万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1420)―和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石下り入口―万葉集 巻四 五四三

●歌は、「大君の行幸のまにまもののふの八十伴の男と出で行きし愛し夫は・・・」である。

和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石下り入口万葉歌碑(笠金村)



●歌碑は、和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石下り入口にある。

 

●歌をみてみよう。

 

題詞は、「神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首幷短歌    笠朝臣金村」<神亀(じんき)元年甲子(きのえね)の冬の十月に、紀伊の国(きのくに)に幸(いで)ます時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむために娘子(をとめ)に誂(あとら)へらえて笠朝臣金村が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。    

(注)神亀元年:724年 聖武天皇紀伊行幸があった。(伊藤脚注)

(注)あとらふ【誂ふ】他動詞:頼んで自分の思いどおりにさせる。誘う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

天皇行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

       (笠金村 巻四 五四三)

 

≪書き下し≫大君の 行幸(みゆき)のまにま もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)と 出で行きし 愛(うるは)し夫(づま)は 天(あま)飛ぶや 軽(かる)の路(みち)より 玉たすき 畝傍(うねび)を見つつ あさもよし 紀伊道(きぢ)に入り立ち 真土(まつち)山 越ゆらむ君は 黄葉(もみちば)の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我(わ)れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙(もだ)もえあらねば 我(わ)が背子(せこ)が 行きのまにまに 追はむとは 千(ち)たび思へど たわや女(め)の 我(あ)が身にしあれば 道守(みちもり)の 問はむ答(こた)へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく

 

(訳)天皇行幸につき従って、数多くの大宮人たちと一緒に出かけて行った、ひときわ端正な私の夫は、軽の道から畝傍山を見ながら紀伊の道に足を踏み入れ、真土山を越えてもう山向こうに入っただろうかが、その背の君は黄葉の葉の散り乱れる風景を眺めながら、朝夕馴(な)れ親しんだ私のことなどは思わずに、旅はいいものだと思っていると、一方では私はうすうす気づいてはいるけれど、さりとてじっと待っている気にもなれないので、あの方の行った道筋どおりに、あとを追って行きたいと何度も何度も思うのだが、か弱い女の身のこととて、関所の役人に問い詰められたらどう答えたらよいのやら、言いわけする手だてもわからなくて、立ちすくんでためらうばかりだ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うるはし【麗し・美し・愛し】形容詞:①壮大で美しい。壮麗だ。立派だ。②きちんとしている。整っていて美しい。端正だ。③きまじめで礼儀正しい。堅苦しい。④親密だ。誠実だ。しっくりしている。⑤色鮮やかだ。⑥まちがいない。正しい。本物である。(学研)ここでは②の意

(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。「あまとぶや鳥」。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。「あまとぶや軽の道」。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)真土山:この山を越えると異郷の紀伊の国、妻の心配が増す。(伊藤脚注)

(注)にきぶ【和ぶ】自動詞:安らかにくつろぐ。なれ親しむ。(学研)

(注)旅をよろし:あなたは旅はいいものだと思っているだろと。旅先では一夜妻を楽しむ風があった。その点も意識した表現。(伊藤脚注)

(注)あそそには:薄々とは。「あそ」は「浅」の意か。(伊藤脚注)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考:副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(学研)

 

 

 反歌二首もみてみよう。

 

◆後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎

       (笠金村 巻四 五四四)

 

≪書き下し≫後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを

 

(訳)あとに残って離れ離れにいる恋しさに苦しんでなんかいずに、いつも紀伊の国にある妹背の山にでもなって、いつもおそばにいたいものだ。(同上)

(注)妹背の山:和歌山県伊都郡かつらぎ町の妹山と背の山。夫婦共にあることの譬え。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1217)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨

       (笠金村 巻四 五四五)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子が跡(あと)踏み求め追ひ行かば紀伊の関守い留(とど)めてむかも

 

(訳)あの方の通られた跡を追い求めて行ったならば、紀伊の関所の番人が咎(とが)めて留めてしまうのであろうか。(同上)

 

 題詞にあるように「従駕(おほみとも)の人に贈らむために娘子(をとめ)に誂(あとら)へらえて」作ったとある。伊藤氏は題詞の脚注で「大和に残った娘子に頼まれて作った歌。そういう設定で行幸先で発表した作らしい。」と書かれている。いずれにしても娘子の気持ちにたって詠いあげている。

 万葉集にこれらの歌が記録されて残っていることに今さらながらであるが、驚きを隠しえない。

 

 

■万葉の里「真土」駐車場➡24号線「真土」交差点➡古道飛び越え石下り入口■

 駐車場に到着。駐車場の説明案内板のバーコードを読み取ると、飛び越え石への道順が丁寧に説明されている。

 「真土」交差点の歌碑の写真を撮りなおすべく、遠回りになるが「慈願寺」経由で行くことにした。

 交差点の歌碑の撮り直しを終え坂道を上る。「慈願寺」まで来たが、案内板がどこにもない。略地図をたよりに探すが見当たらない。住宅地に入ってしまうが、方向から見てここを抜ければよいはずと進むと行き止まりである。

 家の前で草抜きをしている老婦人に道を尋ねる。「戻ってお寺の近くの人に聞いてみて」とのアドバイス

 道を引き返すのは結構疲れる。公園で子供を遊ばせている若いお母さんを見かけたので尋ねてみた。結構ややこしい道なので、案内しましょうとおっしゃっていただく。 

子供たち二人に集合の声をかけ、そして「これからお散歩に行くよ」と。子供らは「なんで?」と公園で遊んでいたいのにと不満げである。こちらは申し訳ない気持ちでいっぱいである。

「飛び越え石 150m」の案内表示板と歌碑

「万葉池」 時期になれば大賀ハスが咲くそうである。


 飛び越え石150mの案内板がありここからは下りである。左手に「万葉池」がありその右手に開けたところに歌碑が二つ見えた。ここまで来れば何とかなると、お礼を申し上げ単独行動に。しかし歌碑二つを写真に収めたが、ここから先が分からない。

 諦めて駐車場に戻り、駐車場からの案内に従って再挑戦と腹をくくって戻りかけると、お母さんと子供たちが戻って来られた。歌碑二つの先の方を指さし、あちらの方まで行かれましたかと。多分迷われているのではと引き返して来ていただいたようである。

 先導していただき、急な坂道を下って行く。途中、こちらの足元を気遣ってもらえ、気恥ずかしいやらうれしいやら。結局飛び越え石の所まで連れて来ていただいたのである。

 何というご親切。感謝感激である。

 お蔭さまで、無事に歌碑(巻4-543、巻6-1019、巻12-3009、巻12-3154、巻9-1192)を巡ることができたのである。

 ブログの紙面を借りて、改めて改めて心から御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。助かりました。

 

これまでの万葉歌碑巡りでもいろいろな方々に親切に接していただいたことが幾たびもあり、それらのことが走馬灯のように駆け巡っていったのである。有難いことである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」