万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1417)―和歌山県橋本市隅田町JR隅田駅―万葉集 巻三 二九八

●歌は、「真土山夕越え行きて廬前の角太川原にひとりかも寝む」である。

和歌山県橋本市隅田町JR隅田駅万葉歌碑(春日蔵首老<弁基>)

●歌碑は、和歌山県橋本市隅田町JR隅田(すだ)駅にある。

 

●歌をみてみよう。

 

 題詞は、「弁基歌一首」<弁基が歌一首>である。

 

◆亦打山 暮越行而 廬前乃 角太川原尓 獨可毛将宿

       (弁基 巻三 二九八)

 

≪書き下し≫真土山(まつちやま)夕(ゆふ)越え行きて廬前(いほさき)の角太(すみだ)川原(かはら)にひとりかも寝(ね)む

 

(訳)真土山、この山を越えて行って、廬前(いおさき)の角太川原で故郷遠くただ独り旅寝することであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まつちやま【真土山/待乳山】:奈良県五條市和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉

(注)角太川原:和歌山県橋本市隅田町付近を流れる紀ノ川の川原。(伊藤脚注)

 

左注は、「右或云 弁基者春日蔵首老之法師名也」<右は、或いは「弁基は春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)が法師名(ほふしな)」といふ>である。

 

 春日蔵首老の歌は、万葉集には八首(推測される二首を含む)が収録されている。他の七首をみてみよう。

 

◆河上乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 雖見安可受 巨勢能春野者

      (春日蔵首老 巻一 五六)

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽(あ)かず巨勢の春野は 

 

(訳)川のほとりに咲くつらつら椿よ、つらつらに見ても見ても見飽きはしない。椿花咲くこの巨勢の春野は。(同上)

 

この歌は、坂門人足が、題詞「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>とある歌の原歌と言われている。こちらもみてみよう。

(注)太上天皇:持統上皇

 

 

◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

     (坂門人足 巻一 五四)

 

≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

 

(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(同上)

(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)

 

 五四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。

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次なる春日蔵首老(弁基)の歌をみてみよう。

 

題詞は、「三野連 名闕 入唐時春日蔵首老作歌」<三野連(みののむらじ) 名は欠けたり 入唐(にふたう)する時に、春日蔵首老が作る歌>である。

 

◆在根良 對馬乃渡 々中尓 幣取向而 早還許年

       (春日蔵首老 巻一 六二)

 

≪書き下し≫在(あ)り嶺(ね)よし対馬(つしま)の渡り海中(わたなか)に幣(ぬさ)取り向けて早(はや)帰り来(こ)ね

 

(訳)山嶺(やまね)連なる対馬の海(うみ)つ道(じ)、そのまっただ中に幣(ぬさ)を捧(ささ)げて、一日も早く帰って来て下さい。(同上)

(注)ありねよし :枕 (「よし」は詠嘆の間投助詞。「ありね」は未詳) 「対馬(つしま)」にかかる。 [語誌]「在根」は「荒嶺(あらね)」の借字とする説がある。しかし、「ありを(在峰)」という語があることから、「在根」はアリネと読み、目立つ峰と解するほうが妥当性がある。対馬の山が朝鮮航路の目印だったからといわれる。また、アリは韓語で下または南を意味し、対馬の南嶺の称呼だったのではないかという説(日本古語大辞典=松岡静雄)もある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

題詞は、「春日蔵首老歌一首」<春日蔵首老が歌一首>である。

 

◆角障經 石村毛不過 泊瀬山 何時毛将超 夜者深去通都

      (春日蔵首老 巻三 二八二)

 

≪書き下し≫つのさはふ磐余(いはれ)も過ぎず泊瀬山(はつせやま)いつかも越えむ夜(よ)は更(ふ)けにつつ

 

(訳)磐余の地もまだ過ぎていない。この分では、泊瀬の山、あの山はいつ越えることができようか。夜はもう更けてしまったというのに。(同上)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)磐余 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の奈良県桜井市南部から香具山の北東部にかけての地。「言はれ」と掛け詞(ことば)にして使う。「磐余の池」「磐余野」の形でも詠まれた。(学研)

 

 

題詞は、「春日蔵首老歌一首」<春日蔵首老が歌一首>である。

 

◆焼津邊 吾去鹿齒 駿河奈流 阿倍乃市道尓 相之兒等羽裳

       (春日蔵首老 巻三 二八四)

 

≪書き下し≫焼津辺(やきづへ)に我(わ)が行きしかば駿河(するが)なる阿倍(あへ)の市道(いちぢ)に逢(あ)ひし子らはも

 

(訳)焼津(やいず)のあたりに私が行ったその時たまたま、駿河の国の阿倍(あへ)の市で逢った子、あの子は今頃どうしていることか。(同上)

(注)焼津辺:静岡県焼津市。(伊藤脚注)

(注)阿倍:静岡市国府所在地。(伊藤脚注)

(注)いちぢ【市路・市道】名詞:市(いち)へ通じる道。また、市にある道。(学研)

 

 

題詞は、「春日蔵首老即和歌一首」<春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)、即(すなは)ち和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆宜奈倍 吾背乃君之 負来尓之 此勢能山乎 妹者不喚

       (春日蔵首老 巻三 二八六)

 

≪書き下し≫よろしなへ我(わ)が背(せ)の君(きみ)が負ひ来(き)にしこの背の山を妹(いも)とは呼ばじ

 

(訳)せっかくよい具合に、我が背の君(笠麻呂さま)が“背の君”と言われては背負って来た“背”、その“背”という名を負い持つ山ですもの、今さら”妹“などと呼びますまい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)負ひ来にしこの背の山を:名告って来た、「背」という名を持つこの山なのに。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1412)」で紹介している。

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 次の二首も春日蔵首老の歌といわれている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「春日歌一首」<春日が歌一首>である。

 

◆三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手潮 干兒波無尓

       (春日蔵首老? 巻九 一七一七)

 

≪書き下し≫三川(みつかは)の淵瀬(ふちせ)もおちず小網(さで)さすに衣手(ころもで)濡(ぬ)れぬ干(ほ)す子はなしに

 

(訳)三川の淵にも瀬にも洩(も)れなく小網(さで)を張っているうちに、着物の袖がすっかり濡れてしまった。乾かしてくれる人もいないのに。(同上)

(注)三川:所在未詳。大津市下坂本の四ツ谷川か。(伊藤脚注)

(注)おちず【落ちず】分類連語:欠かさず。残らず。 ⇒なりたち:動詞「おつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連用形(学研)

(注の注)淵瀬(ふちせ)もおちず:淵にも瀬にも洩れなく。(伊藤脚注)

(注)さで【叉手・小網】名詞:魚をすくい取る網。さであみ。(学研)

 

 

題詞は、「春日蔵歌一首」<春日蔵が歌一首>である。

 

◆照月遠 雲莫隠 嶋陰尓 吾船将極 留不知毛

       (春日蔵首老? 巻九 一七一九)

 

≪書き下し≫照る月を雲な隠しそ島蔭に我が舟泊てむ泊り知らずも

 

(訳)明るく照る月、この月を、雲よ隠さないでおくれ。島蔭にわれらの舟を泊めようと思うが、その舟着き場がわからないのだ。(同上)

 

 

[仮名]てるつきを くもなかくしそ しまかげに わがふねはてむ とまりしらずも

 

左注は、「右一首或本云 小辨作也 或記姓氏無記名字 或称名号不称姓氏 然依古記 便以次載 凡如此類下皆放焉」<右の一首は、或本には、「小弁(しょうべん)が作」といふ。或いは姓氏を記(しる)せど名字を記することなく、或は名号を偁(い)へれど姓氏を偁(い)はず。しかれども、古記によりてすなはち次(つぎて)をもちて載(の)す。すべてかくのごとき類(たぐひ)は、下(しも)みなこれに倣(なら)へ>である。

(注)小弁:伝未詳(伊藤脚注)

(注の注)姓氏を記(しる)せど名字を記することなく:一七一五歌は「槐本が歌一首」、一七一六歌は「山上が歌一首」、一七一七歌「春日が歌一首」、一七一八歌「高市が歌一首」、

一七一九歌が「春日蔵が歌一首」となっていることをいう。

(注の注)名号を偁(い)へれど姓氏を偁(い)はず:一七二〇~二二歌「元仁が歌三首」、以下「絹、島足、麻呂」となっていることをさしている。

 

 

■橋本中央中学校➡JR隅田駅■

 橋本中央中学校から隅田駅までは車で10分強である。閑散とした駅前である。駅前の歌碑を撮影。

 次はいよいよ「真土」である。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク デジタル大辞泉