万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1393)ー福井県越前市 万葉ロマンの道(12)―万葉集 巻十五 三七六二

●歌は、「我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(12)万葉歌碑(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和伎毛故尓 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都々乎礼杼 安布余思毛奈之

       (中臣宅守 巻十五 三七六二)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢坂山(あふさかやま)を越えて来て泣きつつ居(を)れど逢(あ)ふよしもなし

 

(訳)我妹子に逢うという名の逢坂山、その山を越えてこんな所までやって来て、恋しさに泣きくれているけれど、逢う手立てがない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)わぎもこに【吾妹子に】枕 :「吾妹子に会ふ」の意から、「あふ」と同音を含む「あふちの花」「逢坂山」「淡海」「淡路」にかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)我妹子に:結句にも響く。

 

 この歌の結句の前に「我妹子に」を補って読んでみると「我妹子(わぎもこ)に逢坂山(あふさかやま)を越えて来て泣きつつ居(を)れど我妹子に逢(あ)ふよしもなし」となり、より切ない感じが増して来る。

 

 

 「逢坂山」を詠んだ歌をみてみよう。

 

 大伴坂上郎女の歌である。直接「逢坂山」を詠み込んではいない。

 題詞は、「夏四月大伴坂上郎女奉拝賀茂神社之時便超相坂山望見近江海而晩頭還来作歌一首」<夏の四月に、大伴坂上郎女賀茂神社(かものやしろ)を拝(をろが)み奉(まつ(る時に、すなはち逢坂山(あふさかやま)を越え、近江(あふみ)の海を望み見て、晩頭(ひのぐれ)に帰り来(きた)りて作る歌一首>である。

 

◆木綿疊 手向乃山乎 今日越而 何野邊尓 廬将為吾等

 

≪書き下し≫木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむ)けの山を今日(けふ)越えていづれの野辺(のへ)に廬(いほ)りせむ我(わ)れ

 

(訳)木綿畳(ゆうたたみ)を手向ける、その手向け山の逢坂(おうさか)の山、この山を越えて行って、いったいどこの野辺で廬(いおり)を結ぼうというのか、われらは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふたたみ【木綿畳】名詞:「木綿(ゆふ)」を折り畳むこと。また、その畳んだもの。神事に用いる。「ゆふだたみ」とも。

(注)ゆふたたみ【木綿畳】分類枕詞:「木綿畳」を神に手向けることから「たむけ」「たな」に、また、「た」の音を含む地名「田上(たなかみ)」にかかる。「ゆふたたみ手向けの山」「ゆふたたみ田上山」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たむけやま【手向山】名詞:「手向けの神」が祭られている山。奈良山・逢坂山(おうさかやま)が有名。手向けの山。(学研)

(注)いほり【庵・廬】名詞:①仮小屋。▽農作業のために、草木などで造った。②草庵(そうあん)。▽僧や世捨て人の仮ずまい。自分の家をへりくだってもいう。(学研)

 

 

 

◆吾妹兒尓 相坂山之 波為酢寸 穂庭開不出 戀度鴨

      (作者未詳 巻十 二二八三)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢坂山(あふさかやま)のはだすすき穂には咲き出(で)ず恋ひわたるかも

 

(訳)いとしいあの子に逢うという逢坂山のはだすすき、そのすすきがまだ穂を出していないように、私もそぶりに出さずひそかに恋いつづけている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)わぎもこに【吾妹兒に】枕詞:吾妹子に会う意から、「あふ」と同音を含む「逢坂山」「近江(あふみ)」「楝(あふち)の花」「淡路(あはぢ)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)逢坂山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の滋賀県大津市の南にある山。古くから交通の要地で、ふもとに「逢坂の関」が設けられていた。和歌では多く「逢(あ)ふ」にかけて用いる。(学研)

(注)はだすすき【はだ薄】名詞:語義未詳。「はたすすき」の変化した語とも、「膚薄(はだすすき)」で、穂の出る前の皮をかぶった状態のすすきともいう。(学研)

(注の注)はだすすき【はだ薄】分類枕詞:すすきの穂の意から「穂」「末(うれ)(=穂の先)」「うら」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。「穂には咲き出ず」を起こす。

 植物の特性を捉え、詠い込んでいる歌の巧みさに完全脱帽である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その955)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆空見津 倭國 青丹吉 常山越而 山代之 管木之原 血速舊 于遅乃渡 瀧屋之 阿後尼之原尾 千歳尓 闕事無 万歳尓 有通将得 山科之 石田之社之 須馬神尓 奴左取向而 吾者越徃 相坂山

      (作者未詳 巻十三 三二三六)

 

≪書き下し≫そらみつ 大和(やまと)の国 あをによし 奈良山(ならやま)越えて 山背(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡り 滝(たき)つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千年(ちとせ)に 欠くることなく 万代(よろづよ)に あり通(かよ)はむと 山科(やましな)の 石田(いはた)の杜(もり)の すめ神(かみ)に 幣(ぬさ)取り向けて 我(わ)れは越え行く 逢坂山(あふさかやま)

 

(訳)そらみつ大和の国、その大和の奈良山を越えて、山背の管木(つつき)の原、宇治の渡し場、岡屋(おかのや)の阿後尼(あごね)の原と続く道を、千年ののちまでも一日とて欠けることなく、万年にわたって通い続けたいと、山科の石田の杜の神に幣帛(ぬさ)を手向けては、私は越えて行く。逢坂山を。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)そらみつ:[枕]「大和(やまと)」にかかる。語義・かかり方未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)奈良山:奈良県北部、奈良盆地の北方、奈良市京都府木津川(きづがわ)市との境界を東西に走る低山性丘陵。平城山、那羅山などとも書き、『万葉集』など古歌によく詠まれている。古墳も多い。現在、東半の奈良市街地北側の丘陵を佐保丘陵、西半の平城(へいじょう)京跡北側の丘陵を佐紀丘陵とよぶ。古代、京都との間に東の奈良坂越え、西の歌姫越えがあり、いまは国道24号、関西本線近畿日本鉄道京都線などが通じる。奈良ドリームランド(1961年開園、2006年閉園)建設後は宅地開発が進み、都市基盤整備公団(現、都市再生機構)によって平城・相楽ニュータウンが造成された。(コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注)管木之原(つつきのはら):今の京都府綴喜郡

(注)岡谷:宇治市宇治川東岸の地名

(注)石田の杜:「京都市伏見区石田森西町に鎮座する天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ・旧田中神社・石田神社)の森で,和歌の名所として『万葉集』などにその名がみられます。(中略)現在は“いしだ”と言われるこの地域ですが,古代は“いわた”と呼ばれ,大和と近江を結ぶ街道が通り,道中旅の無事を祈って神前にお供え物を奉納する場所でした。」(レファレンス協同データベース)

(注)あふさかやま【逢坂山】:大津市京都市との境にある山。標高325メートル。古来、交通の要地。下を東海道本線のトンネルが通る。関山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)すめ神:その土地を支配する神

 

 

題詞は、「或本歌曰」<或る本の歌に曰はく>である。

 

◆緑丹吉 平山過而 物部之 氏川渡 未通女等尓 相坂山丹 手向草 絲取置而 我妹子尓 相海之海之 奥浪 来因濱邊乎 久礼ゝゝ登 獨曽我来 妹之目乎欲

       (作者未詳 巻十三 三二三七)

 

≪書き下し>あをによし 奈良山過ぎて もののふ宇治川(うぢがは)渡り 娘子(をとめ)らに 逢坂山に 手向(たむ)け草 幣(ぬさ)取り置きて 我妹子(わぎもこ)に 近江(あふみ)の海(うみ)の 沖つ波 来寄(きよ)る浜辺(はまへ)を くれくれと ひとりぞ我(あ)が来る 妹(いも)が目を欲(ほ)り

 

(訳)あおによし奈良山、その山を通り過ぎて、もののふ宇治川を渡り、おとめに逢うという坂山に手向けの物を供えて無事を祈り、我がいとしい子に逢うという江の海の、沖つ波が打ち寄せる浜辺を、とぼとぼと私はやって来る。家に残したあの子に逢いたいと思いながら。(同上)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)

(注)娘子らに:「逢坂山」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)わぎもこに【吾妹兒に】枕詞:吾妹子に会う意から、「あふ」と同音を含む「逢坂山」「近江(あふみ)」「楝(あふち)の花」「淡路(あはぢ)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)くれくれ(と)【暗れ暗れ(と)】副詞:①悲しみに沈んで。心がめいって。②(道中)苦労しながら。はるばる。 ※後には「くれぐれ(と)」。(学研)ここでは①の意

(注)めをほる【目を欲る】分類連語:見たい。会いたい。(学研)

 

三二三七歌の反歌である。

 

相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡

 

≪書き下し≫逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる

 

(訳)逢坂の峠をうち出て見ると、おお、近江の海、その海には、白木綿花のように波がしきりに立ちわたっている。(同上)

 

 

◆王 命恐 雖見不飽 楢山越而 真木積 泉河乃 速瀬 竿刺渡 千速振 氏渡乃 多企都瀬乎 見乍渡而 近江道乃 相坂山丹 手向為 吾越徃者 樂浪乃 志我能韓埼 幸有者 又反見 道前 八十阿毎 嗟乍 吾過徃者 弥遠丹 里離来奴 弥高二 山文越来奴 劔刀 鞘従拔出而 伊香胡山 如何吾将為 徃邊不知而

       (作者未詳 巻十三 三二四〇)

 

≪書き下し≫大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木(まき)積む 泉(いずみ)の川の 早き瀬を 棹(さを)さし渡り ちはやぶる 宇治(うぢ)の渡りの たぎつ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けして 我(わ)が越え行けば 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあらば またかへり見む 道の隈(くま) 八十隈(やそくま)ごとに 嘆きつつ 我(わ)が過ぎ行けば いや遠(とほ)に 里離(さか)り来ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 剣太刀(つるぎたち) 鞘(さや)ゆ抜き出(い)でて 伊香胡山(いかごやま) いかにか我(あ)がせむ ゆくへ知らずて

 

(訳)大君の仰せを恐れ謹んで、いくら見ても見飽きない奈良山を越えて、真木を積んで運ぶ泉の川の早瀬を、棹をさして渡り、ちはやぶる宇治の渡り所の逆巻く瀬を見守りながら渡って、近江道の逢坂山の神に手向けを供え私が越えて行くと、やがて楽浪の志賀の唐崎に着いたが、この唐崎の名のように事もなく幸くさえあれば立ち帰ってまたここを見ることができよう。こうして、数多い道の曲がり角ごとに、嘆きを重ねて私が通り過ぎて行くと、いよいよ遠く里は離れてしまった。いよいよ高く山も越えて来た。剣太刀を鞘から抜き出していかがせんという伊香胡山ではないが、私はいかがしたらよいのか、行く先いかになるともわからないで。(同上)

 

 ポイントとなる地名を配し、地名に掛詞的に思いを託し、ショート紀行文に詠いあげる機知にとんだ歌のセンス、万葉びとの頭の構造はどうなっているのかと見たくなる。

 個々の歌の美の集合体である「万葉集」の美は計り知れないものでる。日々許しを乞いながら万葉集に近づく努力を少しづつ、である。

 

 

■■■和歌山県かつらぎ町橋本市の万葉歌碑巡り■■■

 

3月28日、超久しぶりに行ってきた万葉歌碑巡りのコースを前稿で紹介したがその概要を紹介させていただきます。

 

最初に訪れたのは、「かつらぎ町島の厳島神社船岡山)」である。同神社は中州にあり、南側の川に吊り橋がかかっており参道になっている。吊り橋の手前側の袂、神社に向かって左側手に駐車場(無料)がある。

吊り橋の神社側の右手に歌碑(巻7-1193)が見えてくる。さらにその右手の堤防護岸壁に巨大な歌(巻7-1209)が書かれている。

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厳島神社船岡山)万葉歌碑(巻7-1193)

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厳島神社側堤防護岸歌碑(巻7-1209)



次に向かったのは、「かつらぎ町窪の下水道浄化センター」である。歌碑(巻13-3318)は24号線沿いに建てられており、その前は道の駅「紀の川万葉の里」である。道の駅の入口近くに歌碑(7-1208)がある。

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かつらぎ町窪下水道浄化センター前国道24号線沿い(巻13-3318)

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道の駅「紀の川万葉の里」万葉歌碑(巻7-1208)

次は、「橋本市妻 西の森妻の社」と「同市河瀬阿弥陀寺」である。ナビ通り行くと、国道24号線とJR和歌山線に狭間に目的地が示される。見渡してもそれらしいものはない。通りすがりの人に尋ねるが、一人目はご存じでなかった。二人目のご婦人に尋ねると今下りて来た坂の途中右手にありますと教えていただく。カメラを準備してそちらに向かう。その方が、右手の石段から下りて来られて、この上で間違いないです、今確かめてきましたと親切に教えていただく。案内板も何もないので一段高くなった所にあるなんて、聞かなかったまず分からない。有り難かった。植わっている大木は枯れており、少し異様な雰囲気である。しかしお社はきちんと手入れが行き届いていた。歌碑(巻9-1679)を撮影。そこからはスマホのナビに従って南海高野線の高架を渡り阿弥陀寺に行き着くことができた。(巻9-1679)

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西の森 妻の社万葉歌碑(巻9-1679)

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下から見上げた歌碑と枯れ木の姿

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阿弥陀寺万葉歌碑(巻9-1679)

 JR橋本駅(巻7-1192)の次は橋本市立橋本中央中学校である。通用門からインターホンで歌碑の撮影許可をお願いし、構内へ。正門すぐの所に歌碑(9-1677)がありました。

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JR橋本駅万葉歌碑(巻7-1192)

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橋本中央中学校正門と歌碑(巻9-1677)



 JR隅田駅(巻3-298)の次は歌枕「真土山」である。

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JR隅田駅万葉歌碑(巻3-298)

 国道24号線「真土交差点」の北側に歌碑(巻9-1680)が南側に歌碑(巻1-55)がある。

 

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国道24号線「真土交差点」北側万葉歌碑(巻9-1680)

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国道24号線「真土交差点」の南側万葉歌碑(巻1-55)

 手作りの看板「万葉の里 真土 専用P」を頼りに駐車場へ。そこから歩いて「飛び越え石」を目指す。

地図を見ると、「真土交差点」から慈願寺を経由しても飛び越え石に行けそうであるので、交差点の歌碑の写真をもう一度撮っておこうとそちらからのルートを選んだ。土地勘のない悲しさ。住宅地に迷い込んでしまった。庭の手入れをされている老婦人に尋ねるとお寺の方に戻って、その近くの人に聞いて下さいとのこと。引き返す。ロスタイム。途中の公園で子供を遊ばせている若いお母さんに尋ねると、結構ややこしい道なので、案内しましょうとおっしゃっていただく。子供たちに集合の声をかけ、これからお散歩に行きましょうと。

有り難い話である。飛び越え石の所までは急な坂道になっている。こちらの足元を気遣ってもらえ、気恥ずかしいやらうれしいやら。結局飛び越え石まで連れて来ていただけたのである。おかげで比較的短いロスタイムで終わり、無事に歌碑(巻4-543、巻6-1019、巻12-3009、巻12-3154、巻9-1192)を巡ることができたのである。

ブログの紙面を借りて、改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。助かりました。

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古道飛び越え石入口万葉歌碑(巻4-543)

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古道途中万葉歌碑(巻6-1019)

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古道途中万葉歌碑(巻12-3009)

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古道飛び越え石西側万葉歌碑(巻12-3154)

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飛び越え石(手前が和歌山県側)

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「神代の渡し場」の碑

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奈良県五條市側飛び越え石近くの万葉歌碑(巻9-1680)

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飛び越え石解説案内板

最後は国道24号線沿いの、奈良県五條市上野 真土山手前の歌碑(巻1-55)を撮影し一日を締めくくったのである。

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奈良県五條市上野 真土山手前の万葉歌碑(巻1-55)



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>」

★「レファレンス協同データベース」