万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1427)―愛知県豊田市上渡刈町 糟目春日大社―万葉集 巻十一 二六三八

●歌は、「梓弓末のはら野に鳥猟する君が弓絃の絶えむと思へや」である。

糟目春日大社「末野原聖蹟」碑(歌はこの背面に刻されている。)

●歌碑は、愛知県豊田市上渡刈町 糟目春日大社にある。

糟目春日大社「末野原聖蹟」碑背面 「(碑文5行目下)「・・・萬葉集ニ載スル所ノ梓弓末之腹野尓鷹田為君之弓食之将絶跡念甕屋ノ歌ハ此ノ地ヲ詠シタルナル可シ・・・」

 

●歌をみていこう。

 

◆梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋

            (作者未詳 巻十一 二六三八)

 

≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のはら野(の)に鳥猟(とがり)する君が弓絃(ゆづる)の絶えむと思へや

 

(訳)末の原野で鷹狩をする我が君の弓の弦が切れることなどないように、二人の仲が切れようなどとはとても思えない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上四句は序。「絶えむと思へや」に対する譬喩。(伊藤脚注)

(注)末(すゑ):和泉(大阪府南部)の陶邑か。(伊藤脚注)

 

 伊藤氏は、「末之腹野」を「陶の原野」と解釈されている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1040)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 事前にストリートビューで確認していた糟目春日大社に到着。

戸刈町の説明案内板「ようこそ糟目春日大社へ」の糟目春日大社由緒に「大宝2年(702年)持統上皇三河国行幸の折り当地にて鷹狩をされました。奉祀されたのが始まりとされ、1300年余と大変由緒があります。又、この地を鳥狩・鳥捕・都賀利・戸苅といい、今日渡刈と書くようになりました。」と書かれている。

 参道石段を上り鳥居をくぐると右手前方に木々に囲まれた「末野原聖蹟」碑が見えてくる。この碑の背面に二六三八歌は刻されている。

「糟目春日大社 配置図」

 歌にある「末之腹野」について、伊藤博氏は「陶(すゑ)の原野」と解されている。一方、糟目春日大社の「末野原聖蹟」は、裏面の碑文に「此ノ地ヲ詠シタル」と書かれているが、同大社の由緒をみても「当地で鷹狩をし・・・鳥狩」というようになったとあり、末野原という呼び方については言及されていない。

 小中学校などの名称に地名を冠していることが多いので検索してみた。

豊田市立末野原中学校」の場合は、「豊田市立末野原中学校(とよたしりつ すえのはらちゅうがっこう)は、愛知県豊田市豊栄町十一丁目にある公立中学校。校名の元となった地名『末野原』は、万葉集にある持統上皇の和歌『梓弓 陶の原野に鳥狩する君が弓弦の絶えむと思へや』に由来する」とある。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 また「豊田市立寿恵野小学校(とよたしりつ すえのしょうがっこう)」を検索してみても「愛知県豊田市鴛鴨町にある公立小学校」(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)とあり名前の由来は特に書かれていなかった。同小学校の沿革に、「1873年明治6年)10月10日 - 鴛鴨村に第2大学区第7中学区第14番小学鴛鴨学校として開校。遍照寺を仮校舎とする。

1886年明治19年) - 尋常小学校鴛鴨学校に改称する。

1889年(明治22年)10月1日 - 渡刈村、鴛鴨村、隣松寺村、永覚新郷が合併し、寿恵野村が発足。

1891年(明治24年) - 寿恵野尋常小学校に改称する」とあり、その後も市町村合併等により名前が変更され、「豊田市立寿恵野小学校」に至る旨が書かれている。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

 いずれにせよ、今の「渡刈町」界隈に持統上皇行幸され、鷹狩をされたであろうと推測はできよう。

 「渡刈聖蹟」とせず「末野原聖蹟」としたかは解明できなかった。しかし歴史の重みは伝わって来る。

 持統上皇が、藤原京を後にしてこの地まで行幸されたと考えるだけでもロマンをかきたてられるのである。

 

 「末野原聖蹟の碑」の後にある手水舎の龍の姿がユニークである。立ち姿である。思わず微笑んでしまった。

 糟目春日神社手水舎の龍の横姿

後姿もかわいらしい

 

 

 

知立市山町御林旧東海道松並木➡豊田市上渡苅町糟目春日大社

 約20分のドライブである。

 神社前の広々とした駐車場には車が1台もなく停める場所にかえって迷ってしまう。

参道左手に説明案内板「ようこそ糟目春日大社へ」が建てられている。

参道石段を上り、鳥居をくぐると、右手前方に木々に囲まれた荘厳な「末野原聖蹟」の碑が目に飛び込んで来る。

 境内をぶらつき次の目的地である三河安城駅を目指したのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「ようこそ糟目春日大社へ」 (戸刈町の説明案内板)