万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1407)―福井県越前市 万葉ロマンの道(26)―万葉集 巻十五 三七八五

●歌は、「ほととぎす間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(26)万葉歌碑(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之

       (中臣宅守 巻十五 三七八五)

 

≪書き下し≫ほととぎす間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば我(あ)が思(も)ふ心いたもすべなし

 

(訳)時鳥よ、せめてもう少しあいだを置いてくれ。お前が鳴くとそのたびに、思いに沈むこの私の心が、どうしてよいのやら、何とも処置なしになってしまうのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 三七七九から三七八五歌までの左注は、「右七首中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」<右の七首は、中臣朝臣宅守、花鳥に寄せ、思ひを陳(の)べて作る歌>である。

 三七七九から三七八三歌までの歌碑は撮影できていないので、歌のみみてみよう。(三七八四歌は、前稿で紹介しているので省略いたします。

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◆和我夜度乃 波奈多知婆奈波 伊多都良尓 知利可須具良牟 見流比等奈思尓

       (中臣宅守 巻十五 三七七九)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどの花橘(はなたちばな)はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに

 

(訳)我が家の庭の花橘は、今頃空しく散り過ぎているのであろうか。見る人とてなく。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流

       (中臣宅守 巻十五 三七八〇)

 

≪書き下し≫恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思(ものも)ふ時に来鳴(きな)き響(とよ)むる

 

(訳)恋い死にしたいなら、そのまま死んでしまえとでもいうのか、時鳥よ、お前は私が物思いに沈んでいるこんな時に、しきりにやって来てやたらと鳴き立てるとは。(同上)

 

 

◆多婢尓之弖 毛能毛布等吉尓 保等登藝須 毛等奈那難吉曽 安我古非麻左流

       (中臣宅守 巻十五 三七八一)

 

≪書き下し≫旅にして物思(ものも)ふ時にほととぎすもとなな鳴きそ我(あ)が恋まさる

 

(訳)旅先にあって物思いに沈んでいるこんな時に、時鳥よ、そんなにむやみやたらに鳴かないでおくれ。私の都恋しさがつのるばかりだ。(同上)

(注)次歌と共に、前歌の「物思ふ時」が具体化されている。(伊藤脚注)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

 

◆安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須

       (中臣宅守 巻十五 三七八二)

 

≪書き下し≫雨隠(あまごも)り物思(ものも)ふ時にほととぎす我(わ)が住む里に来(き)鳴き響もす

 

(訳)雨に閉じ込められて物思いに沈んでいる折も折、時鳥が、私の住むこの里にやって来てしきりに鳴き立てている。(同上)

(注)あまごもり【雨隠り】名詞:長雨のために家にこもっていること。(学研)

 

◆多婢尓之弖 伊毛尓古布礼婆 保登等伎須 和我須武佐刀尓 許欲奈伎和多流

       (中臣宅守 巻十五 三七八三)

 

≪書き下し≫旅にして妹(いも)に恋ふればほととぎす我が住む里にこよ鳴き渡る

 

(訳)旅先にあってあの人に恋い焦がれていると、時鳥が、私が住むこの里を尻目(しりめ)に、目の前を鳴き渡ってゆく。(同上)

 

 中臣宅守と狭野弟上娘子の歌物語はハッピーエンドに終わらなかったという考え方に関して、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、三七七九歌「我(わ)がやどの花橘(はなたちばな)はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに」に関して、「『わがやど』は、都の自分の家です。あとに『たびにして(三七八一、三歌)』『わがすむさと(三七八二、三歌)』」とあって、区別はあきらかです。しかし、これまで、宅守歌は都の家を歌うことはありませんでした。なぜここに都の家をもちだすのか。浅見は、巻二巻末に載る志貴親王挽歌の反歌

  <高円(たかまと)の 野辺(のへ)の秋(あき)はぎ 徒(いたづら)に 開(さ)きか散(ち)るらむ 見(み)る人(ひと)なしに(二・二三一歌)

と類似することを見つつ、宅守歌の『見るひとなしに』が、ともに見るべき娘子がいないことをいうのだと理解してこういいます。>

たとえ都のわが家に戻ることがあっても、そこに招き呼ぶべき娘子はもはや此の世に居ないのだ、という絶望を籠めたものと受け止めることが出来よう。続く六首では、宅守は娘子の居ない都のことを歌うこともなく、妻に呼び掛けることもない。

さらに、続く六首がすべてほととぎすを歌うことについても(中略)大伴郎女の死に対する弔問の使いの歌などにてらして、故人を偲ぶこころを託するものとしてとらえるのです。」と書かれている。

(注)浅見:浅見 徹氏の問題提起「中臣宅守の独詠歌」『万葉集の表現と受容』和泉書院、二〇〇七年)による。

(注)大伴郎女の死に対する弔問の使いの歌:巻八 一四七二歌。これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その896)」で紹介している。

 ➡ 

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 上記で指摘のあった二三一歌をみてみよう。

 

◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓

      (笠金村 巻二 二三一)

 

≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

 

(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:①つまらない。むなしい。②無駄だ。無意味だ。③手持ちぶさただ。ひまだ。④何もない。空だ。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

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 これで味真野の万葉ロマンの道の歌碑の紹介は終わりです。全歌碑を撮影できていないのが残念ですが、機会をみて再度挑戦したいと考えております。

 

 

 

■■■愛知県知立市安城市蒲郡市他ならびに静岡県浜松市万葉歌碑巡り■■■

4月11日

知立市山町 旧東海道松並木➡豊田市上渡刈町 糟目春日大社➡新幹線三河安城駅北側舗装➡西尾市上羽角町 最明寺➡額田郡幸田町 萩稲荷神社➡幡豆郡吉良町 幡頭神社➡蒲郡市西浦町 万葉の小径

 

4月12日

浜松市北区三ケ日町 乎那の峯(浅間山)➡浜北区平口 万葉の森公園➡浜北区貴布祢 浜北文化センター➡浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)➡浜北区宮口 麁玉公民館➡北区細江町気賀 細江公園➡北区細江町気賀 小森橋南

 

 3月中旬計画をたてた時は、長期予報では「雨」であった。万葉歌碑巡りと言うと雨にたたられる。しかし今回は2日前に予報が変わり「曇り→晴」となった。有り難いことである。

 予定では、あと7か所ほど盛り込んでいたが、現地での歌碑探しが手間取ったりと上記行程に変更せざるを得なかった。

 残りはまた日を改めて挑戦するつもりである。

 

4月11日

■自宅➡知立市山町 旧東海道松並木■

 伊勢湾岸自動車道知立市へ。旧東海道の松並木を横目に走りながらも目的地への接近がままならず時間を食ってしまった。

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知立市山町 旧東海道松並木万葉歌碑

 

知立市山町 旧東海道松並木➡豊田市上渡刈町 糟目春日大社

 順調に糟目春日大社に到着。「大宝2年(702年)持統上皇三河国行幸当地に御駐蹕の砌り鷹狩し給うよってこの地を鳥狩鳥捕都賀利戸苅と言い今日渡刈と書くに至れり当時すでに糟目神社を祀れり」(同神社HP)。「末野原聖蹟」の碑があり、その背面に巻十一 二六三八歌が記されている。

 

豊田市上渡刈町 糟目春日大社➡新幹線三河安城駅北側舗道■

 駅中央北側舗道のタイルに万葉歌が刻されている。

 

■新幹線三河安城駅北側舗装➡西尾市上羽角町 最明寺■

 境内を散策するも見つからず。墓参りに来られた方にお尋ねすると山をかなり上ったところに、昔、東京から来た人が碑を建てたとのことであった。山道にほぼ等間隔でお地蔵さまが祀られており、花も供えられていた。結構急な山道である。山頂に「秩父宮殿下御展望之地」碑があった。三河の地の遠望に慰められる。境内から少し山道に入った右手に歌碑があった。小山とはいえ山登りをしたのであった。膝ががくがくに。

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新幹線三河安城



西尾市上羽角町 最明寺➡額田郡幸田町 萩稲荷神社■

 萩稲荷神社境内も探索するが見つからず。先達のブログの写真と照らし合わせると撤去されているようである。町役場に確認するも、生涯学習課が担当するも今日明日とお休みをいただいておりますとのことで分からずじまいであった。

 

額田郡幸田町 萩稲荷神社➡幡豆郡吉良町 幡頭神社■

幡頭神社の駐車場にゴール。見当たらず。境内を探索するも見当たらす。天候に恵まれるも歌碑発見所要時間は極めて長い。参道を下りて海岸近くの駐車場に歌碑を見つける。この神社も小高い山の上の方に建てられており、またミニ登山である。

 

幡豆郡吉良町 幡頭神社➡蒲郡市西浦町 万葉の小径■

 目的地までは順調。駐車場の横に「西浦温泉 万葉の小径」の案内板が建てられている。そこからまたもや山道である。頂に稲村神社がある。今日三度目のミニ登山であった。

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万葉の小径 案内図



4月12日

■ホテル➡浜松市北区三ケ日町 乎那の峯(浅間山)■

 山の頂付近に歌碑がある。今日もミニ登山である。

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乎那の峯万葉歌碑



■乎那の峯(浅間山)➡浜北区平口 万葉の森公園■

 万葉の森公園駐車場で憶良の歌碑を撮影。公園内は歌碑(3基)そして歌碑(プレート)がいたるところに。植物の手入れも行き届いており撮影時間が大幅にオーバー。

 

浜北区平口 万葉の森公園➡浜北区貴布祢 浜北文化センター■

 駐車場に面して歌碑が建てられていた。

 

■浜北文化センター➡浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)■

 旧若倭神社で検索、目的地に到着するも境内には見当たらず。再度検索し直す。こじんまりとした神社の前に歌碑が建てられていた。

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八幡神社(旧若倭神社)万葉歌碑



浜北区宮口 八幡神社(旧若倭神社)➡浜北区宮口 麁玉公民館■

 歌碑を撮影していると、係りの方が中から出て来られ、「はままつ万葉歌碑・故地マップ」を頂く。市で作成したものとのこと。有り難かった。

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浜北区宮口 麁玉公民館万葉歌碑



浜北区宮口 麁玉公民館➡北区細江町気賀 細江公園■

 細江公園「文学の丘」に歌碑が建てられていた。

 

■北区細江町気賀 細江公園➡北区細江町気賀 小森橋南■

 本日の最後の歌碑である。川端に新旧両碑が建てられていた。旧碑は苔むして全く読めなかった。

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 今回は、天候には恵まれたが、歌碑を見つけるまでのロスタイムが多く、またミニ登山をせざるをえない分、時間と体力を消費したのである。

 しかし、めげずにまた新たな歌碑巡りに挑戦していくつもりである。

 

 歌碑ならびに歌の紹介は後日になりますがよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「「はままつ万葉歌碑・故地マップ」