万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1405)―福井県越前市 万葉ロマンの道(24)―万葉集 巻十五 三七七七 

●歌は、「昨日今日君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしぞ泣く」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(24)万葉歌碑(狭野弟上娘子)

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(24)にある。

 

●歌をみていこう。

                        

◆伎能布家布 伎美尓安波受弖 須流須敝能 多度伎乎之良尓 祢能未之曽奈久

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七七)

 

≪書き下し≫昨日今日君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしぞ泣く

 

(訳)そうはおっしゃっても、昨日も今日も、このごろ毎日、あなたに逢わないまま、そうしてよいやらわからず、ただ泣いてばかりです。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 「音(ね)のみしぞ泣く」を使った歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1399)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 三七七七、三七七八歌の左注は、「右二首娘子」<右の二首は娘子>である。

 三七七八歌の歌碑は撮影できていないので、歌だけみてみよう。

 

◆之路多倍乃 阿我許呂毛弖乎 登里母知弖 伊波敝和我勢古 多太尓安布末▼尓

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七八)

   ▼は「人偏に弖」である。「末▼尓」=「までに」

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の我(あ)が衣手(ころもで)を取り持ちて斎(いは)へ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢(あ)ふまでに

 

(訳)形見にお贈りしたあの白い私の衣、その衣をしっかと取り持って神に祈り、斎(い)み慎んでくださいね、あなた。じかにお逢いするまでずっと。(同上)

 

 三七二三から三七八五歌の歌群「中臣朝臣宅守、狭野弟上娘子と贈答する歌」ほ、娘子の上記の三七七七・三七七八歌と宅守の三七七九から三七八五歌でそれぞれのパートが閉じる形になっている。

三七七九歌(わがやどの花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに)から「散る」「過ぐ」そして「見る人なしに」即ち「見るべき娘子がいない」という過去への思いが読み取れるのである。つまり、神野志隆光氏がその著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)に書かれているように「娘子の死をもってまとめられた物語として読むこととなります。余儀ない別離と、その嘆きのなかに時を経て、娘子の死をもって閉じる―、その展開を、歌だけで構成してみせるのです。現実に生きた宅守の実話としてあらしめるそれは、『実録』というのがふさわしいのです。」

今一度、娘子の二首をみてみると、「たどきを知らに音のみしぞ泣く(三七七七歌)」には、ほぼ絶望感に近い響きが、また「直(ただ)に逢(あ)ふまでに(三七七八歌)」の歌には、強く強く祈って欲しいと、もう直に逢うことがかなわないという悲壮感が漂っている。この二首で娘子のパートが終わっている。逢いたい逢いたいという強い思いが、かなわないという悲観的な見方に変わって来る悲壮感の中にあって、「直(ただ)に逢(あ)う」と言葉の重みがずしんと伝わってくる。

「直(ただ)に逢(あ)う」は逆に、もう逢うことができないという悲壮感に裏付けられた表現といえるのである。

 

題詞「柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子が作る歌二首」の二二五歌が思い出される。

こちらもみてみよう。

 

直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲

       (依羅娘子 巻二 二二五)

 

≪書き下し≫直(ただ)に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

 

(訳)じかにお逢いすることは、とても無理であろう。石川一帯に、雲よ立渡っておくれ。せめてお前を見ながらあの方をお偲びしよう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ただなり【直なり・徒なり】形容動詞:①直接だ。じかだ。まっすぐだ。②生地のままだ。ありのままだ。③普通だ。あたりまえだ。④何もせずにそのままである。何事もない。⑤むなしい。何の効果もない。(学研)ここでは①の意

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒

なりたち 可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

(注)雲:雲は霊魂の象徴とされ、人を偲ぶよすがとされた。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1268)」で紹介している。

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 依羅娘子は柿本人麻呂の死を感じ取っており、絶望感から「直(ただ)に逢はば逢ひかつましじ」と悲痛な叫びを詠っているのである。

 

 

 「直に逢う」と詠われている歌をみてみよう。

 

多陀尓阿波須 阿良久毛於保久 志岐多閇乃 麻久良佐良受提 伊米尓之美延牟

       (作者未詳 巻五 八〇九)

(注)奈良にいる人の返歌。丹生女王か。(伊藤脚注)

 

≪書き下し≫直(ただ)に逢はずあらくも多く敷栲(しきたへ)の枕(まくら)去(さ)らずて夢(いめ)にし見えむ

 

(訳)じかにお逢いできない日が重なってしまって・・・。仰せのように、おやすみになる枕辺を離れず、夜(よ)ごとの夢にお逢いしましょう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「あらく」は「あり」のク語法。「多く」は「多し」の中止法。(伊藤脚注)

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)

(注)し 副助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。〔強意〕⇒参考:「係助詞」「間投助詞」とする説もある。中古以降は、「しも」「しぞ」「しか」「しこそ」など係助詞を伴った形で用いられることが多くなり、現代では「ただし」「必ずしも」「果てしない」など、慣用化した語の中で用いられる。(学研)

 

  奈良の女性から大伴旅人に思いを伝える文か歌に対して旅人が、その女性に「・・・ただ羨(ねが)はくは、去留(きよりう)恙(つつみ)なく、つひに披雲(ひうん)を待たまくのみ。(訳:ただただ乞(こ)い願うことは、離れ離れでありましても互いに障(さわ)なく、お目にかかれる日が一日も早いことだけです。(同上)」との書簡に添えて二首を贈ったことに「答ふる歌」(八〇八・八〇九歌)である。

 

  ある意味で通り一遍の旅人の返歌を見て「直に逢えない」ことをうかがい知らされるも、未練もあり、信じたくもない思いから「枕(まくら)去(さ)らずて夢(いめ)にし見えむ」と詠っているのであろう。

 

 続いて三首みてみよう。

 

◆故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢

       (作者未詳 巻十一 二四一三)

 

≪書き下し≫故(ゆゑ)もなく我(わ)が下紐(したびも)を解(と)けしめて人にな知らせ直(ただ)に逢ふまでに

 

(訳)わけもなく下紐が解けるように仕向けて私を困らせておいでですが、人には二人の仲を知らせないでね、じかにお逢いするまでは。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)解(と)けしめて:解けるように仕向けていますが。思われているあかし。女の歌。(伊藤脚注)

 

 

◆二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者

     (作者未詳 巻十二 二九一九)

 

≪書き下し≫ふたりして結びし紐(ひも)をひとりして我(あ)れは解(と)きみじ直(ただ)に逢ふまでは

 

(訳)あの子と二人で結んだ着物の下紐、この紐を私は独りだけで解いたりはすまい。じかに逢えるまでは。(同上)

(注)結びし紐:男が旅などに出かける時に、互いに下紐を結び、再会の折に解く。(伊藤脚注)

(注)解く:一人で解くのは他人と関係することを意味する。(伊藤脚注)

 

 

◆御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忘 正相左右二

      (作者未詳 巻十三 三二八九)

 

≪書き下し≫み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の ゆくへなみ 我(わ)がする時に 逢(あ)ふべしと 逢ひたる君を な寐寝(いね)そと 母聞(き)こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(わ)れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに

 

(訳)お佩(は)きになる剣の名の剣の池、その池の蓮葉に溜まっている水玉がどちらへもいけないように、私がどうしてよいのか途方に暮れている時に、逢うべき定めなのだとのお告げによってお逢いしたあなた、そんなあなたなのに一緒に寝てはいけないと母さんはおっしゃるけど、私の心は、清隅の池のように清く澄んでおり、その池の底のように心の底からあなたを思っている私は、忘れるなんてことを致しますまい。もう一度じかにお逢いできるその日まで。(同上)

(注)みはかし【御佩刀】名詞:お刀。▽「佩刀」の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(学研)

(注)冒頭から四句は序。「ゆくへなみ」を起こす。

(注)みはかしを【御佩刀を】[枕]《「を」は間投助詞》:「剣 (つるぎ) 」と同音を含む地名「剣の池」にかかる。(goo辞書)

(注)剣の池:橿原市石川町の池

(注)なみ【無み】 ※派生語。 ⇒なりたち 形容詞「なし」の語幹+接尾語「み」(学研)

(注)左右(まで):両手のことを「まて」、「まで」といったことからの戯書。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その973)」で紹介している。

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 「直に逢う」は長い間逢っていないから、当面の究極のゴールである。それだけに長い間逢っていない、逢えていない間は時間とともに増大する不安要素が付きまとっている。

 二四一三歌は、女の甘えたような歌である。しかし女の直感で、不安を感じているので、呪術的な要素を前面に出さざるをえないと考えられる。二九一九歌は、男の歌である。どちらかというと逢わないと一人で解いてしまうという女に対する脅迫的な歌ともとれる、即ち女にとっての不安要素を高めるフレーズとして使われていると考えられなくもない。

 三二八九歌も「直に逢う」までの不安要素満載の歌である。「直に逢う」というのは究極のゴールであるだけに、達成できるまでの、その裏返しの不安と、ゴールできない、あるいはゴールそのものが現実のものではないと悟った時の絶望感、それらを要素を踏まえているが故に「直に逢う」と複雑な、悲痛な響きを包含したが故にストレートな言葉となっているのであろう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」