万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1372)―福井県越前市 万葉の里味真野苑(14)―万葉集 巻十九 四二五三

●歌は、「立ちて居て待てど待ちかね出でて来し君にここに逢ひかざしつる萩」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑(14)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴宿祢家持和歌一首」<大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆立而居而 待登待可祢 伊泥氐来之 君尓於是相 挿頭都流波疑

       (大伴家持 巻十九 四二五三)

 

≪書き下し≫立ちて居(ゐ)て待てど待ちかね出でて来(こ)し君にここに逢(あ)ひかざしつる萩(はぎ)

 

(訳)立ったり座ったりして、待っても待っても待ちきれずに旅立って来た、そのあなたにここで逢い、相ともにかざしている、この萩の花よ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)出でて来し:越中から出て来てしまったが。中止法。(伊藤脚注)

(注の注)ちゅうしほう【中止法】〘名〙: 述語となっている用言の連用形を用いて、文をいったん中止し、次に続ける述べ方。「天高く、馬肥ゆ」「よく学び、よく遊べ」「腐ったものを食べ、腹をこわす」の類。中止法に用いられた用言とそれに続く部分との関係は、前後を問わず並列する場合と、時間的な進行の順序に従って述べる場合とがある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ここに逢ひかざしつる萩:このお屋敷でお逢いして共にかざすことができました、この萩の花を。三人が出逢った喜びをこめる。(伊藤脚注)

 

 四二五二、四二五三歌の背景について、藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)の中で次のように書かれている。

 家持は、「越中を発ち、何日が経た八月某日に越前国府に到着した。かつて越中に在籍しいま越前国掾の職にある大伴池主の館を訪れたところ、正税帳使の任を終えて帰路にある久米広縄と出会った。互いに「適遇」(偶然の邂逅)に感激し、歌を作って交歓することになった。広縄の歌に家持が和(こた)えたのが四二五三歌である。

 

 広縄の歌もみてみよう。

 

題詞は、「正税帳使掾久米朝臣廣縄事畢退任 適遇於越前國掾大伴宿祢池主之舘 仍共飲樂也 于時久米朝臣廣縄矚芽子花作歌一首」<正税帳使(せいせいちやうし)、掾(じよう)久米朝臣広縄(くめのあそみひろつな)、事畢(をは)り、任(にん)に退(まか)る。たまさかに越前(こしのみちのくち)の国の掾大伴宿禰池主が館に遇(あ)ひ、よりて共に飲楽す。時に、久米朝臣広縄、萩の花を矚(み)て作る歌一首>である。

(注)任に退る:任地越中に帰ることをいう。(伊藤脚注)

 

 

◆君之家尓 殖有芽子之 始花乎 折而挿頭奈 客別度知

       (久米広縄 巻十九 四二五二)

 

≪書き下し≫君が家に植ゑたる萩の初花(はつはな)を折りてかざさな旅別るどち

 

(訳)あなたの家に育てている萩、季節に先駆けて咲いた花、この初々しい花を手折って挿頭(かざし)にしよう。ここで散り散りになる旅人われらは。(同上)

(注)君:この場の主人。池主。(伊藤脚注)

(注)はつはな【初花】名詞:①その年、その季節になって最初に咲く花。また、その草木に最初に咲いた花。[季語] 春。②年ごろの若い娘をたとえていう語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)どち 名詞:仲間(なかま)。連れ。(学研)

(注の注)旅別るどち:ここで散り散りになる旅人われらは。「旅別る」は、家持・広縄が別れ去り、池主も一人残されることをいう。(伊藤脚注)

 

 四二五二歌の「初花」という言葉の響きは人を引き付けるものがある。「初花」を詠んだ歌をみてみよう。

 

題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂が歌一首>である。

 

初花之 可散物乎 人事乃 繁尓因而 止息比者鴨

       (佐伯赤麻呂 巻四 六三〇)

 

≪書き下し≫初花(はつはな)の散るべきものを人言(ひとごと)の繁(しげ)きによりてよどむころかも

 

(訳)初花が散るように、あなたのような若い女(おみな)はすぐ人のものになりそうで気が気でないけれど、世間の噂がうるさいので、ためらっているこの頃です。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)初花の:「散る」の枕詞。男を知らぬ女の譬えも兼ねる。(伊藤脚注)

(注)よどむ【淀む・澱む】自動詞:①水の流れが滞る。②(物事が)順調に進まない。停滞する。(学研)ここでは②の意

(注の注)よどむころかも:ためらっているこの頃だ。尻ごみする形で引き下がったもの。(伊藤脚注)

 

 六二七から六三〇歌は、宴席での歌の掛け合いである。娘子と初老の男との駆け引きである。娘子(架空の遊行女婦)が、赤麻呂に初老の男は、まず若返りの水を探して来てはとからかう。赤麻呂は、水を探しに行くとじらす。待っているのにと娘子、しかし結局ためらい尻込みする赤麻呂という流れである。

 

 同じような娘子と赤麻呂の掛け合いが四〇四から四〇六歌として収録されている。

 こちらの方は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その360)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

いずれも娯楽性の高いコント形式の歌物語である。

 

 

 次に大伴坂上郎女の歌をみてみよう。

 

◆沫雪乃 比日續而 如此落者 梅始花 散香過南

       (大伴坂上郎女 巻八 一六五一)

 

≪書き下し≫沫雪(あわゆき)のこのころ継(つ)ぎてかく降らば梅の初花(はつはな)散りか過ぎなむ

 

(訳)泡雪がこのごろのように引き続いて、こんなに降ったのでは、せっかくの梅の初花が、散り失せてしまうのではなかろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆何為等加 君乎将猒 秋芽子乃 其始花之 歡寸物乎

       (作者未詳 巻十 二二七三)

 

≪書き下し≫何すとか君をいとはむ秋萩(あきはぎ)のその初花(はつはな)の嬉(うれ)しきものを

 

(訳)何だってあなたをいやに思ったりなどいたしましょう。お逢いできれば、秋萩のその初花のように思われて嬉しくてならないのに。(同上)

(注)なにすとか【何為とか】分類連語:どうして…か(いや、…ない)。▽反語の意を表す。(学研)

 

 

◆来可視 人毛不有尓 吾家有 梅之早花 落十方吉

       (作者未詳 巻十 二三二八)

 

≪書き下し≫来て見(み)べき人もあらなくに我家(わぎへ)なる梅の初花(はつはな)散りぬともよし

 

(訳)来て見てくれそうな人もいるわけではないのだから、我が家の梅の初花よ、散ったってかまいはしないよ。(同上)

(注)散りぬともよし:初花への愛着の逆説的表現。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「述戀緒歌一首 幷短歌」<恋緒(れんしょ)を述ぶる歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)恋緒:恋心。ここでは、都の妻大嬢への思い。(伊藤脚注)

 

◆妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見婆 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花乃 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近在者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氐 妹我多麻久良 佐之加倍氐 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氐安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氐早見牟

       (大伴家持 巻十七 三九七八)

 

≪書き下し≫妹(いも)も我(あ)れも 心は同(おや)じ たぐへれど いやなつかしく 相見(あひみ)れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我(あ)が奥妻(おくづま) 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山越え野(ぬ)行き 天離(あまざか)る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 別れ来(こ)し その日の極(きは)み あらたまの 年行き返(がへ)り 春花(はるはな)の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ 敷栲(しきたへ)の 袖(そで)返しつつ 寝(ぬ)る夜(よ)おちず 夢(いめ)には見れど うつつにし 直(ただ)にあらねば 恋(こひ)しけく 千重(ちへ)に積(つ)もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹(いも)が手枕(たまくら) さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙(たまほこ)の 道はし遠く 関(せき)さへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ ほととぎす 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯(う)の花の にほへる山を よそのみも 振(ふ)り放(さ)け見つつ 近江道(あふみぢ)に い行き乗り立ち あをによし 奈良の我家(わぎへ)に ぬえ鳥(どり)の うら泣けしつつ 下恋(したごひ)に 思ひうらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆふけ)問ひつつ 我を待つと 寝(な)すらむ妹(いも)を 逢(あ)ひてはや見む

 

(訳)あの子も私も、思う心は同じこと。寄り添っていても、ますます心引かれるばかりだし、顔を合わせていると、常初花のようにいつも初々(ういうい)しくて、心の憂さ、見る目のいたいたしもなくていられるのに、ああいとしい、心の底からたいせつに思える我が妻よ。大君の仰せを謹んでお承(う)けして、はるばると山を越え野を辿(たど)りして、都離れた鄙の地を治めにと別れたその日から、年も改まって、春の花も散り失せる頃までも顔を見ることができないものだから、どうにもやるせなくて、せめてものことに夜着(よぎ)の袖を押し返しては寝るその夜ごと夜ごとに夢に姿は見えるけれど、覚めている時にじかに逢うわけではないものだから、恋しさは千重(ちえ)に百重(ももえ)に積もるばかり。近くにさえおれば、日帰りにでも馬で一走り行って、かわいい手枕をさし交わして寝ても来ようものを、都への道はいかにも遠い上に、関所までが遮っていてはどうにもならなくて・・・。ええ、それならそれで、手だてはほかにあるはず。時鳥が訪れて鳴くあの月に何とか早くなってくれないものか。近江道に足を踏み入れ、あの懐かしい奈良の我が家で、心細く鳴くぬえ鳥のように人知れず泣き続けては、胸の思いにうちしがれて、門口(かどぐち)に立ち出でては夕辻占(ゆうつじうら)で占ってみたりして、私の帰りを待ち焦がれて独り寝を重ねておいでのあの子、あああの子の手をしっかと取って、一刻も早く逢(あ)って顔を見たいものだ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おやじ【同じ】形容詞:同(おな)じ。 ※「同じ」の古形。上代には「おなじ」と並んで両方用いられた。体言を修飾するときも終止形と同じ形の「おやじ」が用いられる。

(学研)

(注)たぐふ【類ふ・比ふ】自動詞①一緒になる。寄り添う。連れ添う。②似合う。釣り合う。(学研)

(注)とこはつはな【常初花】:いつも初めて咲いたように美しい花。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞ク:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)

(注)おくづま【奥妻】:心の奥深く大切に思う妻。心から愛する妻。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ゆきかへる【行き返る】自動詞:①往復する。②(年月や季節が)移行する。改まる。※古くは「ゆきがへる」。(学研)ここでは②の意

(注)そでかへす【袖返す】他動詞:①袖を裏返しにする。こうして寝ると恋人が夢に現れるという俗信があった。②袖をひるがえす。(学研)ここでは①の意

(注)関さへに:関所まで隔てているのでどうにもならなくて・・・。(伊藤脚注)

(注)よし 【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

(注)いゆく【い行く】自動詞:行く。進む。 ※「い」は接頭語。上代語。(学研)

(注)のりたつ【乗り立つ】自動詞:(馬や船などに)乗って出発する。(学研)

(注)ぬえどりの【鵼鳥の】分類枕詞:鵼鳥の鳴き声が悲しそうに聞こえるところから、「うらなく(=忍び泣く)」「のどよふ(=か細い声を出す)」「片恋ひ」にかかる。(学研)

(注)したごひ【下恋ひ】名詞:心の中でひそかに恋い慕うこと。(学研)

(注)うらぶる自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(学研)

(注)なす【寝す】自動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。 ※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 天平十九年(747年)、家持は越中に赴任しての初めての新春に病に倒れ、単身赴任のもどかしさ、病と闘い、その心情を池主に訴え、書簡のやり取りで励まされた。書簡のやり取りは二月二〇日から三月五日まで続いた。

 ようやく病が癒えたが、妻に逢いたいという思いはより激しいものとなりこの歌が詠われたのである。

 「よしはあらむぞ」とあるが、税帳使として都に上る予定があったので、よけいに妻への思いがかきたてられたのであろう。

 

 

次も家持の歌である。

題詞は、「五月九日兵部少輔大伴宿祢家持之宅集宴歌四首」<五月の九日に、兵部少輔大伴宿禰家持が宅(いへ)にして集宴(うたげ)する歌四首>のうちの一首である。

 

◆比佐可多能 安米波布里之久 奈弖之故我 伊夜波都波奈尓 故非之伎和我勢

       (大伴家持 巻二十 四四四三)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花(はつはな)に恋(こひ)しき我が背(せ)

 

(訳)ひさかたの雨はしとしとと降り続いております。しかし、なでしこは今咲いた花のように初々しく、その花さながらに心引かれるあなたです。(同上)

 

 これは、今城が上総帰任を送る集まりの歌で、四首とも女の歌を装うことで悲別の情を深めている。(伊藤脚注)

 

 

 次も家持の歌である。

 

題詞は、「十八日左大臣宴於兵部卿橘奈良麻呂朝臣之宅歌三首」<十八日に、左大臣兵部卿橘奈良麻呂朝臣(ひやうぶきやうたちばなのならまろのあそみ)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

◆和我勢故我 夜度能奈弖之故 知良米也母 伊夜波都波奈尓 佐伎波麻須等母

       (大伴家持 巻二十 四四五〇)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)がやどのなでしこ散らめやもいや初花(はつはな)に咲きは増(ま)すとも

 

(訳)あなたのお庭のなでしこ、このなでしこはよもや散ったりなどしましょうか。今咲き出した花のように初々しく咲き増さることはあっても。(同上)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉