―その1428-
●歌は、「天地と別れし時ゆ己が妻しかぞ離れてあり秋待つ我れは」である。
●歌碑(タイル埋込)は、愛知県安城市 三河安城駅北側舗道(1)にある。
●歌をみていこう。
◆天地等 別之時従 自孋 然叙年而在 金待吾者
(作者未詳 巻十 二〇〇五)
≪書き下し≫天地(あめつち)と別れし時ゆ己(おの)が妻しかぞ離(か)れてあり秋待つ我(わ)れは
(訳)天と地とが別れたはるか遠い時代からずっと、我が妻とこのように別れ別れに暮らしていながら、ひたすら秋が来るのを待っているのだ。この私は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)金:秋(五行説による)
(注の注)五行説(ごぎょうせつ):中国哲学において,万物は木,火,土,水,金の5要素から生成されているとする考え。この五行の変遷順が木火土金水=相生,木金火水土=相勝といい,王朝もこの順に成立すると考えられた。またそれ以外に自然界・人間界にもこの五行をあてはめ(=五行配当),木(春・東・青竜),火(夏・南・朱雀),土(中央・黄),金(秋・西・白虎),水(冬・北・玄武)などとされ,中国古代思想に大きな影響を与えた。(コトバンク 旺文社世界史事典 三訂版)
―その1429―
●歌は、「秋去れば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き」である。
●歌碑(タイル埋込)は、愛知県安城市 三河安城駅北側舗道(2)にある。
●歌をみていこう。
◆秋去者 川霧 天川 河向居而 戀夜多
(作者未詳 巻十 二〇三〇)
≪書き下し≫秋されば川霧(かはぎり)立てる天の川川に向き居て恋ふる夜(よ)ぞ多き
(訳)秋がやって来ると、川霧がしきりに立ちこめる天の川、その天の川に向かって坐(すわ)って、あの方を待ち焦がれる夜が幾晩も幾晩も続いている。(同上)
(注)秋されば:七月一日になったことをいう。待つ織女の思い。(伊藤脚注)
―その1430―
●歌は、「しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬ間に」である。
●歌碑(タイル埋込)は、愛知県安城市 三河安城駅北側舗道(3)にある。
●歌をみていこう。
◆數裳 相不見君矣 天漢 舟出速為 夜不深間
(作者未詳 巻十 二〇四二)
≪書き下し≫しばしばも相見(あひみ)ぬ君を天(あま)の川(がは)舟出(ふなで)早(はや)せよ夜(よ)の更(ふ)けぬ間(ま)に
(訳)そうたびたびお逢いできないあなたなのだから、天の川に一刻も早く舟出をしてやって来て下さい。夜が深くならないうちに。(同上)
(注)しばしば【廔廔】副詞:たびたび。何度も。(学研)
新幹線三河安城駅北側舗道(中央コンコースを出て右側1か所と通りを挟んだ向こう側の舗道に2カ所)に、タイルで歌がはめ込まれている。全て七夕に関するものである。そこで、安城の七夕祭りを検索してみた。
安城市HP「安城七夕祭り」に、「日本には仙台、平塚を始めとしたいくつかの『七夕まつり』があります。しかし、なかでも安城七夕まつりは、竹飾りのストリートが日本一長いと言われ、同様に短冊の数、願いごとに関するイベントの数も日本一であると思われます。これこそが安城七夕まつりの長年にわたる歴史の中で培ってきた財産。そこで2009年から『願いごと、日本一。』をキーワードに、今まで以上に願いごと関連のイベントを充実させました。」と書かれている。
これほどの規模であるとは初めて知ったのである。機会があれば一度は見てみたいものである。
七夕に関しては、山上憶良の一五一八から一五二九歌、題詞「「山上臣憶良七夕歌十二首」<山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)が七夕(たなばた)の歌十二首>がある。
そのうちの一五二七歌をみてみよう、
◆牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 天漢原尓 霧之立波
(山上憶良 巻八 一五二七)
≪書き下し≫彦星(ひこぼし)の妻迎(むか)へ舟(ぶね)漕(こ)ぎ出(づ)らし天(あま)の川原(かはら)に霧(きり)の立てるは
(訳)彦星の妻を迎えに行く舟、その舟が今漕ぎ出したらしい。天の川原に霧がかかっているところから推すと。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その390)」で紹介している。
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大伴家持も、憶良の一五二七から一五二九歌を歌い継いだ歌を詠っている。(伊藤脚注)
こちらもみてみよう。
題詞は、「十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懐一首」<十年の七月の七日の夜に、独り天漢(ああのがは)を仰ぎて、いささかに懐(おもひ)を述ぶる一首>である。
(注)天平十年(738年)
(注)あまのがは 【天の川・天の河・〈天漢〉・〈銀漢〉】銀河系内の無数の恒星が天球の大円に沿って帯状に見えるのを川に見立てたもの。七月七日の七夕の夜、牽牛(けんぎゆう)と織女がこの川を渡って年に一度会うという。ミルキー-ウエー。 (三省堂 大辞林 第三版)
◆多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流
(大伴家持 巻十七 三九〇〇)
≪書き下し≫織女(たなばた)し舟乗(ふなの)りすらしまそ鏡清き月夜(つくよ)に雲立ちわたる
(訳)今しも天の川に、織姫が彦星の迎えの舟に乗って漕ぎ進んでいるらしい。清らかに月の輝くこの晴れた夜に、雲が湧き上がってぐんぐん広がってゆく。((伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)織女し舟乗りすらし:織女が彦星の迎えの舟に乗って漕ぎ渡っているらしい。憶良の一五二七-九に歌い継いだ歌らしい。(伊藤脚注)
左注は、「右一首大伴宿祢家持作」<右の一首は、大伴宿禰家持作る>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その386)」で紹介している。
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糟目春日神社をあとにして三河安城駅に向かう。駅近くのコインパーキングに車を停める。駅周辺をぶらつくが見つけることができない。中央コンコース付近で掃除をしている方に聞いてみた。コンコースを出て右手すぐにあるとのこと。さらに反対側の舗道にもあると教えていただいたのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 旺文社世界史事典 三訂版」
★「安城市HP」