●歌は、「いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む」である。
●歌碑は、和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石西側にある。
●歌をみていこう。
◆乞吾駒 早去欲 亦打山 将待妹乎 去而速見牟
(作者未詳 巻十二 三一五四)
≪書き下し≫いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む
(訳)さあ、駒よ、どんどん行っておくれ。国境の真土山を越えて、その名のようにしきりに待っていてくれるあの子に早く逢いたい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)いで 感動詞:①さあ。▽相手を行動に誘ったり、促したりするときに発する語。②どれ。さあ。▽自分が行動を起こすときに発する語。③おやまあ。いやもう。▽感動したり驚いたときに発する語。④いや。さあ。▽疑いや否定の気持ちで発する語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意
(注)上三句は序。「待つ」を起こす。
(注)こそ 終助詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)
写真の歌碑左面は、「いつしかと 待乳の山の桜花 まちてよそに 聞くが悲しき <後撰和歌集 巻十八 一二五五歌>」である。
「飛び越え石」に向かう急な石段の側に説明案内板が建てられている。
次の様に書かれている。
「『まつち』は、大和と紀伊国のさかいの地である。まつち山の西には国境となる落合川の流れがある。その流れが狭まり、『飛び越えの石』とも呼ばれる大岩の窪みを流れている。万葉の時代の旅人は、この岩を跨ぎつつ都の家族や旅先への思いを馳せた。故犬養孝先生は、著書「紀ノ川の万葉」の中でこの地を次のように述べられている。
飛び越え石
こんにちは。草ぼうぼうになった古い小道をくだると土地の古老らが、神代の渡り場と称している落合川(真土川)の渡り場に出る。ふだんは水の少ない涸川だから、大きな石の上をまたいで渡るようになっている。ここがおそらく古代の渡りばであったろう。
白栲ににほふ真土の山川にわが馬なづむ家恋ひらしも (巻七 一一九二)
この川のところで馬が難渋するのも、家人らがこちらを思っているからだろうと郷愁に訴えるのだ。
ものすごい交通量の国道のかげに、ひっそりと古代の谷間が眠っているようである。」
案内板に書かれている歌をみてみよう。
◆白栲尓 丹保布信土之 山川尓 吾馬難 家戀良下
(作者未詳 巻七 一一九二)
≪書き下し≫白栲(しろたへ)ににほふ真土(まつち)の山川(やまがわ)に我(あ)が馬なづむ家恋ふらしも
(訳)白い栲(たえ)の布のように照り映える真土の山を流れる谷川で、私の乗っている馬が行き悩んでいる。あとに残してきた家の者が私を恋い慕っているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。(学研)ここでは①の意
(注)まつちやま【真土山】:奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉)
(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)ここでは①の意
巻七 一一九二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1415)」で紹介している・
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急な下り坂である。歌碑の下、沢の近くには手すり代替のチェーンも付けられている。足元に気を付けながら「飛び越え石」に到着。
「飛び越え石」の場所を尋ね、案内していただいた、子どもたちとお母さんは、何とここまでお付き合いしていただいたのである。
「ここだ、ここだ」と、子供たちは、「飛び越え石」を何度も跨いでいる。
御礼を申し上げ、ここで分かれる。
写真で何度か見て、いつかはと、思っていた飛び越え石が目の前に。岩と岩の狭間を川が流れている。
何人の人が、それぞれの思いを胸にこの狭間を往来したのであろうか。
「飛び越え石」を跨ぎ、大和の国に入る。そこからは山道である。しばらく行くと、説明案内板に「土地の古老らが、神代の渡り場と称している・・・」と書かれていたが、その「神代の渡し」の碑(阪合部旧跡保存会)が建てられていた。
シーンと静まり返り、川の流れの音だけが耳に飛び込んでくる、全く異次元の世界に居るような錯覚にとらわれたのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「飛び越え石説明案内板」