万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1413、1414)―和歌山県橋本市妻 妻の森神社西社、阿弥陀寺―万葉集 巻九 一六七九

●歌は、「紀伊の国にやまず通はむ妻の社妻寄しこせに妻といひながら」である。

和歌山県橋本市妻 妻の森神社西社万葉歌碑(作者未詳 或は坂上忌寸人長か)

●歌碑は、和歌山県橋本市妻 妻の森神社西社にある。

 

●歌をみていこう。

 

一六六七から一六七九歌の歌群の題詞は、「大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇紀伊國時歌十三首」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首>である。

(注)ここでは太上天皇持統天皇大行天皇文武天皇をさす。

(注の注)だいじょうてんわう【▽太上天皇】:天皇の譲位後の尊称。太上皇上皇。たいじょうてんのう。だじょうてんのう。(コトバンク デジタル大辞泉

(注の注)たいこうてんわう【大行天皇】:天皇の死後、まだ諡号しごうを贈られていない間の尊称。先帝の意味にも用いる。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この歌は、歌群の最後の歌である。

 

◆城國尓 不止将徃来 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄<一云 嬬賜尓毛 嬬云長良>

       (作者未詳 巻九 一六七九)

 

≪書き下し≫紀伊の国にやまず通(かよ)はむ妻(つま)の杜(もり)妻寄(よ)しこせに妻といひながら<一には「妻賜はにも妻といひながら」といふ>

 

(訳)この紀伊の国にはいつもいつも通って来よう。妻の社の神よ、妻を連れて来て置いて下さい。妻という名をお持ちなのですから。<妻をお授け下さい。妻という名をお持ちなのですから>(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)妻の社:橋本市妻の神社。(伊藤脚注)

(注)こす 助動詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔希望〕…してほしい。…してくれ。 ⇒語法:未然形の「こせ」と終止形の「こす」は次の形で用いられる。 参考:(1)主に上代に用いられ、時に中古の和歌に見られる。(2)相手に望む願望の終助詞「こそ」を、この「こす」の命令形とする説がある。⇒こせぬかも(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)に 終助詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。 ※上代語。(学研)

(注)ながら 接続助詞《接続》動詞型活用の語の連用形、体言、副詞、形容詞・形容動詞の語幹などに付く。:①〔状態の継続〕(ア)…のまま。…のままで。(イ)そっくりそのまま。そのまま全部。②〔二つの動作の並行〕…ながら。…つつ。③〔逆接〕…けれども。…のに。④〔その本質・本性に基づくことを示す〕…そのままに。…としてまさに。 ⇒参考:接続助詞は活用する語に付くのが普通なので、名詞や形容詞・形容動詞の語幹に付く場合の「ながら」を副助詞または接尾語とする説もある。(学研)ここでは④の意

 

左注は、「右一首或云坂上忌寸人長作」<右の一首は、或いは、「坂上忌寸人長(さかのうえのいみきひとをさ)が作」といふ>である。

 

 この歌ならびに他の十二首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

歌の解説碑



 

■道の駅 紀の川万葉の里➡妻の森神社西社■

 妻の社神社で検索すると、東、中、西社があり、万葉歌碑は西社にある。また、中社近くの阿弥陀寺にも歌碑(プレート)があることが分かった。

 道の駅の次は、妻の森神社西社である。

 ナビに従って、国道24号線を走り、交差点「妻二丁目」の手前を左折、南海高野線のガードをくぐり、JR和歌山線と国道24号線の谷間のような道に入る。目を凝らすがそれらしいものは見つからない。「目的地は左側にあります。」とナビは宣うが見当たらない。ナビで見る限り通り過ぎているが、少し広めの道幅のところに車を停め周辺を探すも見つからない。歩いて24号線まで探索範囲を広げるも見つからない。もう諦めるしかない。人通りも少ない道である。

 車のところに戻り、橋本駅方面から歩いてこられた方に聞いたが、ご存じでなかった。次に歩いてこられた女性の方に聞いてみたら、今しがた通って来た道の方を指さし、「曲がり角のお宅の前を少し上った所だったと思います。」とのことである。

 資料を見直したりして教えられた方向歩き出した。すると、その方が石段を下りて来られ、「間違いないです、確認してきました」、とおっしゃる。

小ぢんまりとした妻の森神社 西社境内

 親切な方である。お礼を言い、その石段を上るとこぢんまりとしたスペースに小さな社と万葉歌碑があった。間違いない。石段を上った所にハート形の絵馬がたくさんぶら下げられている。この歌のように良縁祈願の絵馬である。時空を超えた微笑ましいマッチングである。

 

 マップは2次元であるので、目的地の下を通過しても分からないのである。

 教えていただかなかったら探しようがない盲点に社と歌碑があったのである。

 わざわざ確認までしていただいた女性の方に、この紙面で改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

道から見上げた歌碑の背面



 

 

―その1414―

●歌は、「紀伊の国にやまず通はむ妻の社妻寄しこせに妻といひながら」である。

 

●歌碑(プレート)は。和歌山県橋本市妻 九品山阿弥陀寺にある。

和歌山県橋本市妻 九品山阿弥陀寺万葉歌碑(プレート)

●歌は、(その1413)妻の森神社西社の歌碑と同じである。

 

 

■妻の森神社西社➡阿弥陀寺

 

携帯のナビで検索すると西社から近そうである。車で迷うリスクを考え足で攻めることにした。

 24号線を横断、古い町独特のくねくね道を進む。南海高野線の陸橋を渡る。線路補修工事をやっている作業員たちが線路の脇に一列になって退避している。ほどなく電車が通過していく。陸橋から、電車が通過して行くのを見るのはいつ見ても楽しいものである。

しばらく行くとお寺らしい建物がみえてくる。白い塀にプレートが建てられており、近づいてよく見ると歌が書かれている。

阿弥陀寺と歌碑(プレート)

九品山 阿弥陀寺


 道幅を考えると歩きが正解であった。

 歌碑巡りがテーマであるので、中社、東社へは行かずに引き返したのである。

 

妻の森神社西社と阿弥陀寺(グーグルマップより)



 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「グーグルマップ」