万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1399)―福井県越前市 万葉ロマンの道(18)―万葉集 巻十五 三七六八

●歌は、「このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(18)万葉歌碑(狭野弟上娘子)

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(18)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都々 祢能未之曽奈久

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七六八)

 

≪書き下し≫このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く

 

(訳)このごろは、あなたのことを思っては、やる方ない恋しさにばかり沈みながら、ただむせび泣いています。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ねをなく【音を泣く】分類連語:声を出してなく。 ⇒参考:「なく」は「鳴く」とも書く。「なくことをなく」の意で、「泣く」「鳴く」の強調であるため、「ねをもなく」のように、強めの助詞「も」「ぞ」「のみ」などを伴った例が多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 三二一八歌をみてみよう。

◆旦ゝ 筑紫乃方乎 出見乍 耳吾泣 痛毛為便無三

      (作者未詳 巻十二 三二一八)

 

≪書き下し≫朝(あさ)な朝(さ)な筑紫(つくし)の方(かた)を出で見つつ音(ね)のみぞ我(あ)が泣くいたもすべなみ

 

(訳)毎朝毎朝、船上に出てははるか筑紫の方を見やりながら、声をあげて泣くばかりだ。どうにもやるせなくて。(同上)

(注)あさなあさな【朝な朝な】副詞:朝ごとに。毎朝毎朝。「あさなさな」とも。 ⇒ [反対語] 夜(よ)な夜な。(学研)

(注)いたも【甚も】副詞:甚だ。全く。(学研)

 

 表記に「哭」という文字を使用しているが、書き下しでは「音(ね)」である。「哭(読み)こく 」は、「① 声をあげて泣きさけぶ。② 中国で、死者をとむらう礼として泣きさけぶ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)」という意味である。従って「なくことをなく」の意となる。

 

 中臣宅守の父中臣朝臣東人と阿倍女郎の贈答歌(五一四から五一六歌)をみてみよう。

 

題詞は、「阿倍女郎歌一首」<阿倍女郎(あへのいらつめ)が歌一首>である。

 

◆吾背子之 盖世流衣之 針目不落 入尓家良之 我情副

       (阿倍女郎 巻四 五一四)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が着(け)せる衣(ころも)の針目(はりめ)おちず入りにけらしも我(あ)が心さへ

 

(訳)あなたの着ていらっしゃる着物の針目一つ一つに食(く)い入っていることでしょう。針ばかりでなく私の心も(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おちず 【落ちず】分類連語:欠かさず。残らず。 ⇒なりたち:動詞「おつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連用形(学研)

 

題詞は、「中臣朝臣東人贈阿倍女郎歌一首」<中臣朝臣東人(なかとみのあそみあづまひと)、阿倍女郎(あへのいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

◆獨宿而 絶西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣

       (中臣東人 巻四 五一五)

 

≪書き下し≫ひとり寝て絶えにし紐(ひも)をゆゆしみと為(せ)むすべ知らに音(ね)のみしぞ泣く

 

(訳)独り寝をして解きもしないのにひとりでにちぎれてしまった着物の紐、こいつは縁起でもないと、途方に暮れて大声で泣いてばかりいます。(同上)

(注)ひとり寝て絶えにし紐(ひも):独り寝をして解きもしないのに切れてしまった紐。せっかく「針目おちず」(五一四歌)縫ってくれたのにという心。(伊藤脚注)

(注)絶えにし紐(ひも):結び交わした紐が解けるのを契りの絶える前兆とみている。(伊藤脚注)

(注)ゆゆし 形容詞:①おそれ多い。はばかられる。神聖だ。②不吉だ。忌まわしい。縁起が悪い。③甚だしい。ひととおりでない。ひどい。とんでもない。④すばらしい。りっぱだ。(学研)ここでは②の意

(注)ゆゆしみと:縁起が悪いと。おどけている。結句もわざと大げさに言ったもの。(伊藤脚注)

 

 

 

題詞は、「阿倍女郎答歌一首」<阿倍女郎が答ふる歌一首>である。

 

◆吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曽悔寸

       (阿倍女郎 巻四 五一六)

 

≪書き下し≫我(わ)が持てる三相(みつあひ)に搓(よ)れる糸もちて付(つ)けてましもの今ぞ悔(くや)しき

 

(訳)私の持っている三本搓(よ)りの強い糸で、しっかとその紐を付けておけばよかったのに。今となっては残念でなりません。(同上)

(注)みつあひ【三合ひ/三相】:糸などを、3本よりあわせること。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)当時は双子(二相)が普通。(伊藤脚注)

(注)今ぞ悔(くや)しき:五一五歌のからかいをまともに承けることで、逆にからかったもの。(伊藤脚注)

 

中臣宅守は、女性問題で味真野に流され、狭野弟上娘子は悲痛な思いから「恋のみしつつ音のみしぞ泣く」と詠い、中臣宅守の親父である中臣東人の妻は藤原鎌足の娘であるが阿倍女郎とのやり取りで、軽いタッチで「為(せ)むすべ知らに音(ね)のみしぞ泣く」と大げさに詠っている。これも万葉集の面白さの一つでもある。

 

 音(ね)と音(おと)の違いをみてみると、weblio古語辞典 学研全訳古語辞典によると「ね【音】名詞:音。なき声。ひびき。▽情感のこもる、音楽的な音。(人や動物の)泣(鳴)き声や、楽器などの響く音。 ⇒参考:『ね』と『おと』の違い 『ね』が人の心に響く音であるのに対して、『おと』は雑音的なものを含め、風や鐘の音など比較的大きい音をいう。」とある。

 

音(おと)の歌をみてみよう。

◆安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟

       (作者未詳 巻十四 三三八七)

 

≪書き下し≫足のせず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ

 

(訳)足音を立てずに行くような駒でもあったらなあ。そしたら、その駒で、葛飾の真間の継橋を、しょっちゅう通うことができように。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あ 【足】名詞:足(あし)。 ⇒参考:上代語。「足占(あうら)」「足結(あゆひ)」などのように多く複合語の形で使われた。(学研)

 

 もう一首みてみよう。

◆真氣長 戀心自 白風 妹所聴 紐解徃名

       (作者未詳 巻十 二〇一六)

 

≪書き下し≫ま日(け)長く恋ふる心ゆ秋風に妹(いも)が音(おと)聞こゆ紐解(ひもと)き行かな

 

(訳)幾日もずっと恋い焦がれてきた心に、吹く秋風に乗ってあの子の気配が聞こえてくる。さあ、衣の紐を解いて行こう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まけながく【真日長く】分類連語:長い間。 ※「ま」は接頭語。「け」は日数の意。(学研)

 

 このような、色っぽい「音(おと)」もあるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉