万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1364)―福井県越前市 万葉の里味真野苑(6)―万葉集 巻八 一六二三

●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑(6)万葉歌碑<プレート>(大伴田村大嬢)

●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(6)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

     (大伴田村大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。

(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹

 

 題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。

(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。

③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)

 

 同じような題詞が、七五六~七五九、一四四九、一五〇六、一六六二歌に付けられている。これらのすべての歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。 

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tom101010.hatenablog.com

 

 大伴田村大嬢と妹坂上大嬢については、七五九歌の左注に次のように書かれている。

「右田村大嬢坂上大嬢並是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也 卿居田村里号曰田村大嬢 但妹坂上大嬢者母居坂上里 仍曰坂上大嬢 于時姉妹諮問以歌贈答」<右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ右大弁(うだいべん)大伴宿奈麻呂卿(おほとものすくなまろのまへつきみ)が女(むすめ)なり。 卿、田村の里に居(を)れば、号(なづ)けて田村大嬢といふ。ただし妹(いもひと)坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問(とぶら)ふに歌をもちて贈答す>である。」

(注)田村の里:佐保の西、法華寺付近という。(伊藤脚注)

(注)坂上の里:田村の里を北西に遡った歌姫越えあたりか。(伊藤脚注)

 

 坂上大嬢は大伴家持の妻である。

 万葉集には、十一首収録されている。この歌をみてみよう。

 

巻四 五八一から五八四歌の歌群の題詞は、「大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首」<大伴坂上家(さかのうえのいへ)の大嬢(おほいらつめ)、大伴宿禰家持に報(こた)へ贈る歌四首>である。

 家持の女性遍歴は有名であるが、初恋の女性はこの大嬢である。紆余曲折を経て正妻に迎えることになるのである。

 「報(こた)へ贈る」とあるから、収録されてはいないが家持は歌を大嬢に贈っていると思われる。ただこの歌が作られたのは、天平四年(732年)頃であるから、大嬢は、九、十歳と思われ、とても歌を作れる歳ではない。おそらく、母大伴坂上郎女の代作であろうと考えられている。

歌をみてみよう。(作者名は、坂上大嬢<さかのうえのおほいらつめ>としてある。)

 

◆生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴

      (大伴坂上大嬢 巻四 五八一)

 

≪書き下し≫生きてあらば見まくも知らず何(なに)しかも死なむよ妹(いも)と夢(いめ)に見えつる

 

(訳)生きてさえいたら逢える日があるかもしれません。なのにどうして「もう死んでしまおうよ、妹いも」」などと言って夢(ゆめ)に出てこられるのですか。」(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みまく【見まく】分類連語:見るだろうこと。見ること。 ※上代語。 ⇒ なりたち 動詞「みる」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

(注)なにしかも【何しかも】:[連語]「なにしか」を強めた言い方。なんでまあ…か。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方

     (大伴坂上大嬢 巻四 五八二)

 

≪書き下し≫ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも

 

(訳)めそめそしないはずの大夫(ますらお)だってこんなに恋するものなのですね。ましてかよわいかよわい女の恋する苦しさに太刀打ちできるものがありましょうかね。(同上)

(注)かく恋ひける:五八一歌の「死なむよ妹」をさす。

(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)

(注)たぐひ【類・比】名詞:①仲間。連れ。②人々。連中。③例。同類。④種類。…ようなもの。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

◆月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来

      (大伴坂上大嬢 巻四 五八三)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ

 

(訳)こんなにもお慕いしている私を、月草のように移り気な女とお思いなのか。私の思う方がお便りすらも下さらない。(同上)

(注)つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(学研)

 

 

春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨

      (大伴坂上大嬢 巻四 五八三)

 

≪書き下し≫春日山(かすがやま)朝立つ雲の居(ゐ)ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも

 

(訳)春日山に毎朝きまってかかる雲のように、いつもおそばで見ていたいあなた、いとしくてならぬあなたです。(同上)

 

 五八二歌の「たわやめ」に「幼婦」、五八三歌の「思へかも」の「も」に「母」と書かれているのは、書き手の「戯れ書き」かもしれない。

 家持の歌に「報(こた)へ贈る」のは、代作とはいえ、母たる大伴坂上郎女が二人の仲を認めたためと考えられるのである。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1059)」で紹介している。

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 次をみてみよう。

 

七二九から七三一歌の題詞は「大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首」<大伴坂上大嬢(おほとものさかのうへのおほいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌三首>である。

 

◆玉有者 手二母将巻乎 欝瞻乃 世人有者 手二巻難石

      (大伴坂上大嬢 巻四 七二九)

 

≪書き下し≫玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし

 

(訳)あなたが玉だったら手に巻きつけもしように、この世の人なので手に巻くこともできません。(同上)

 

 

◆将相夜者 何時将有乎 何如為常香 彼夕相而 事之繁裳

       (大伴坂上大嬢 巻四 七三〇)

 

≪書き下し≫逢はむ夜(よ)はいつもあらむを何(なに)すとかその宵(よひ)逢ひて言(こと)の繁(しげ)きも

 

(訳)お逢(あ)いできる夜はいつでもあったでしょうに、何でまたとくに人目に立つあんな夜にお逢いして、うるさい噂の種になってしまったのでしょうか。(同上)

(注)ことしげし 形容詞:【言繁し】人のうわさがうるさい。(学研)

 

 

◆吾名者毛 千名之五百名尓 雖立 君之名立者 惜社泣

      (大伴坂上大嬢 巻四 七三一)

 

≪書き下し≫我(わ)が名はも千名(ちな)の五百名(いほな)に立ちぬとも君が名立たば惜(を)しみこそ泣け

 

(訳)私の浮き名はどんなにひどく立っても我慢(がまん)できますが、あなたの浮き名が立ったらそれがくやしくて泣かずにはおれません。(同上)

(注)ちな【千名】:いろいろなうわさ。多くの評判。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)いほな【五百名】:〔名〕 多くの名。転じて、さまざまな噂。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

 

 

 題詞は、「同坂上大嬢贈家持歌一首」<同じき坂上大嬢、家持の贈る歌一首>である。

 

春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念

     (大伴坂上大嬢 巻四 七三五)

 

≪書き下し≫春日山(かすがやま)霞たなびき心ぐく照れる月夜(つくよ)にひとりかも寝む

 

(訳)春日山に霞(かすみ)がたなびいて、うっとうしく月が照っている今宵(こよい)、こんな宵に私はたった一人で寝ることになるのであろうか。(同上)

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

 

 七三五歌ならびに家持の和(こた)えた七三六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1219)」で紹介している・

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tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞は、「同大嬢贈家持歌二首」<同じき大嬢、家持に贈る歌二首>である。

 

◆云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将會君

       (大伴坂上大嬢 巻四 七三七)

≪書き下し≫かにかくに人は言ふとも若狭道(わかさぢ)の後瀬(のちせ)の山の後(のち)も逢はむ君

 

(訳)あれこれと噂を立てて人が二人の仲を割(さ)こうとしても、若狭道にある後瀬(のちせ)の山の名のように、せめてのちにお逢いしましょう、あなた。(同上)

(注)後瀬の山:福井県小浜市南部、若狭国府のそばの山。(伊藤脚注)

(注)「若狭道の後瀬の山の」は序。「後も逢ふ」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

◆世間之 苦物尓 有家良之 戀尓不勝而 可死念者

      (大伴坂上大嬢 巻四 七三八)

 

≪書き下し≫世の中の苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば

 

(訳)恋とは、この世の中で最高に苦しいものだったのですね。恋の思いに堪えかねて死んでしまいそうなことを思いますと。(同上)

(注)あへず【敢へず】分類連語:①堪えられない。こらえきれない。②〔動詞の連用形の下に付いて、「…もあへず」の形で〕(ア)…しようとしてできない。最後まで…できない。(イ)…し終わらないうちに。…するや否や。◇(イ)は鎌倉時代以降の用法。 ⇒注意 ①は活用がないが、②は「ず」が活用する。 ⇒なりたち 下二段動詞「あ(敢)ふ」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)べし 助動詞 《接続》(1)活用語の終止形に付く。ただしラ変型活用の語には連体形に付く。(2)上一段活用の語には、「見べし」のように、イ段の音で終わる語形(未然形または連用形)に付くことがある。:①〔推量〕…にちがいない。きっと…だろう。(当然)…しそうだ。▽確信をもって推量する意を表す。②〔意志〕(必ず)…しよう。…するつもりだ。…してやろう。▽強い意志を表す。③〔可能〕…できる。…できそうだ。…できるはずだ。④〔適当・勧誘〕…(する)のがよい。…(する)のが適当である。…(する)のがふさわしい。▽そうするのがいちばんよいという意を表す。⑤〔当然・義務・予定〕…するはずだ。当然…すべきだ。…しなければならない。…することになっている。▽必然的にそうでなければならないという意を表す。⑥〔命令〕…せよ。 ⇒語法 (1)「べし」の各音便形[ア] ウ音便・イ音便[イ] 撥(はつ)音便⇒べかなり・べかめり・べかんなり・べかんめり(2)命令の意味⑥は、主従関係がはっきりしている軍記物語の会話などに現れやすい。(3)未然形の「べく」 「べく+は」については、次の二とおりの説がある。[イ] の立場に立った場合にだけ、未然形が存在することになる。また、近世の「べくば」(「べくんば」)の「べく」は、未然形である。⇒は・ば(学研)ここでは①の意

 

 

題詞は、「坂上大娘秋稲蘰贈大伴宿祢家持歌一首」<坂上大嬢、秋稲(いね)の縵(かづら)を大伴宿禰家持に贈る歌一首>である。

 

◆吾之蒔有 早田之穂立 造有 蘰曽見乍 師弩波世吾背

      (大伴坂上大嬢 巻八 一六二四)

 

≪書き下し≫我が蒔(ま)ける早稲田(わさだ)の穂立(ほたち)作りたるかづらぞ見つつ偲はせ我が背(せ)

 

(訳)私が蒔いた早稲田の穂立、立揃ったその稲穂でこしらえた縵(かづら)です、これは。ご覧になりながら私のことを偲(しの)んで下さい、あなた。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ほたち【穂立ち】名詞:稲の穂が出ること。また、その穂。「ほだち」とも。(学研)

 

 大嬢の歌に家持はすべて和(こた)えており仲睦まじい贈答歌のやりとりとなっている。

 仲睦まじい家持・大嬢夫婦のブロンズ像は、高岡市万葉歴史館正面と高岡市駅前にある。

 

 高岡市万葉歴史館のブロンズ像についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その825)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 JR高岡駅前のブロンズ像についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その858)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典