万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1398)―福井県越前市 万葉ロマンの道(17)―万葉集 巻十五 三七六七

●歌は、「魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに」である。

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(17)にある。

f:id:tom101010:20220404150404j:plain

福井県越前市 万葉ロマンの道(17)万葉歌碑(狭野弟上娘子)



●歌をみてみよう。

 

◆多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七六七)

 

≪書き下し≫魂(たましひ)は朝夕(あしたゆうへ)にたまふれど我(あ)が胸痛(むねいた)し恋の繁(しげ)きに

 

(訳)あなたのお心は、朝な夕なにこの身にいただいておりますが、それでも私の胸は痛みます。逢いたい思いの激しさに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまふ【賜ふ・給ふ】他動詞:{語幹〈たま〉}いただく。ちょうだいする。▽「受く」「飲む」「食ふ」の謙譲語。(学研)

 

 「多麻布礼杼(たまふれど)の解釈について伊藤氏は「賜ふれど」と解釈されているが、樋口清之氏は、その著「万葉の女人たち」(講談社学術文庫)の中で、「万葉女人達の嘆いた『魂ふれど吾が胸痛し』(巻十五、三七六七)とは、現実にこの世における魂の結合の難しさを指しています。恋の歌が鎮魂歌に発するというのも、この間の消息を物語るものではないでしょうか。」と書かれており、「魂ふれど」と解釈されている。。

(注)たまふり【魂振り】① 活力を失った魂を再生すること。広義には、鎮魂(たましずめ)を含めていう。② 鎮魂(たましずめ)の祭のこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 樋口氏は、三七六七歌全体は「魂は朝にゆうべに鎮めておりますけれど、やはり私の胸は痛うございます。恋の繁(はげ)しいままに・・・」と解釈されている。

 

 考えるために、次の歌をみてみよう。

◆筑波祢乃 乎弖毛許能母尓 毛利敝須恵 波播已毛礼杼母 多麻曽阿比尓家留

       (作者未詳 巻十四 三三九三)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のをてもこのもに守部(もりへ)据(す)ゑ母(はは)い守(も)れども魂(たま)ぞ会ひにける

 

(訳)筑波嶺の向こう側にもこちら側にも番人を据えて山を守る、そのように、母さんが見守っているけれども、何のその、魂は通じ合ってしまったよ。(同上)

(注)をてもこのも【彼面此面】名詞:あちら側とこちら側。かなたこなた。あちこち。 ※「をちおも(遠面)このおも(此面)」の変化した語。(学研)

(注)もりべ【守部】名詞:番人。特に、山野・河川・陵墓などの番人。(学研)

(注)上三句は序。「守る」を起こす。(伊藤脚注)

 

 「魂(たま)ぞ会ひにける」とは、男女の魂(たま)が逢うこと、即ち恋の成立を意味する。

 「魂合(たまあ)ふ」と詠われている歌をみてみよう。

 

◆百不足 山田道乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 速川之 徃文不知 衣袂笶 反裳不知 馬自物 立而爪衝 為須部乃 田付乎白粉 物部乃 八十乃心▼ 天地二 念足橋 玉相者 君来益八跡 吾嗟 八尺之嗟 玉桙乃 道来人乃 立留 何常問者 答遣 田付乎不知 散釣相 君名日者 色出 人可知 足日木能 山従出 月待跡 人者云而 君待吾乎

   ▼は「口偏にリ」である。「八十乃心▼」で「やそのこころ

       (作者未詳 巻十三 三二七六)

 

≪書き下し≫百足(ももた)らず 山田(やまだ)の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し妻(づま)と 語らはず 別れし来(く)れば 早川の 行きも知らず 衣手(ろもで)の 帰りも知らず 馬(うま)じもの 立ちてつまづき 為(せ)むすべの たづきを知らに もののふの 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂合(たまあ)はば 君来(き)ますやと 我(わ)が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉桙(たまほこ)の 道来(く)る人の 立ち留(と)まり いかにと問はば 答(こた)へ遣(や)る たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名(な)言はば 色に出(い)でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我(わ)れを

 

(訳)百に足らぬ八十(やそ)というではないが、山田(やまだ)の道を、波雲のようなかわいい妻とろくに睦(むつ)び合いもせずにはるばる別れて来たので、早瀬のようにさっさと行くに行かれず、といってひるがえる袖のように帰るわけにもゆかず、馬の躓(つまず)くように立ちすくんだまま、どうしたらよいのかなす手だてもわからず、千々に乱れる心の思い、その思いが天地に満ち溢(あふ)れるばかりに広がって・・・。そのようにして互いの魂さえ通じ合えばあの方もいらして下さるかと私の吐く溜息、その深い溜息を、道をやって来る人が立ち留まってどうしたのかと尋ねたなら、どう答えてよいのやら思案もつかず、と言って、凛々(りり)しいあの方の名を口にしたら、思いが顔に出て人に知られてしまいそうなので、あしひきの山からさし出る月を待っていると人には言って、ほんとはあの方のお越しをお待ちしている私なのです。(同上)

(注)ももたらず【百足らず】分類枕詞:①百に足りない数であるところから「八十(やそ)」「五十(いそ)」に、また「や」や「い」の音から「山田」「筏(いかだ)」などにかかる。(学研)

(注)山田の道:昔の上つ道から桜井市山田を通って、明日香へ出る道。(伊藤脚注)

(注)なみくもの【波雲の】[枕]波形の雲の美しい意から、「愛(うつく)し」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)はやかはの【早川の】[枕]:はやく流れ行く意から、「行く」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ころもでの【衣手の】[枕]:袖に関する「手 (た) 」「真袖 (まそで) 」「ひるがえる」などの意から、「た」「ま」「わく」「かへる」「なぎ」などにかかる。(goo辞書)

(注)うまじもの【馬じもの】副詞:(まるで)馬のように。 ※「じもの」は「…のようなもの」の意の接尾語。(学研)

(注)たらはす【足らはす】[動]:① 満たす。満足させる。②(動詞の連用形に付いて)十分…する。やり遂げる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

(注)たまあふ【魂合ふ】自動詞:心が通じ合う。魂が結ばれる。(学研)

(注)やさか【八尺】:《「さか」は長さの単位》長いこと。また、その長さ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)さにつらふ【さ丹頰ふ】分類連語:(赤みを帯びて)美しく映えている。ほの赤い。 ⇒参考:赤い頰(ほお)をしているの意。「色」「君」「妹(いも)」「紐(ひも)」「もみぢ」などを形容する言葉として用いられており、枕詞(まくらことば)とする説もある。 ⇒

なりたち:接頭語「さ」+名詞「に(丹)」+名詞「つら(頰)」+動詞をつくる接尾語「ふ」(学研)

(注)「あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我(わ)れを」:巻十二 三〇〇二歌として収録されている。(訳)山から出てくる月を待っている、と人には言いながら、ほんとうは約束したあの子を待っている私なのに。(同上)

 

 もう一首みてみよう。

霊合者 相宿物乎 小山田之 鹿猪田禁如 母之守為裳  <一云 母之守之師>

       (作者未詳 巻十二 三〇〇〇)

 

≪書き下し≫魂合(たまあ)へば相(あひ)寝(ぬ)るものを小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守(も)らすも  <一云 母が守らしし>

 

(訳)二人の魂が通じ合えば共寝できるというのに、まるで山の田んぼの鹿猪(しし)の荒らす田を見張りするように、あの子のおっかさんが見張りをしておいでだ。<あの子のおっかさんが見張りをしておいでだったよ。>(同上)

(注)たまあふ【魂合ふ】自動詞:心が通じ合う。魂が結ばれる。(学研)

(注)ししだ【猪田・鹿田】〘名〙: 猪(いのしし)や鹿(しか)などが出て荒らす田。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1122)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 三三九三歌の「魂(たま)ぞ会ふ」、三二七六・三〇〇〇歌の「魂合ふ」は、「魂」といった重々しいものでなく、気持ちが通じ合う程度で解釈してもよいように思う。三三九三ならびに三〇〇〇歌は、二人の恋の大きな障害である母なる存在、前者はガードを潜り抜け大願成就となったが、後者はガードの強さを嘆いているという対比の面白さがあるが、どちらも歌としては重々しさは感じられない。三二七六歌も人には、山から出てくる月を待っている、と言いながら、ほんとうはあの子を待っているんだという軽い歌であり、狭野弟上娘子の熱い思いとは比べ物にならない。歌い手の情熱からくる歌の重さから考えて、「魂ふり」と解釈した方が歌にはふさわしい感じがするのである。

 

 

 

 (参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の女人たち」 樋口清之 著 (講談社学術文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典