いで来ると、長浜の浦には月が照り輝いているのであった。(同上)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「羽咋市HP」