万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1361)―福井県越前市 万葉の里味真野苑(3)―万葉集 巻七 一三五七

●歌は、「たらちねの母がその業る桑すらに願へば衣に着るといふものを」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑(3)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)



●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎

     (作者未詳 巻七 一三五七)

 

≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)母の反対がゆえにかなえられない恋を嘆く女心を詠っている。

 

 「桑」を詠んだ歌は三首が収録されている。この歌ならびに他の二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その517)」で紹介している。

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 この中で、三〇八六歌については、「桑子」となっている。これは蚕のことである。音の響きからみても書き手の遊び心ではないかと思われる。

 

 それでは「蚕」を詠った歌をみていこう。

シルクレポートの「シルク豆辞典」(東京農工大学農学部蚕学研究室 准教授 横山 岳氏稿)には、「蚕」と書けば、「かいこ」と読むが、「もともと『蚕』は “コ (ko)” と発音していた。そして、『飼う蚕』“カウ(kau) コ(ko)” が訛(なま)って “カイコ (kaiko)”と呼ばれるようになったらしい。」と書かれている。

 

 

◆足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨

     (作者未詳 巻十一 二四九五)

 

≪書き下し≫たらつねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り隠(こも)れる妹(いも)を見むよしもがも

 

(訳)母が飼う蚕の繭ごもりのように、家にこもりっきりの女(ひと)、あの子に逢(あ)う手だてでもあったらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たらつねの【足常━】[枕]:(「たらちねの」の変化したものか) 「母」にかかる。語義・かかりかた未詳。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注)こ【蚕】名詞:かいこ。(学研)

(注)上三句は序。「隠れる」を起こす。(伊藤脚注)

(注)まゆごもり【繭籠り】名詞:蚕が繭の中にこもること。転じて、人、特に少女が家に閉じこもっていること。「まよごもり」とも。(学研)                      

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 

垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘ろ荒鹿 異母二不相而

      (作者未詳 巻十二 二九九一)

 

≪書き下し≫たらちねの母が飼(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)りいぶせくもあるか妹(いも)に逢はずして

 

(訳)母さんが飼い育てる蚕の繭ごもりのように、何とまあ、息がつまってうっとうしいことか。あの子に逢わないでいて。(同上)

(注)上三句は序。「いぶせく」を起こす。(伊藤脚注)

(注)いぶせし 形容詞:①気が晴れない。うっとうしい。②気がかりである。③不快だ。気づまりだ。 ⇒参考 「いぶせし」と「いぶかし」の違い 「いぶせし」は、どうしようもなくて気が晴れない。「いぶかし」はようすがわからないので明らかにしたいという気持ちが強い。(学研)ここでは①の意

 

 

◆中ゝ二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許

     (作者未詳 巻十二 三〇八六)

 

≪書き下し≫なかなかに人とあらずば桑子(くわこ)にもならましものを玉の緒ばかり

 

(訳)なまじっか人の身なんかではなくて、いっそのこと蚕にでもなりたい。玉の緒のはかない命をつなぐだけのありさまで。(同上)

(注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くはこ【桑子】名詞:蚕の別名(学研) はかない命のたとえ。

(注)玉の緒ばかり:恋の苦しさにわずかに魂をつなぎとめている状態を「玉の緒」に見立てた表現で儚い命のありさまで、の意か。(伊藤脚注)

 

 

◆荒玉之 年者来去而 玉梓之 使之不来者 霞立 長春日乎 天地丹 思足椅 帶乳根笶 母之養蚕之 眉隠 氣衝渡 吾戀 心中少 人丹言 物西不有者 松根 松事遠 天傳 日之闇者 白木綿之 吾衣袖裳 通手沾沼

      (作者未詳 巻十三 三二五八)

 

≪書き下し≫あらたまの 年は来去(きさ)りて 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の来(こ)ねば 霞(かすみ)立つ 長き春日(はるひ)を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし たらちねの 母が飼(か)ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り 息(いき)づきわたり 我(あ)が恋ふる 心のうちを 人に言ふ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天伝(あまづた)ふ 日の暮れぬれば 白栲(しろたへ)の 我(わ)が衣手(ころもで)も 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)あらたまの年は新たにめぐって来たというのに、相も変わらずあの方のお使いさえ来ないので、霞の立つ長い春の一日、思いを天地に満ち溢(あふ)れさせては、母さんが養(か)う蚕が繭にこもるようにふさぎこんで嘆きつづけながら、私が恋い焦がれる心のうち、この心のうちなど人に言ったりするものではないので、ひそかにお待ちするより仕方がないのだが、いくら待ってても逢(あ)うめどもないままに、日もとっぷりと暮れた今、肌着の衣の袖(そで)までも涙で濡(ぬ)れ通ってしまった。(同上)

(注)あらたまの【新玉の】分類枕詞:「年」「月」「日」「春」などにかかる。かかる理由は未詳。「あらたまの年」(学研)

(注)年は来去りて:年は新しくやってきても。「来去る」は時が到来してまた去る。(伊藤脚注)

(注)たまづさ【玉梓・玉章】名詞:①使者。使い。②便り。手紙。消息。 ⇒参考 「たま(玉)あづさ(梓)」の変化した語。便りを運ぶ使者は、そのしるしに梓の杖を持ったという。(学研)

(注の注)たまづさの【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注の注の注)玉梓の使:男女の仲の使い(伊藤脚注)

(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)

(注)たらはす【足らはす】[動サ四]:① 満たす。満足させる。② (動詞の連用形に付いて)十分…する。やり遂げる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

(注)「たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り」は序。「息づきわたり」を起こす。(伊藤脚注)

(注)息づきわたり:ふさぎこんで嘆きつづけながら

(注)まつがねの【松が根の】分類枕詞:同音の繰り返しから「待つ」に、松の根が長くのびることから「絶ゆることなく」にかかる。(学研)

(注)待つこと遠み:いくら待っても逢うめどもないままに。(伊藤脚注)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。「あまづたふ日」(学研)

 

 

◆筑波祢乃 尓比具波波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母

      (作者未詳 巻十四 三三五〇)

左注は、「或本歌日 多良知祢能 又云 安麻多氣保思母」

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着(き)欲(ほ)しも

左注は、「或本の歌には『たらちねの』といふ。また『あまた着(き)欲しも』といふ。

 

(訳)筑波嶺一帯の、新桑で飼った繭の着物はあり、それはそれですばらしいけれど、やっぱり、あなたのお召がむしょうに着たい。(同上)

(注)新桑繭(読み)にいぐわまよ:新しい桑の葉で育った繭。今年の蚕の繭。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)みけし【御衣】名詞:お召し物。▽貴人の衣服の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(学研)

(注)あやに【奇に】副詞:むやみに。ひどく。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その472)」で紹介している。

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◆尓比牟路能 許騰伎尓伊多礼婆 波太須酒伎 穂尓弖之伎美我 見延奴己能許呂

      (作者未詳 巻十四 三五〇六)

 

≪書き下し≫新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき穂に出(で)し君が見えぬこのころ

 

(訳)蚕室(さんしつ)の毛蚕掃(けごは)き時(どき)になったので、はだすすきが穂を出すようにはっきり思いをうち明けて下さったあの方なのに、このところお見えにならない。(同上)

(注)こどき:蚕時か。男女ともに繁忙の時。(伊藤脚注)

(注)はだすすき【はだ薄】名詞:語義未詳。「はたすすき」の変化した語とも、「膚薄(はだすすき)」で、穂の出る前の皮をかぶった状態のすすきともいう。(学研)

(注の注)はだすすき【はだ薄】分類枕詞:すすきの穂の意から「穂」「末(うれ)(=穂の先)」「うら」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その955)」で紹介している。

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ちなみに、「蚕」を「かいこ」と読むようになったことについて、前出の横山 岳氏の稿に、「『飼う蚕』“カウコ (kau ko)” から『蚕』“カイコ (kaiko)” になったのはいつ頃だろうか。平安時代に書かれたと言われている日本最古の本草書(薬物辞典)『本草和名(ほんぞうわみょう)』では『加比古』と書かれている。『加比古』は“カヒコ (kaiko)”の発音である。『比』は現在 “ひ” だが、昔の発音は “イ (i)” だそうだ。平安時代には“カウコ”が訛って“カイコ (kaiko)” と発音されるようになったようだ。」と書かれている。

 

「蚕」について、農研機構HPの「カイコのひみつ」に、「カイコは野生のガ(蛾)を人間が飼い慣らし、数千年かけて家畜化したものです。より良い生糸を多く効率的にとることを目的に、品種改良を重ねてきました。カイコの幼虫はほとんど移動せず、成虫は羽があるのに飛べません。カイコは人が世話をしないと生きてはいけないのです。」と書かれている。

 

 「蚕」はもともと「こ」と読んでいたが、平安時代以降「飼ふ子」、「飼ひ子」から「蚕」が「かいこ」と読まれるようになったとは、万葉歌が語源であったようである。

 またまた、万葉集から教えてもらったのである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「シルクレポートの『シルク豆辞典』」 (東京農工大学農学部蚕学研究室 准教授 横山 岳氏稿)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「農研機構HP」