万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1422)―和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石への途中休耕田池畔―万葉集 巻十二 三〇〇九

●歌は、「橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほ及かずけり」である。

和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石への途中休耕田池畔万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石への途中休耕田池畔にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利

     (作者未詳 巻十二 三〇〇九)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

 

(訳)橡(つるばみ)染めの地味な衣を解いて洗って、また打つという、真土(まつち)山のような、本つ人―古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「橡之 衣解洗」は、マタ打ツ意で「真土」を起こす序。上三句「橡之 衣解洗 又打山」はマツチと類音で「本つ」を起こす。

(注)もとつひと【元つ人】名詞:昔なじみの人。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)真土山(読み)マツチヤマ:奈良県五條市和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[枕]同音の「待つ」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

 

「橡(つるばみ)」は、クヌギのことである。「橡(つるばみ)の衣」とは、クヌギの実(どんぐり)を砕いて煎じた汁で染めた紺黒色の粗末な衣服をいう。古女房に喩えられる。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その703)」で紹介している。

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 「橡(つるばみ)」のように染に用いられた植物については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1306)」で紹介している。

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 「橡(つるばみ)」を詠んだ歌は六収録されているが、これらはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その597)」で紹介している。

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「橡(つるばみ)」について、國學院大學デジタルミュージアムHP「万葉神事語事典」には次の様に書かれている。

 「上代では『つるはみ』と清音だったと考えられている。橡は、ブナ科の落葉高木のクヌギ。5月頃に花をつけ、秋に丸みのある大きなドングリをつける。ドングリの実を煮出して、鉄を媒染剤に用い紺黒色の染料として利用した。この染料で染めた衣服は、上代にはおもに庶民用で、衣服令に『家人奴婢、橡黒衣』とあり、身分の低い者の衣服の色であった。万葉集には6例あるが、植物としての橡はなく、すべて染料としての橡である。橡で染めた衣である『橡衣』(7-1311)は誰もが着易いというのを聞いたので着てみたいと望む歌があり、『橡衣』は身分の低い女を表し、その女との関係を望む意の歌であろう。また『橡の解き洗ひ衣』(7-1314)は、橡で染めた衣で解いて洗って仕立て直した衣、つまり気軽に着ることが出来る着馴れた衣のことで、昔なじみの身分の低い女を比喩していると考えられる。他に『うら』を起こす序として『橡染めの袷の衣』(12-2965)や『橡の一重の衣』(12-2968)が用いられていたり、『橡の衣解き洗ひ』(12-3009)が真土山の『まつ』を起こす序として用いられていたりする。洗うと硬くなる麻の衣を『また打ち』することからの連想らしい。大伴家持は歌の中で、『紅』は色あせるものだが、と美しい遊女を『紅』にたとえ、その美しさは変わりやすいものだと諭し、『橡のなれにし衣』(18-4109)には及ばない、つまり橡染めの着馴れて身になじんだ衣のような糟糠の妻は地味だが飽きがこなくて良いと詠んでいる。」

 「『橡の衣解き洗ひ』(12-3009)が真土山の『まつ』を起こす序として用いられていたりする。洗うと硬くなる麻の衣を『また打ち』することからの連想らしい。」日常生活の一端が巧みに「序」として使われしかも説得力ある歌に仕上げられている発想には驚かされる。

 

「真土山(まつちやま)」の万葉仮名の表記をみてみると、

 「亦打山」が巻一 五五歌、巻三 二九八歌、巻十二 三一五四歌

 「真土山」が巻四 五四三歌、

 「信土山」が巻七 一一九二歌(信土)、巻九 一六八〇歌

 「又打山」が巻六 一〇一九歌、巻十二 三〇〇九歌、となっている。

 

 「信・真」と「又・亦」の二つのグループに分かれる。

 三〇〇九歌(衣解洗 又打山)と同様一〇一九歌(古衣 又打山)も衣に関わっており、繰り返し「又打つ」という書き手の遊び心が見え隠れしている。

 五五歌(亦打山 行来跡見良武)は、行ってand  also来て、二九八歌(亦打山 暮越行而 廬前乃 角太河原尓)は、and  also角太河原尓、三一五四歌(亦打山 将待妹乎)は、and  also妹乎、的ニュアンスであるが故に「亦」が使われているように思う。

 五四三歌(木道尓入立<紀伊道に入り立ち> 真土山)、一一九二歌(白栲尓<しろたへに> 丹保布信土之<にほふ真土の>)、一六八〇歌(木方往君我<紀伊へ行く君が> 信土山)とほぼ山ないし地名として歌われていると考えられる。

 

又打つ「真土山」、「真土山」(妹)待つと掛詞を駆使しまるで古今集的な歌を醸し出す要素も見られる。

 万葉仮名の表記も面白いものである。

 


■三〇〇九歌の歌碑■

 休耕田を池にしたあぜ道に歌碑は建てられている。この池で蓮や水蓮が見られるそうである。

 歌碑の前には菜の花畑が広がり左手前方に「とびこえ休憩所」がある。

 もう間もなく「飛び越え石」である。

歌碑と菜の花畑ととびこえ休憩所

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアムHP)