●歌は、「帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて」である。
●歌をみていこう。
◆可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖
(狭野弟上娘子 巻十五 三七七二)
≪書き下し≫帰りける人来(きた)れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思(おも)ひて
(訳)赦(ゆる)されて帰って来た人が着いたと人が言ったものだから、すんでのことに死ぬところでした。もしやあなたかと思って。(同上)
(注)帰りける人:許されて帰った人。中臣宅守は天平十二年の大赦には洩れた。(伊藤脚注)
(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。 ※「ほとど」とも。 ⇒語の歴史:平安時代末期には、「ほとほど」または「ほとをと」と発音されていたらしい。のちに「ほとんど」となり、現在に至る。(学研)ここでは①の意
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1356⑥)」で紹介している。
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大赦で許されたのではないかという一瞬の歓喜から、そうではなかったという現実的落胆への精神的ギャップが、歓びのあまり「ほとほと死にき」という言い回しに効果的な響きを与えている。何とかしてあげたいという衝動に駆られてしまう。
「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典の」語の歴史の発音の変化を見て行くとなるほどと納得できるのである。「ほとほと、ほとど」>「ほとほど」「ほとをと」>「ほとんど」
なんとなく微笑ましい響きのある「ほとほと」が詠われている歌を見てみよう。
大伴旅人の歌である。
◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
(大伴旅人 巻三 三三一)
≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない、ひょっとして、奈良の都、あの都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)をつ【復つ】自動詞タ:元に戻る。若返る。(学研)
(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。
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◆三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴
(作者未詳 巻七 一四〇三)
≪書き下し≫御幣(みぬさ)取り三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原 薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ
(訳)幣帛(へいへく)を手に取って三輪の神官(はふり)が斎(い)み清めて祭っている杉林よ。その杉林で薪を伐(き)って、すんでのところで大切な手斧(ておの)を取り上げられるところだったよ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)三輪の祝(はふり):三輪の社の神職。女の夫の譬え。(伊藤脚注)
(注)斎(いは)ふ杉原:人妻の譬え。上三句は親が大切にする深窓の女性の譬えとも解せる。(伊藤脚注)
(注)「薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ」:手を出してひどい目にあいかけたの意を喩える。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1320)」で紹介している。
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次は、大伴家持の歌である。
題詞は、「大伴家持和歌一首」<大伴家持が和(こた)ふる歌一首>である。
◆.吾屋戸乃 一村芽子乎 念兒尓 不令見殆 令散都類香聞
(大伴家持 巻八 一五六五)
≪書き下し≫我がやどの一群(ひとむら)萩を思ふ子に見せずほとほと散らしつるかも
(訳)我が家の庭の一群(ひとむら)の萩、この萩をいとしく思う子に見せないまま、あやうく散らしてしまうところでした。(同上)
この歌は、日置長枝娘子(へきのながえをとめ)の歌に和(こた)えた歌である。こちらもみてみよう。
題詞は、「日置長枝娘子歌一首」<日置長枝娘子(へきのながえをとめ)が歌一首>である。
(注)日置長枝娘子:伝未詳。
◆秋付者 尾花我上尓 置露乃 應消毛吾者 所念香聞
(日置長枝娘子 巻八 一五六四)
≪書き下し≫秋づけば尾花(をばな)が上に置く露の消(け)ぬべくも我(あ)れは思ほゆるかも
(訳)秋めいてくると尾花の上に露が置く、その露のように、今にも消え果ててしまいそうなほどに、私はせつなく思われます。(同上)
(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。
◆春之在者 酢軽成野之 霍公鳥 保等穂跡妹尓 不相来尓家里
(作者未詳 巻十 一九七九)
≪書き下し≫春さればすがるなす野の霍公鳥ほとほと妹に逢はず来にけり
(訳)春になるとすがるの飛び立つ野の時鳥、その名のように、ほとんどすんでのことで、あの子に逢わずに来てしまうところであった。(同上)
(注)上三句は同音の序。「ほととぎす」を起す。(伊藤脚注)
(注)すがる【蜾蠃】名詞:①じがばちの古名。腹部がくびれていることから、女性の細腰にたとえる。②鹿(しか)の別名。 ⇒参考:細腰は、万葉時代の女性の容姿の美しさの一つの基準である。『古今和歌集』以降は、もっぱら「鹿」の意で用いられるが、これも鹿の腰が細いことからの呼び方である。(学研)
(注)なす【為す・成す】他動詞:①実行する。行う。②変える。…にする。ならせる。③作り上げる。実現する。成就する。 なす【生す】他動詞:(子を)生む。
(注の注)すがるなす:じがばちが巣立という意味か。
(注の注)じがばちについては、「筑波実験植物園HP『こんにちは 植物園です』」に「ジガバチは狩りをする蜂で、このイモムシの様な自分自身より大きな昆虫でも、お尻の針から出る毒液で仕留めることができます。この毒液は麻酔の役割を果たすので、獲物は生きまま幼虫の餌としてジガバチの巣穴で保存されます。地面に掘った巣穴の中に新鮮なままの獲物数匹を運び終えたジガバチは、巣穴にひとつだけ卵を産み付け、巣穴の入口に蓋をするそうです。産み付けられた卵は孵化すると、獲物を食べて大きくなり、10日ほどで羽化をして巣穴から出てくるということです。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「筑波実験植物園HP」