万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1391)―福井県越前市 万葉ロマンの道(15)―万葉集 巻十五 三七六〇

●歌は、「さ寝る夜は多くあれども物思はず安く寝る夜はさねなきものを」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(15)万葉歌碑(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(15)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆左奴流欲波 於保久安礼杼母 毛能毛波受 夜須久奴流欲波 佐祢奈伎母能乎

       (中臣宅守 巻十五 三七六〇)

 

≪書き下し≫さ寝(ぬ)る夜(よ)は多くあれども物(もの)思(も)はず安く寝る夜はさねなきものを

 

(訳)寝る夜はたくさんあるけれども、物を思わず安らかに寝る夜は、ちっともないのです。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さぬ【さ寝】自動詞:①寝る。②男女が共寝をする。 ※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)

 

 中臣宅守は、配所で狭野弟上娘子の事を淡々と詠いつつ深い愛情を投げかけている。三七六〇歌は、そういった境遇にあっても、多少遊び心を出している。娘子を元気づけようとしているのであろう。「さ寝(ぬ)る」「寝(ぬ)る」「さね」、「物(もの)」「思(も)ふ」「ものを」と言葉の遊び的な要素をちりばめて詠っている。逆に切ない気持ちに駆られるのである。

 「さ寝(ぬ)」は、男女が共寝をすることを意味することが多いが、宅守は、独り寝の場合も「さ寝(ぬ)」と詠っている。いつも娘子と一緒に寝ているんだ、寝ていたいんだと訴えているのであろう。

 

 「さ寝」を詠んだ歌をみてみよう。

 

◆玉匣 将見圓山乃 狭名葛 者遂尓 有勝麻之自  或本歌日玉匣三室戸山乃

       (藤原鎌足 巻二 九四)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)みもろの山のさな葛(かづら)さ寝(ね)ずはつひに有りかつましじ  或る本の歌には「たまくしげ三室戸山の」といふ

 

(訳)あんたはそんなにおっしゃるけれど、玉櫛の蓋(ふた)ならぬ実(み)という、みもろの山のさな葛(かずら)、そのさ寝ずは―共寝をしないでなんかいて―よろしいのですか、そんなことをしたらとても生きてはいられないでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注の注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。(学研)

(注)上三句は序。類音で「さ寝ずは」を起こす。(伊藤脚注)

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒なりたち:可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その328)」で紹介している。

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 次は、柿本人麻呂の「石見相聞歌」の一首である。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

         (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

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◆級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸

       (作者未詳 巻十一 二六七八)

 

≪書き下し≫はしきやし吹かぬ風(かぜ)ゆゑ玉櫛笥(たまくしげ)開(あ)けてさ寝(ね)にし我(わ)れぞ悔(くや)しき

 

(訳)ああ、吹いてきてもくれない風なのに、そんな風に迎え入れようと、玉櫛笥の箱を開けるようにたいせつな戸を開けて寝たりした、このとんまな私が悔しい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎

       (作者未詳 巻十一 二七八二)

 

≪書き下し≫さ寝(ね)がには誰(た)れとも寝(ね)めど沖つ藻の靡きし君が言(こと)待つ我(わ)れを

 

(訳)ただ寝る分には誰とでも寝ましょうが、沖の藻の靡くように、すっかり心の靡いたあなたのお言葉だけを心待ちにしている私なのに。(同上)

(注)がに 接続助詞:《接続》①動詞の終止形および完了の助動詞「ぬ」の終止形に付く。②動詞の連体形に付く。①〔程度・状態〕…そうに。…ほどに。②〔目的・理由〕…だろうから。…ばかりに。…ように。 ⇒参考:②は用法からみて、上代の接続助詞「がね」の東国方言とも考えられる。中古以降は和歌に、また東国地方以外でも用いられた。「終助詞」とする説もある。(学研)

(注)おきつもの【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(学研)

 

 

佐奴良久波 多麻乃緒婆可里 古布良久波 布自能多可祢乃 奈流佐波能其登

      (作者未詳 巻十四 三三五八)

 

≪書き下し≫さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと

 

(訳)共寝するのはほんのちょっぴり。逢いたくてならぬ思いは富士の高嶺の鳴沢そっくり。(同上)

(注)たまのを【玉の緒】名詞:①美しい宝玉を貫き通すひも。②少し。しばらく。短いことのたとえ。③命。(学研)

(注の注)鳴沢のごと:恋いこがれていることは富士の山の鳴沢の(岩の音の)よう(に激しいもの)だ。(学研)

 

 

◆麻可奈思美 佐祢尓和波由久 可麻久良能 美奈能瀬河泊尓 思保美都奈武賀

       (作者未詳 巻十四 三三六六)

 

≪書き下し≫ま愛(かな)しみさ寝(ね)に我(わ)は行く鎌倉の水無瀬川(みなのせがわ)に潮(しほ)満(み)つなむか

 

(訳)かわいさのあまり、共寝をしに私は出かけて行く。それにしても、鎌倉のあの水無瀬川(みなのせがわ)に、今ごろ潮が満ち満ちていはしまいか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)「なむ」は「らむ」の訛り

(注)よそ者に対する妨害の譬えを詠ったもの。

(注)▽みなせがは【水無瀬川】名詞:水のない川。伏流となって地下を流れ、川床に水の見えない川。和歌では、表に現れない、表に現せない心をたとえることがある。「みなしがは」とも。

▽みなせがは【水無瀬川】分類枕詞:水無瀬川の水は地下を流れるところから、「下(した)」にかかる。

水無瀬川 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の大阪府三島郡島本町を流れ、桂(かつら)川に注ぐ川。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その792)」で紹介している。

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伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢佐祢弖婆

       (作者未詳 巻十四 三四一四)

 

≪書き下し≫伊香保ろの夜左可(やさか)のゐでに立つ虹(のじ)の現(あら)はろまでもさ寝(ね)をさ寝(ね)てば

 

(訳)伊香保の夜左可(やさか)の堰(せき)に立つ虹、その虹がはっきり見えるように、まわりの人にばれるほど明るくなるまで、お前さんと寝て寝て寝通すことができたらなあ。(同上)

(注)上三句は序。「現はろ」を起こす。(伊藤脚注)

(注)「ノジ」は「ニジ」の訛り。(伊藤脚注)

(注)「現はろ」は「現はるる」の東国形。(伊藤脚注)

 

 

◆於保伎美能 美己等加之古美 由美乃美他 佐尼加和多良牟 奈賀氣己乃用乎

       (作者未詳 巻二十 四三九四)

 

[訓読]大君の命(みこと)畏(かしこ)み弓の共(みた)さ寝(ね)かわたらむ長けこの夜(よ)を

 

(訳)大君の仰せの恐れ多さに、弓なんかを抱いて寝明かすのか。長いこの夜をずっと。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さ寝:ここは弓と共寝する意。(伊藤脚注)

 

「さ寝」の「さ-」は接頭語で、名詞・動詞・形容詞に付いて、語調を整え、また、語意を強める意味がある。「さ夜(よ)」「さ乱る」「さ遠し」などがある。

「さ寝」は「共寝」の意味であるが、東歌の場合は特に、けれん味がなく、微笑ましく思える歌が多い。三四一四歌の「虹(のじ)の現(あら)はろまでもさ寝(ね)をさ寝(ね)てば」は、都の万葉集の読者である貴族層には受けたことだろう。

 

万葉集の面白さを感じさせる言葉である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉