●歌は、「このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし」である。
●歌をみてみよう。
◆己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之氣 安氣弖乎知欲利 須辨奈可流倍思
(狭野弟上娘子 巻十五 三七二六)
≪書き下し≫このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥(たまくしげ)明けてをちよりすべなかるべし
(訳)今のうちは、恋い焦がれながらもまだこうして我慢もできましょう。だけど、一夜明けた明日からは、どうして過ごしてよいのやらなすすべもなくなることでしょう。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)このころは恋ひつつもあらむ:今のうちは恋い焦がれながらもがまんできよう。別離前夜の思い。別れた後のすべなさを予想することで、三七二三から三七二六歌四首を結ぶ。(伊藤脚注)
(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。(学研)
(注)をち【彼方・遠】名詞:①遠く隔たった場所。遠方。かなた。②それより以前。昔。③それより以後。将来。(学研)ここでは③の意
(注の注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:①あちらこちら。②将来と現在。(学研)
「をち」あるいは「をちこち」を詠み込んだ歌をみてみよう。
まず「をち」からである。
◆彼方之 赤土少屋尓 ▼霂零 床共所沾 於身副我妹
(作者未詳 巻十一 二六八三)
▼:「雨かんむりの下に泳+霂」=「こさめ」
≪書き下し≫彼方(をちかた)の埴生(はにふ)の小屋(をや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)さへ濡れぬ身に添(そ)へ我妹(わぎも)
(訳)人里離れたこの埴生(はにゅう)の野小屋に、小雨が降り注いで寝床までも濡れてしまった。この身にぴったり寄り添うのだぞ、お前。((伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)をちかた【彼方・遠方】名詞:遠くの方。向こうの方。あちら。(学研)
(注)埴生(はにふ)の小屋(をや):土間の土の上に筵(むしろ)などを敷いただけの小さい家。また、土で塗っただけの小さい家。転じて、みすぼらしい粗末な家。また、自分の家をへりくだっていうのにも用いる。埴生の宿。埴生。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その462)」で紹介している。「彼方小学校」の歌碑である。
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◆真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
(作者未詳 巻十二 二八五三)
≪書き下し≫真玉(またま)つくをちをし兼(か)ねて思へこそ一重(ひとへ)の衣(ころも)ひとり着て寝(ぬ)れ
(訳)先々のことを今からよくよく考えてはあなたのことを思っているからこそ、私は、薄い一重の着物を、独りさびしく着て寝ているのに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)またまつく【真玉付く】分類枕詞:玉を付ける緒(を)の意から、「を」の音を含む「をち」「をちこち」にかかる。(学研)
(注)かぬ【兼ぬ】他動詞:①兼ねる。あわせ持つ。②予期する。予測する。前もって心配する。◇「予ぬ」とも書く。③(一定の区域に)わたる。あわせる。 ⇒注意 現代語「兼ねる」は①の意味に用いられるが、古語では②③の意味もある。(学研)ここでは②の意
人の噂を憚って、逢わないでいるという女の気持ちか。一重の衣は、裏がないので、ひたすらあなたの事を思っていると訴えているのであろう。
「をちこと」をみてみよう。
最初は、大伴坂上郎女の歌である。
◆真玉付 彼此兼手 言齒五十戸常 相而後社 悔二破有跡五十戸
(大伴坂上郎女 巻四 六七四)
≪書き下し≫真玉(またま)つくをちこち兼ねて言(こと)は言(い)へど逢ひて後(のち)こそ悔(くい)にはありといへ
(訳)玉を揃えて緒(お)に通し、こちらとあちらと結んで輪にするように、今も将来も変わらないと口ではおっしゃいますが、その口車に乗せられて逢ってしまったあとできっと後悔するものだと聞いていますが・・・。あなたはいかが。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
「五十戸」は、古来「五十」は「い」と読んだ(例えば、五十鈴川:いすず川)、「戸」は「へ」であるから「いへ」である。
「をちこち」の家(いへ)を頭に置き、「いへ」を「五十戸」と遊び心で書いたのかな。
次いで、笠金村の歌である。
◆足引之 御山毛清 落多藝都 芳野河之 河瀬乃 浄乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞尓 思自仁思有者 毎見 文丹乏 玉葛 絶事無 萬代尓 如是霜願跡 天地之 神乎曽禱 恐有等毛
(笠金村 巻六 九二〇)
≪書き下し≫あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴く 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人(おほみやひと)も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと 天地(あまつち)の 神をぞ祈(いの)る 畏(かしこ)くあれども
(訳)在り巡るみ山もすがすがしく渦巻き流れる吉野の川、この川の瀬の清らかなありさまを見ると、上流では千鳥がしきりに鳴くし、下流では河鹿(かじか)が妻を呼んで盛んに鳴く。その上、大君にお仕えする大宮人も、あちこちいっぱい往き来しているので、ここみ吉野のさまを見るたびにただむしょうにすばらしく思われて、玉葛(たまかづら)のように絶えることなく、万代(よろずよ)までもこのようにあってほしいものだと、天地の神々に切にお祈りする。恐れ多いことではあるけれども。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:あちらこちら。(学研)
(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)
(注)あやに【奇に】副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(学研)
(注)ともしぶ 動詞:羨うらやましく思う。<「ともしむ」に同じ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)たまかづら【玉葛・玉蔓】分類枕詞:つる草のつるが、切れずに長く延びることから、「遠長く」「絶えず」「絶ゆ」に、また、つる草の花・実から、「花」「実」などにかかる。(学研)
(注)かくしもがも【斯くしもがも】分類連語:こういうふうであってほしい。こうでありたい。 ⇒なりたち 副詞「かく」+副助詞「し」+終助詞「もがも」(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その778)」で紹介している。
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◆氏河齒 与杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞
(作者未詳 巻七 一一三五)
≪書き下し≫宇治川(うぢがは)は淀瀬(よどせ)なからし網代人(あじろひと)舟呼ばふ声をちこち聞こゆ
(訳)ここ宇治川には歩いて渡れるような緩やかな川瀬などないらしい。網代人が岸に向かって舟を呼び合う声があちこちから聞こえる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あじろひと 【網代人】名詞:夜、「あじろ」で漁をする人。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その228)」で紹介している。
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◆遠近 礒中在 白玉 人不知 見依鴨
(作者未詳 巻七 一三〇〇)
≪書き下し≫をちこちの礒(いそ)の中(なか)なる白玉を人に知らえず見むよしもがも
(訳)あちこちの磯の中にある真珠、その真珠を世間の人に気づかれずに見つけ出す手立てが欲しいなあ。(同上)
(注)をちこちの礒の中なる白玉:あちこちにいる美女の譬え(伊藤脚注)
(注)見むよし:女に逢う術(伊藤脚注)
◆真玉就 越乞兼而 結鶴 言下紐之 所解日有米也
(作者未詳 巻十二 二九七三)
≪書き下し≫真玉(またま)つくをちこち兼(か)ねて結びつる我(わ)が下紐(したびも)の解くる日あらめや
(訳)真玉を連ねた緒(お)ではないが、遠(おち)も近(こち)もずっと変わらぬ思いで結び合った、この私の下紐の解ける日があろうとはとても思えない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
◆・・・石瀬野尓 馬太伎由吉氐 乎知許知尓 鳥布美立・・・
(大伴家持 巻十九 四一五四)
≪書き下し≫・・・石瀬野(いはせの)に 馬(うま)だき行きて をちこちに 鳥踏(ふ)み立て・・・
(訳)・・・石瀬野に、馬を駆って出で立ち、あちこちに鳥を追い立てては・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)馬だく:馬をあやつる
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1096)」で紹介している。
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◆・・・於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理・・・
(大伴家持 巻二十 四三六〇)
≪書き下し≫・・・大御食(おほみけ)に 仕(つか)へまつると をちこちに 漁(いざ)り釣りけり・・・
(訳)・・・御膳(ごぜん)の用に差し上げようと、あちらこちらで魚を釣っている。・・・(同上)
◆・・・若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為・・・
(大伴家持 巻二十 四四〇八)
≪書き下し≫・・・若草の妻も子どもも をちこちに さはに囲(かく)に居(ゐ)・・・
(訳)・・・妻や子たちもあちらこちらからいっぱいに私を取り囲んで、・・・(同上)
(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)
蛇足であるが、地名の「越智(をち)」に懸る枕詞は「玉垂れの」である。次の歌をみてみよう。
◆敷妙乃 袖易之君 玉垂之 越野過去 亦毛将相八方 <一云 乎知野尓過奴>
(柿本人麻呂 巻二 一九五)
≪書き下し≫敷栲(しきたへ)の袖(そで)交(か)へし君玉垂の越智野(をちの)過ぎ行くまたも逢はめやも <一には「越智野に過ぎぬ」といふ>
(訳)袖を交わして床をともにした君は、越智野(おちの)を通り過ぎてさらにどこか遠くへ行ってしまった。<越智野にお隠れになった>。またとお逢いできようか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)
(注)たまだれの【玉垂れの】分類枕詞:緒(お)で貫いた玉を垂らして飾りとしたことから「緒」と同じ音の「を」にかかる。(学研)
(注)越智野:佐田の岡の西に続く越智周辺の原野。(伊藤脚注)奈良県高取町にある。
この歌の前の長歌(一九四歌)にも、「玉垂れに 越智の大野の・・・」と詠われている。
一九四歌ならびに一九五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1284、1285)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」