万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1380)―福井県越前市 城福寺門前庭―万葉集 巻十五 三七五二

●歌は、

「春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも(巻十五 三七五二)

「向ひ居て一日もおちず見しかどもいとはぬ妹を月わたるまで(巻十五 三七五六)

である。

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福井県越前市 城福寺門前庭万葉歌碑(狭野弟上娘子・中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 城福寺門前庭にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七五二)

 

≪書き下し≫春の日のうら悲(がな)しきに後(おく)れ居(ゐ)て君に恋ひつつうつしけめやも

 

(訳)春の日の物悲しい時に、一人あとに取り残され、あなたに恋い焦がれてばかりいて、どうして正気でいられましょうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」心の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)

(注)うつし【現し・顕し】形容詞:①実際に存在する。事実としてある。生きている。②正気だ。意識が確かだ。 ◇「うつしけ」は上代の未然形。(学研)ここでは②の意

(注)けむ 助動詞《接続》活用語の連用形に付く。:①〔過去の推量〕…ただろう。…だっただろう。②〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。 ▽上に疑問を表す語を伴う。③〔過去の伝聞〕…たとかいう。…たそうだ。 ⇒語法(1)名詞の上は過去の伝聞③の過去の伝聞の用法は、名詞の上にあることが多い。例「『関吹き越ゆる』と言ひけむ浦波」(『源氏物語』)〈「関吹き越ゆる」と歌に詠んだとかいう浦波が。〉(2)未然形の「けま」(上代の用法) ⇒参考 中世以降の散文では「けん」と表記する。(学研)ここでは①の意

 

 この歌にある「後れ居て」ではじまる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1217)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊等波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖

       (中臣宅守 巻十五 三七五六)

 

≪書き下し≫向(むか)ひ居(ゐ)て一日(ひとひ)もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまで

 

(訳)向かい合って、一日も欠かさずに顔を見ていて、ちっともいやになることなどなかったあなたなのに、こんなに幾月にもわたるまで離れ離れでいて・・・。(同上)

(注)おちず【落ちず】分類連語:欠かさず。残らず。 ⇒なりたち 動詞「おつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連用形(学研)

(注)ども 接続助詞《接続》活用語の已然形に付く。:①〔逆接の確定条件〕…けれども。…のに。…だが。②〔逆接の恒常条件〕…てもいつも。…であっても必ず。 ⇒語法 軽い接続の用法 「ども」には、はっきりした逆接の関係にならず、「…だが、その一方で」「…だけではなく、さらに」などの意を表しているとみられる次のような例もある。「風吹き波激しけれども、かみさへ頂(いただき)に落ちかかるやうなるは」(『竹取物語』)〈風が吹き、波が激しいだけではなく、さらに雷までも頭の上に落ちかかるようなのは。〉 ⇒参考 「ど」とほとんど同義。中古では、和文には「ど」、漢文訓読文には「ども」が多用されたが、中世以降は「ども」が優勢になる。(学研)

(注)いとふ【厭ふ】他動詞:①いやがる。②〔多く「世をいとふ」の形で〕この世を避ける。出家する。③いたわる。かばう。大事にする。(学研)ここでは①の意

(注)わたる【渡る】自動詞:①越える。渡る。②移動する。移る。③行く。来る。通り過ぎる。④(年月が)過ぎる。経過する。(年月を)過ごす。(年月を)送る。暮らす。⑤行き渡る。広く通じる。及ぶ。⑥〔多く「せ給(たま)ふ」とともに用いて〕いらっしゃる。おられる。▽「あり」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

 

 歌を介して、お互いを確認し合うもどかしくもあり、それが唯一の接点であり相手に対する思いが張り裂けんばかりであるこれらの歌は胸に突き刺さって来る。

 

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城福寺庭園案内碑

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城福寺庭園説明案内碑

 歌碑は、城福寺門前の前庭にある。城福寺庭園について説明案内板によると、「奥殿にある庭園は元禄年間に造園され、形式上から借景枯山水築山式蓬莱庭園と呼ばれる。古くから名園としての名が高く、福井藩主の松平氏も毎年来訪した。広さは約356㎡で前面には低い築山がおかれ、その左端にはヒイラギの大木(武生市指定天然記念物)が繁。手前の平坦部は海面でコケ類の起伏は波を象徴し、舳先を西方に向けた舟島や、鶴島・亀島が点在している。また、正面には垣根越しに日野山系の山並が借景として取り入れられている。(後略)」と書かれている。(武生市は現在越前市となっている)

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城福寺参道



 城福寺門前の前庭のような所に歌碑は建てられている。人っ子一人通らない。歌碑周辺貸切状態である。ゆっくりと歌碑を堪能させていただいた。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「城福寺庭園について説明案内板」