万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1412)―和歌山県かつらぎ町窪 道の駅「紀の川万葉の里」―万葉集 巻七 一二〇八

●歌は、「妹に恋ひ我が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨しさ」である。

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和歌山県かつらぎ町窪 道の駅「紀の川万葉の里」万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、和歌山県かつらぎ町窪 道の駅「紀の川万葉の里」にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆妹尓戀 余越去者 勢能山之 妹尓不戀而 有之乏左

       (作者未詳 巻七 一二〇八)

 

≪書き下し≫妹(いも)に恋ひ我(あ)が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨(とも)しさ

 

(訳)家に残してきたいとしい子に恋い焦がれながら私が山道を越えて行くと、背の山が妹の山と並んで、恋い焦がれることもなく立っているのが羨ましくてならぬ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)恋ひずてある:夫婦仲良く並んでいるさまをいう。(伊藤脚注)

 

 一一九三歌は。「背の山に直に向へる妹の山事許せやも打橋渡す」とあり、背の山と妹の山は、「直に向へる」「打橋渡す」とあるから、それぞれ独立した山であることが分かる。しかし、一二〇八歌の場合は「背の山の妹に恋ひずてある」ということから並んでいると想像される。

これに関して、「かつらぎ町HP」に次の様に記載されている。

「今からおよそ1350年前『大化の改新』の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められました。

兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)は二つの峰がなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)といわれている。また、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てている。」と書かれている。さらに「いずれにしても、万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、ふるさと大和の夫婦山・・・『二上山』を思い出させ郷愁に駆られた。」とある。

 

 

かつらぎ町HPには、「十五首も詠まれた歌枕は、全国第2番目である。」とも書かれている。

「背の山」「妹の山」に関する十五首すべてをみてみよう。

十五首(書き下し)を並べてみる。(解説は一覧の後で)

①これやこの大和にしては我が恋ふる紀伊路にありといふ名に負ふ背の山(阿閇皇女 巻一 三五)

②栲領巾の懸けまく欲しき妹の名をこの背の山に懸けばいかにあらむ <一には「替へばいかにあらむ」といふ>(丹比真人笠麻呂 巻三 二八五)

③よろしなへ我が背の君が負ひ来にしこの背の山を妹とは呼ばじ(春日蔵首老 巻三 二八六)

④真木の葉のしなふ背の山しのはずて我が越え行けば木の葉知りけむ(小田事 巻二 二九一)

⑤後れ居て恋ひつつあらずは紀伊の国の妹背の山にあらましものを(笠金村 巻四 五四四)

紀伊道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥二上山も妹こそありけれ(作者未詳 巻七 一〇九八)

背の山に直に向へる妹の山事許(ゆる)せやも打橋(うちはし)渡す(作者未詳 巻七 一一九三)

⑧麻衣着ればなつかし紀伊の国の妹背の山に麻蒔く我妹(藤原卿 巻七 一一九五)

⑨妹に恋ひ我が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨しさ(作者未詳 巻七 一二〇八)

⑩人にあらば母が愛子ぞあさもよし紀の川の辺の妹と背の山(作者未詳 巻七 一二〇九)

⑪我妹子に我が恋ひ行けば羨しくも並び居るかも妹と背の山(作者未詳 巻七 一二一〇)

があたり今ぞ我が行く目のみだに我れに見えこそ言とはずとも(作者未詳 巻七 一二一一)

⑬大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくしよしも(柿本人麻呂歌集 巻七 一二四七)

背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ(作者未詳 巻九 一六七六)

紀伊の国の 浜に寄るといふ 鰒玉 拾はむと言ひて 妹の山 背の山越えて 行きし君 いつ来まさむと 玉桙の 道に出で立ち 夕占を 我が問ひしかば 夕占の 我れに告ぐらく 我妹子や 汝が待つ君は 沖つ波 来寄る白玉 辺つ波の 寄する白玉 求むとぞ 君が来まさぬ 拾ふとぞ 君は来まさぬ 久ならば いま七日だみ 早くあらば いま二日だみ あらむとぞ 君は聞こしし な恋ひそ我妹(作者未詳 巻十三 三三一八)

 

 

順番にみてみよう。

 

題詞は、「越勢能山時阿閇皇女御作歌」<背の山を越ゆる時に、阿閇皇女(あへのひめみこ)の作らす歌>である。

(注)阿閇皇女:天智天皇の皇女。草壁皇子の妃。後の元明天皇。(伊藤脚注)

 

◆此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山

       (阿閇皇女 巻一 三五)

 

≪書き下し≫これやこの大和(やまと)にしては我(あ)が恋ふる紀伊路(きぢ)にありといふ名に負ふ背の山

 

(訳)これがまあ、大和にあっては常々私が見たいと恋い焦がれていた、紀伊道(きじ)にあるという、その名にそむかぬ背(夫)の山なのか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

題詞は、「丹比真人笠麻呂徃紀伊國超勢能山時作歌一首」<丹比真人笠麻呂(たぢひのまひとかさまろ)、紀伊の国(きのくに)に往(ゆ)き、背の山を越ゆる時に作る歌一首>である。

 

◆栲領巾乃 懸巻欲寸 妹名乎 此勢能山尓 懸者奈何将有 <一云 可倍波伊香尓安良牟>

       (丹比真人笠麻呂 巻三 二八五)

 

≪書き下し≫栲領巾(たくひれ)の懸(か)けまく欲(ほ)しき妹(いも)の名をこの背の山に懸(か)けばいかにあらむ <一には「替へばいかにあらむ」といふ>

 

(訳)栲領巾(たくひれ)を肩に懸けるというではないが、口に懸けて呼んでみたい“妹”という名、その名をこの背の山につけて“妹”の山と呼んでみたらどうであろうか。<この背の山ととり替えてみたらどうであろうか>(同上)

(注)たくひれの【栲領巾の】分類枕詞:「たくひれ」の色が白いことから、「白(しら)」「鷺(さぎ)」に、また、首に掛けるところから、「懸(か)く」にかかる。(学研)

(注)かく【懸く・掛く】他動詞:①垂れ下げる。かける。もたれさせる。②かけ渡す。③(扉に)錠をおろす。掛け金をかける。④合わせる。兼任する。兼ねる。⑤かぶせる。かける。⑥降りかける。あびせかける。⑦はかり比べる。対比する。⑧待ち望む。⑨(心や目に)かける。⑩話しかける。口にする。⑪託する。預ける。かける。⑫だます。⑬目標にする。目ざす。⑭関係づける。加える。(学研)最初の「懸く」は⑩、次のは④の意

 

 

題詞は、「春日蔵首老即和歌一首」<春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)、即(すなは)ち和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆宜奈倍 吾背乃君之 負来尓之 此勢能山乎 妹者不喚

       (春日蔵首老 巻三 二八六)

 

≪書き下し≫よろしなへ我(わ)が背(せ)の君(きみ)が負ひ来(き)にしこの背の山を妹(いも)とは呼ばじ

 

(訳)せっかくよい具合に、我が背の君(笠麻呂さま)が“背の君”と言われては背負って来た“背”、その“背”という名を負い持つ山ですもの、今さら”妹“などと呼びますまい。(同上)

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)負ひ来にしこの背の山を:名告って来た、「背」という名を持つこの山なのに。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「小田事勢能山歌一首」<小田事(をだのつかふ)が背の山の歌一首>である。

 

◆真木葉乃 之奈布勢能山 之努波受而 吾超去者 木葉知家武

      (小田事 巻二 二九一)

 

≪書き下し≫真木(まき)の葉(は)のしなふ背(せ)の山しのはずて我(わ)が越え行けば木(こ)の葉知りけむ

 

(訳)杉や檜(ひのき)の枝ぶりよく茂りたわむ背の山であるのに、ゆっくり賞(め)でるゆとりもなく私は越えて行く、しかし、木の葉はこの気持ちがわかってくれたであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まき【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)

(注)しなふ【撓ふ】自動詞:しなやかにたわむ。美しい曲線を描く。(学研)

(注)しのぶ【偲ぶ】他動詞:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。しのふ(学研) ここでは①の意

「しなふ」と「しのふ」は語呂合わせになっている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その699)」で紹介している。

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◆後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎

       (笠金村 巻四 五四四)

 

≪書き下し≫後れ居て恋ひつつあらずは紀伊の国の妹背(いもせ)の山にあらましものを

 

(訳)あとに残って離れ離れにいる恋しさに苦しんでなんかいずに、いつも紀伊の国にある妹背の山にでもなって、いつもおそばにいたいものだ。(同上)

(注)妹背の山:和歌山県伊都郡かつらぎ町の妹山と背の山。夫婦共にあることの譬え。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1217)」で紹介している。

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◆木道尓社 妹山在云 玉櫛上 二上山母 妹許曽有来

       (作者未詳 巻七 一〇九八)

 

≪書き下し≫紀伊道(きぢ)にこそ妹山(いもやま)ありといへ玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたかみやま)も妹こそありけれ

 

(訳)紀伊路(きじ)に妹山はあると世間で言うけれど、ここ大和の二上山にも妹山があったのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

勢能山尓 直向 妹之山 事聴屋毛 打橋渡

       (作者未詳 巻七 一一九三)

 

≪書き下し≫背(せ)の山(やま)に直(ただ)に向(むか)へる妹(いも)の山(やま)事許(ゆる)せやも打橋(うちはし)渡す

 

(訳)背の山にじかに向かい合っている妹の山、この山は、背の山の申し出を許したのであろうか。間を隔てる川に打橋が渡してある。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)打橋渡す:背の山と妹山の中間にある紀ノ川の川中島船岡山)」をいう。(伊藤脚注)

(注の注)うちはし【打ち橋】名詞:①板を架け渡しただけの仮の橋。②建物と建物との間の渡り廊下の一部に、取り外しができるように架け渡した板。(学研)ここでは①の意

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1409)」で紹介している。

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◆麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹

       (藤原卿 巻七 一一九五)

 

≪書き下し≫麻衣(あさごろも)着(き)ればなつかし紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山に麻蒔(ま)く我妹(わぎも)

 

(訳)麻の衣を着ると懐かしくて仕方がない。紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山で麻の種を蒔いていたあの子のことが。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その732)」で紹介している。

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◆巻七 一二〇八歌は上述のとおり。

 

 

◆人在者 母之最愛子曽 麻毛吉 木川邊之 妹与背山

       (作者未詳 巻七 一二〇九)

 

≪書き下し≫人にあらば母が愛子(まなご)ぞあさもよし紀(き)の川(かは)の辺(へ)の妹(いも)と背(せ)の山      

 

(訳)人であったら、母の最愛の子以外ではないのだ。紀の川の川辺に立つ妹と背の山は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まなご【愛子】名詞:最愛の子。いとし子。(学研)

(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)

(注の注)アサモは「麻裳」「朝裳」の表記があるが、紀の国で麻を産したことは、「延喜式‐二三」や、「麻衣着ればなつかし紀伊の国の妹背の山に麻蒔く我妹」〔万葉‐一一九五〕からもわかるので、「麻裳」が原義で、良い麻裳を産する紀の国の「紀」にかかると考えられる。転じて、同音の「城上(きのへ)」にもかかった。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1410)」で紹介している。

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◆吾妹子尓 吾戀行者 乏雲 並居鴨 妹与勢能山

       (作者未詳 巻七 一二一〇)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に我(あ)が恋ひ行けば羨(とも)しくも並び居(を)るかも妹と背の山

 

(訳)家に残してきたいとしい子に恋い焦がれながら旅していくと、羨(うらやま)しくも仲良く並び立ってい。妹の山と背の山とが(同上)

 

 

當 今曽吾行 目耳谷 吾耳見乞 事不問侶

        (作者未詳 巻七 一二一一)

 

≪書き下し≫(いも)があたり今ぞ我(わ)が行く目のみだに我(わ)れに見えこそ言(こと)とはずとも

 

(訳)「妹」のそばを今私は通って行く。せめて顔だけでも見せておくれ。物は言わなくてもおいから。(同上)

(注)妹:ここでは、妹山のこと。妻の意も懸ける。(伊藤脚注)

 

 

◆大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉

      (柿本人麻呂歌集 巻七 一二四七)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背(いもせ)の山を見らくしよしも

 

(訳)その大昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこのみこと)の二柱の神がお作りになった、妹(いも)と背(せ)の山、ああ、この山を見るのは、何ともいえずすばらしい。(同上)

(注)妹背の山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の和歌山県伊都(いと)郡かつらぎ町の、紀ノ川の北岸の背山と、南岸の妹山をいう。『万葉集』以後に、妻恋いの歌が多く詠まれた。(学研)

 

 

勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫

       (作者未詳 巻九 一六七六)

 

≪書き下し≫背(せ)の山に黄葉(もみち)常(つね)敷(し)く神岳(かみをか)の山の黄葉は今日(けふ)か散るらむ

 

(訳)背の山にもみじが絶えず散り敷いている。神岳の山のもみじは、今日あたりさかんに散っていることであろうか。(同上)

(注)神岳の山:明日香橘寺東南のミハ山か。(伊藤脚注)

 

 

◆木國之 濱因云 鰒珠 将拾跡云而 妹乃山 勢能山越而 行之君 何時来座跡 玉桙之 道尓出立 夕卜乎 吾問之可婆 夕卜之 吾尓告良久 吾妹兒哉 汝待君者 奥浪 来因白珠 邊浪之 緑<流>白珠 求跡曽 君之不来益 拾登曽 公者不来益 久有 今七日許 早有者 今二日許 将有等曽 君者聞之二々 勿戀吾妹

       (作者未詳 巻十三 三三一八)

 

<書き下し>紀伊の国(きのくに)の 浜に寄るといふ 鰒玉(あはびだま) 拾(ひり)はむと言ひて 妹(いも)の山 背(せ)の山越えて 行きし君 いつ来まさむと 玉桙(たまほこ)の 道に出(い)で立ち 夕占(ゆふうら)を 我(わ)が問ひしかば 夕占の 我(わ)れに告(つ)ぐらく 我妹子(わぎもこ)や 汝(な)が待つ君は 沖つ波 来寄(きよ)る白玉(しらたま) 辺(へ)つ波の 寄する白玉 求むとぞ 君が来まさぬ 拾(ひり)ふとぞ 君は来まさぬ 久(ひさ)ならば いま七日(なぬか)だみ 早くあらば いま二日(ふつか)だみ あらむとぞ 君は聞こしし な恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)紀伊の国の浜辺にうち寄せるという真珠の玉、その玉を拾って来ようと言って、妹の山も背の山もどんどん越えて行った君、あの方はいつ帰って来られるかと、玉桙の道辻(みちつじ)に出て立って、夕占に問うたところ、夕占が私にお告げになった、「いとしき者よ、そなたが待っている背の君は、沖の波とともに寄って来る白玉、岸辺の波の寄せる白玉、その白玉を手に入れようと、まだ帰って来られないのだ。それを拾おうと、まだ帰って来られないのだ。“長くてもあと七日ばかり、早ければもう二日ばかりかかる”と背の君はおっしゃっていた。そんなに恋しがることはない、いとしき者よ」と。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鰒玉:真珠。(伊藤脚注)

(注)妹(いも)の山 背(せ)の山:今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められました。兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)は二つの峰がなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)といわれている。

また、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てている。(かつらぎ町HP)

(注)ゆふうら【夕占・夕卜】名詞:「ゆふけ」に同じ。

(注の注)ゆふけ【夕占・夕卜】名詞:夕方、道ばたに立って、道行く人の言葉を聞いて吉凶を占うこと。夕方の辻占(つじうら)。「ゆふうら」とも。 ※上代語。(学研)

(注)「我妹子や 汝が待つ君は・・・以下」:夕占の答え。(伊藤脚注)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1411)」で紹介している。

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 都人にとっては、「背の山・妹の山」は大和国の最南端、ここを越えればまさに異郷、それだけに「背の山・妹の山」という響きは、それぞれの人間模様を浮かび上がらせかつ旅への思いを投げかけたのであろう。

 

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案内標識

■伊都浄化センター➡道の駅 紀の川万葉の里■

 

 浄化センターの目の前が道の駅である。駐車場の出入り口近くに歌碑は建てられている。道の駅には紀の川に沿って花壇や小公園が設置されており心が癒される。残念なのは、万葉歌碑が出入口しかもトイレの近くに寂しげに建てられていたことである。浄化センターが向かいだからという発想なのか?浄化センター近くてトイレか?

花壇か小公園に歌碑があれば「背の山」も「妹の山」も微笑むことであろう。

 道の駅では、地元野菜やハッサク、漬物などを買った。これもひとつの楽しみである。

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紀の川川の「道の駅紀の川万葉の里」の銘板



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「かつらぎ町HP」