万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1371)―福井県越前市 万葉の里味真野苑(13)―万葉集 巻十九 四二〇〇

●歌は、「多祜の浦の底さえにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑(13)万葉歌碑<プレート>(内蔵忌寸縄麻呂)

●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(13)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四一九九~四二〇二歌の題詞は、「十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花各述懐作歌四首」<十二日に、布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧するに、多祜(たこ)の湾(うら)に舟泊(ふなどま)りす。藤の花を望み見て、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌四首>である。

 

◆多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為

      (内蔵忌寸縄麻呂 巻十九 四二〇〇)

 

≪書き下し≫多祜の浦の底さえへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため

 

(訳)多祜の浦の水底さえ照り輝くばかりの藤の花房、この花房を髪に挿して行こう。まだ見たことのない人のために。(同上)

 

他の三首もみてみよう。

 

藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流

      (大伴家持 巻十九 四一九九)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の影なす海の底清(きよ)み沈(しづ)く石をも玉とぞ我が見る  

 

(訳)藤の花房が影を映している海、その水底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も、真珠だと私はみてしまう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。

(注)布勢の海:富山県氷見市にあった湖

(注)多祜(たこ)の湾(うら):布勢の海の東南部

 

 

 

◆伊佐左可尓 念而来之乎 多祜乃浦尓 開流藤見而 一夜可經

     (久米広綱 巻十九 四二〇一)

 

≪書き下し≫いささかに思ひて来(こ)しを多祜の浦に咲ける藤見て一夜(ひとよ)経(へ)ぬべし

 

(訳)ほんのかりそめのつもりでやって来たのに、多祜の浦に咲き映えている藤、この藤を見るままに、一晩過ごしてしまいそうだ。(同上)

 

 

藤奈美乎 借廬尓造 灣廻為流 人等波不知尓 海部等可見良牟

       (久米継麻呂 巻十九 四二〇二)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)を仮廬(かりいほ)に作り浦廻(うらみ)する人とは知らに海人(あま)とか見らむ 

 

(訳)藤の花房、この花房を仮廬(かりいお)に(ふ)いて、浦めぐりしている人とは知らずに、土地の海人(あま)だと見られているのではなかろうか。(同上)

 

 万葉集には、藤を詠んだ歌は二六首収録されている。そのうち「藤波」と詠まれている歌は十八首に上る。藤の花房が風に揺れる様を波に譬え「藤波」とは、何と優雅な響きであろうか。目を閉じると藤の房の揺れる波が浮かんでくる。

上記の三首以外をみてみよう。

 

トップバッターは、題詞「防人司佑大伴四綱歌二首」<防人司佑(さきもりのつかさのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)が歌二首>の一首である。

 

藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君

       (大伴四綱 巻三 三三〇)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

 

(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)で紹介している。

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 次は、山部赤人の歌である。

 

◆戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤波 今開尓家里

      (山部赤人 巻八 一四七一)

 

≪書き下し≫恋しければ形見(かたみ)にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり

 

(訳)恋しい時には、あの人の偲びぐさにしようと、我が家の庭に植えた藤、その藤の花は、ちょうど今咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在

       (作者未詳 巻十 一九〇一)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の咲く春の野に延(は)ふ葛(くず)の下よし恋ひば久しくもあらむ

 

(訳)藤の花が咲く春の野にひそかに延びてゆく葛のように、心の奥底でばかり恋い慕っていたなら、この思いはいついつまでも果てしなく続くことであろう。(同上)

 

 

藤浪之 散巻惜 霍公鳥 今城岳▼ 鳴而越奈利

   ▼「口(くちへん)+リ」である。「今城岳▼」=今城の岡を

      (作者未詳 巻十 一九四四)

 

≪書き下し≫藤波の散らまく惜しみほととぎす今城の岡を鳴きて越ゆなり

 

(訳)藤の花の散るのを惜しんで、時鳥が今城の岡の上を鳴きながら越えている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その766)」で紹介している。

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◆霍公鳥 来鳴動 岡邊有 藤浪見者 君者不来登夜

       (作者未詳 巻十 一九九一)

 

≪書き下し≫ほととぎす来鳴(きな)き響(とよ)もす岡辺(をかへ)なる藤波(ふぢなみ)見には君は来(こ)じとや

 

(訳)時鳥が来てしきりに声を響かせている岡辺の藤の花、この花を見にさえ、あなたはおいでにならないというのですか。(同上)

 

 

◆如此為而曽 人之死云 藤浪乃 直一目耳 見之人故尓

       (作者未詳 巻十二 三〇七五)

 

≪書き下し≫かくしてぞ人は死ぬといふ藤波のただ一目(ひとめ)のみ見し人ゆゑに

 

(訳)こんなふうに恋い焦がれて、果てには人は死ぬものだと言う。見事な藤の花房のような、たった一目だけ見た人のせいで。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かくしてぞ:「かく」は自らの恋の苦しみを表す。(伊藤脚注)

(注)藤波の:「一目見し人」の枕詞。相手の美しさを藤波に譬えたもの。(伊藤脚注)

 

◆式嶋乃 山跡乃土丹 人多 満而雖夕 藤浪乃 思纒 若草乃 思就西 君目二 戀八将明 長此夜乎

      (作者未詳 巻十三 三二四八)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の 大和(やまと)の国に 人さはに 満ちてあれども 藤浪(ふじなみ)の 思ひもとほり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜(よ)を

 

(訳)この磯城島の大和の国に、人はいっぱいに満ち満ちているけれども、まつわりついて咲く藤の花のように心がまつわりついて萌え出した若草の色が目につくように心が寄りついて離れない方、あの方と目を見合わすことだけに心を尽くしながら明かすことになるのか。長い長いこの夜を。

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。※上代語(学研)

(注)ふぢなみの【藤波の】[枕]:① 藤のつるが物にからみつく意から、「思ひもとほり」にかかる。② 波に関する意から、「たつ」「よる」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)若草の:「思ひつきにし」の枕詞(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その78改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦ください。)

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 次は、家持の三賦の一つ「遊覧布勢水海賦」に和した池主の一首である。

 

題詞は、「敬和遊覧布勢水海賦一首幷一絶」<敬(つつし)みて布勢の水海(みずうみ)に遊覧する賦(ふ)に和(こた)ふる一首 幷(あは)せて一絶>である。

 

[原文]布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲妣可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氐尓麻吉母知弖 宇良具波之 布勢能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布理可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 波奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也

       (大伴池主 巻十七 三九九三)

 

≪書き下し≫藤波は 咲きて散りにき 卯(う)の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも ほととぎす 鳴きし響(とよ)めば うち靡(あび)く 心もしのに そこをしも うら恋(ごひ)しみと 思ふどち 馬打ち群(む)れて 携(たづさ)はり 出で立ち見れば 射水川(いづみがは) 港(みなと)の洲鳥(すどり) 朝なぎに 潟(かた)にあさりし 潮満てば 妻呼び交(かは)す 羨(とも)しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿(しぶたに)の 荒礒(ありそ)の崎(さき)に 沖つ波 寄せ来(く)る玉藻(たまも) 片縒(かたよ)りに 蘰(かづら)に作り 妹(いも)がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海(みづうみ)に 海人(あま)舟(ぶね)に ま楫(かぢ)掻い貫(ぬ)き 白栲(しろたへ)の 袖(そで)振り返し 率(あども)ひて 我が漕(こ)

ぎ行けば 乎布(をふ)の崎 花散りまがひ 渚(なぎさ)には 葦鴨(あしがも)騒(さわ)き さざれ波 立ちても居(ゐ)ても 漕ぎ廻(めぐ)り 見れども飽(あ)かず 秋さらば 黄葉(もみち)の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明(あき)らめめ 絶ゆる日あらめや

 

(訳)“藤の花房は咲いてもう散ってしまった、卯の花は今がまっ盛りだ“とばかりに、あたりの山にも野にも時鳥(ほととぎす)がしきりに鳴き立てているので、思い靡く心もしおれればかりに時鳥の声が恋しくなって、心打ち解けた者同士馬に鞭打(むちう)ち相連れ立って出かけて来て目にやると、射水川の河口の洲鳥(すどり)、洲に遊ぶその鳥は、朝凪(あさなぎ)に干潟(ひがた)で餌(え)をあさり、夕潮が満ちて来ると妻を求めて呼び交わしている。心引かれはするものの横目に見て通り過ぎ、渋谷の荒磯の崎に沖の波が寄せてくる玉藻を、一筋縒(よ)りに縒って縵(かずら)に仕立て、いとしい人に見せるつとにもと手に巻きつけて、霊験あらたかなる布勢の水海で、海人の小舟に楫(かじ)を揃えて貫(ぬ)き出し、白栲の袖を翻しながら声かけ合って一同漕ぎ進んで行くと、乎布の崎には花が散り乱れ、波打際には葦鴨が群れ騒ぎ、さざ波立つというではないが、立って見ても坐(すわ)って見ても、あちこち漕ぎ廻って見ても、見飽きることがない。ああ、秋になったら黄葉(もみじ)の映える時に、また春がめぐってきたら花の盛りの時に、どんな時にでもあなたのお伴(とも)をして、今見るように思う存分眺めて楽しみたいものです。われらがこの地を顧みることが絶える日など、どうしてありましょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うち靡く:ただ一方に靡く(伊藤脚注)

(注)そこをしも:「そこ」は「卯の花は・・・鳴きにし響めば」をさす。(伊藤脚注)

(注)ともし【羨し】形容詞:①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。(学研)ここでは①の意

(注)かたより【片縒り】名詞:片方の糸にだけよりをかけること。(学研)

(注の注)かたより:玉藻を一筋縒りに縒って。(伊藤脚注)

(注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。 ※「うら」は心の意。(学研)

(注)掻い貫く:「掻い」は接頭語。「貫く」は櫂を舷に貫き通して取り付けること。(伊藤脚注)

(注)あどもふ【率ふ】他動詞:ひきつれる。 ※上代語。(学研)

(注)乎布の﨑:布勢の海の東南にあった岬。(伊藤脚注)

(注)さざれなみ【細れ波】名詞:さざ波。 ➡参考 さざ波がしきりに立つことから「間(ま)無くも」「しきて」「止(や)む時もなし」などを導く序詞(じよことば)を構成することもある。(学研)

(注の注)さざれなみ【細れ波】分類枕詞:さざ波が立つことから「立つ」にかかる。(学研)ここでは枕詞として使われている。

(注)かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

(注)あきらむ【明らむ】他動詞:①明らかにする。はっきりさせる。②晴れ晴れとさせる。心を明るくさせる。 ⇒注意 現代語の「あきらめる」は「断念する」意味だが、古語の「明らむ」にはその意味はない。(学研)

 

 

 四〇四二、四〇四三歌は、布勢の水海に遊覧する前日の宴での田辺福麻呂と家持の歌である。藤波の揺れる様にわくわくする遠足気分が映っている。

 

◆敷治奈美能 佐伎由久見礼婆 保等登<藝>須 奈久倍<吉>登伎尓 知可豆伎尓家里

      (田辺福麻呂 巻十八 四〇四二)

 

≪書き下し≫藤波(ふづなみ)の咲き行く見ればほととぎす鳴くべき時に近(ちか)づきにけり

 

(訳)藤の花房が次々と咲いてゆくのを見ると、季節は、時鳥の鳴き出す時にいよいよちかづいたのですね。(同上)

 

 

◆安須能比能 敷勢能宇良未能 布治奈美尓 氣太之伎奈可受 知良之底牟可母  一頭云 保等登藝須

      (大伴家持 巻十八 四〇四三)

 

≪書き下し≫明日(あす)の日の布勢の浦廻(うらみ)の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも <一には頭に「ほととぎす」といふ>

 

(訳)明日という日の、布勢の入江の藤の花には、おそらく時鳥は来て鳴かないまま、散るにまかせてしまうのではないでしょうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

四一八七,四一八八歌の題詞は、「六日遊覧布勢水海作歌一首 幷せて短歌」<六日に、布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧して作る歌一首 幷せて短歌>である。

 

◆念度知 大夫能 許乃久礼能 繁思乎 見明良米 情也良牟等 布勢乃海尓 小船都良奈米 真可伊可氣 伊許藝米具礼婆 乎布能浦尓 霞多奈妣伎 垂姫尓 藤浪咲而 濱浄久 白波左和伎 及々尓 戀波末佐礼杼 今日耳 飽足米夜母 如是己曽 祢年乃波尓 春花之 繁盛尓 秋葉能 黄色時尓 安里我欲比 見都追思努波米 此布勢能海乎

      (大伴家持 巻十九 四一八七)

 

≪書き下し≫思ふどち ますらをのこの 木(こ)の暗(くれ)の 繁(しげ)き思ひを 見明(あき)らめ 心遣(や)らむと 布勢(ふせ)の海に 小舟(をぶね)つら並(な)め ま櫂(かい)掛け い漕(こ)ぎ廻(めぐ)れば 乎布(をふ)の浦に 霞(かすみ)たなびき 垂姫(たるひめ)に 藤波(ふぢなみ)咲きて 浜清く 白波騒(さわ)き しくしくに 恋はまされど 今日(けふ)のみに 飽(あ)き足(だ)らめやも かくしこそ いや年のはに 春花(はるはな)の 茂(しげ)き盛りに 秋の葉の もみたむ時に あり通(がよ)ひ 見つつ偲(しの)はめ この布勢の海を

 

(訳)気の合った者同士のましらおたちが、木(こ)の下闇(したやみ)の繁みのような暗くつのる物思い、その茂る憂いを、景色を見て晴らし気を紛らわそうと、布勢の海に小舟を連ね並べて、櫂(かい)を取り付け岸を漕ぎめぐると、乎布の浦には霞がたなびき、垂姫の崎には藤の花房が波打ち、浜辺は清く白波が立ち騒ぐ、立ちしきるその波のように、都恋しさはいよいよ増してしまうのだけれど、景色の美しさは格別、今日見るだけで満足できようか。できるものではない。こうして来る年も来る年も、春の花の咲き盛る時に、秋の木の葉の色づく時に、ずっと通い続けて、見ては賞(め)でよう。この布勢の水海を。

(注)-どち 接尾語:〔名詞に付いて〕…たち。…ども。▽互いに同等・同類である意を表す。「貴人(うまひと)どち」「思ふどち」「男どち」 ⇒参考 「どち」は、「たち」と「ども」との中間に位置するものとして、親しみのある語感をもつ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)このくれ【木の暗れ・木の暮れ】名詞:木が茂って、その下が暗いこと。また、その暗い所。「木の暮れ茂(しげ)」「木の暮れ闇(やみ)」とも。(学研)

(注の注)このくれの【木の暗れの】分類枕詞:①木が茂っていることから「繁(しげ)し」にかかる。②四月ごろになると木が茂り「木の暗れ」になることから「四月(うづき)」にかかる。(学研)

(注)あきらむ【明らむ】他動詞:①明らかにする。はっきりさせる。②晴れ晴れとさせる。心を明るくさせる。 ⇒注意 現代語の「あきらめる」は「断念する」意味だが、古語の「明らむ」にはその意味はない(学研)

(注)こころをやる【心を遣る】分類連語:①気晴らしをする。心を慰める。②得意がる。自慢する。 ※「心遣る」とも。(学研)

(注)垂姫>垂姫の崎:布勢の海の岬。今の富山県氷見市大浦、堀田付近。(伊藤脚注)

(注)しくしく【頻く頻く】:頻りに。絶え間なく、あとからあとから。次第に程度が甚だしくなる様子を示す「弥」(いや)を重ねて「弥頻く頻く」などと言う表現もある。(ちゅうweblio辞書 実用日本語表現辞典)

(注)あきだる【飽き足る】自動詞:十分に満足する。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

藤奈美能 花盛尓 如此許曽 浦己藝廻都追 年尓之努波米

       (大伴家持 巻十九 四一八八)

 

≪書き下し≫藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕(こ)ぎ廻(み)つつ年に偲(しの)はめ

 

(訳)藤の花房のまっ盛りの頃、このように浦から浦へと漕ぎめぐっては、来る年も来る年も賞でよう。この水海を。(同上)

 

 この二首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1347裏)」で紹介している。

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題詞は、「詠霍公鳥并藤花一首幷短歌」<霍公鳥(ほととぎす)幷(あは)せて藤の花を詠(よ)む一首并せて短歌>である。

 

◆桃花 紅色尓 ゝ保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 ▼嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等余米 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥ゝ尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母

      (大伴家持 巻十九 四一九二)

   ▼「『女+感」+嬬」=をとめ

 

≪書き下し≫桃の花 紅(くれなゐ)色(いろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)み曲(ま)がり 朝影見つつ 娘子(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山(ふたがみやま)に 木(こ)の暗(くれ)の 茂き谷辺(たにへ)を 呼び響(とよ)め 朝飛び渡り 夕月夜(ゆふづくよ) かそけき野辺(のへ)に はろはろに 鳴くほととぎす 立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 藤波(ふぢなみ)の 花なつかしみ 引き攀(よ)ぢて 袖(そで)に扱入(こき)れつ 染(し)まば染(し)むとも

 

(訳)桃の花、その紅色(くれないいろ)に輝いている面(おもて)の中で、ひときは目立つ青柳の葉のような細い眉、その眉がゆがむほどに笑みこぼれて、朝の姿を映して見ながら、娘子が手に掲げ持っている真澄みの鏡の蓋(ふた)ではないが、その二上山(ふたがみやま)に、木(こ)の下闇の茂る谷辺一帯を鳴きとよもして朝飛び渡り、夕月の光かすかな野辺に、はるばると鳴く時鳥、その時鳥が翔けくぐって、羽触(はぶ)れに散らす藤の花がいとおしくて、引き寄せて袖にしごき入れた。色が染みつくなら染みついてもかまわないと思って。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「桃の花・・・まそ鏡」の箇所が序で、「二上山」を起こす。

(注)ゑみまぐ【笑み曲ぐ】自動詞:うれしくて笑いがこぼれる。(口や眉(まゆ)が)曲がるほど相好(そうごう)を崩す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。 >ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。

(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研) ⇒家持のみが用いた語

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研) ⇒こちらは、家持が好んだ語

(注)たちくく【立ち潜く】自動詞:(間を)くぐって行く。 ※「たち」は接頭語。(学研)

 

 冒頭の序の部分は、巻十九の巻頭歌(四一三九歌)「春の園紅ひほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」を意識している。

 

 

◆霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花  <一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也>

      (大伴家持 巻十九 四一九三)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花  <一には「散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花」といふ>

 

(訳)時鳥が鳴き翔ける羽触れにさえ、ほろほろと散ってしまうよ。もう盛りは過ぎているらしい、藤波の花は。<今にも散りそうなので、袖にしごき入れた、藤の花を>(同上)

 

 

◆敷治奈美乃 志氣里波須疑奴 安志比紀乃 夜麻保登等藝須 奈騰可伎奈賀奴

      (久米広縄 巻十九 四二一〇)

 

≪書き下し≫藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山ほととぎすなどか来鳴かぬ

 

(訳)藤の花の盛りはもう過ぎてしまった。なのに、山の時鳥よ、お前はどうしてここへ来て鳴かないのか。(同上)

(注)などか 副詞:①〔多く下に打消の語を伴って〕どうして…か。なぜ…か。▽疑問の意を表す。②〔多く下に打消の語を伴って〕どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※副詞「など」に係助詞「か」が付いて一語化したもの。 語法「などか」は疑問の副詞であり、係助詞「か」を含むため、文末の活用語は連体形で結ぶ。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その830)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」