万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1433、1434)―愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P1、P2)―万葉集 巻四 四九六、巻八 一五三二

―その1433―

●歌は、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」である。

愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P1)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌四首」<柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が歌四首>である。

 

◆三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

               (柿本人麻呂 巻四 四九六)

 

≪書き下し≫み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 

(訳)み熊野(くまの)の浦べの浜木綿(はまゆう)の葉が幾重にも重なっているように、心にはあなたのことを幾重にも思っているけれど、じかには逢うことができません。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)み熊野の浦:紀伊半島南部一帯。「み」は美称。

(注)はまゆふ【浜木綿】名詞:浜辺に生える草の名。はまおもとの別名。歌では、葉が幾重にも重なることから「百重(ももへ)」「幾重(いくかさ)ね」などを導く序詞(じよことば)を構成し、また、幾重もの葉が茎を包み隠していることから、幾重にも隔てるもののたとえともされる。よく、熊野(くまの)の景物として詠み込まれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は「心は思へど」の譬喩

 

 万葉集で浜木綿を詠んだ歌はこの四九六歌のみである。

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1187)」で紹介している。

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―その1434―

●歌は、「草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも」である。

 

愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P2)万葉歌碑<プレート>(笠金村)


●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「笠朝臣金村伊香山作歌二首」<笠朝臣金村、伊香山(いかごやま)にして作る歌二首>である。

(注)いかごやま【伊香胡山・伊香山】:滋賀県伊香郡木之本町にある山。歌の名所。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

草枕 客行人毛 往觸者 尓保比奴倍久毛 開流芽子香聞   

       (笠金村 巻八 一五三二)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら)、旅行く人も行き触(ふ)ればにほひぬべくも咲ける萩(はぎ)かも

 

(訳)旅行く人が行ずりに触れでもしたら、着物に色が染まってしまうばかりに、咲き乱れている萩の花よ。(同上)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。 ここでは②の意。(学研)

 

 この歌ならびに一五三三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その403)」で紹介している。歌碑は、伊香山があるとされる長浜市木之本町 長浜市役所木之本支所にある。

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■幡頭神社➡蒲郡市西浦町 万葉の小径■

 幡頭神社から西浦温泉万葉の小径までは、海岸線を30分ほどのドライブである。駐車場に車を停める。万葉の小径の入口はこの駐車場に面している。

 家内もノルディックウォーキングポールを準備、横断歩道を渡り、入口まで来た。

「万葉の小径」入口


 なんと。入口から急な上り階段になっている。結局家内は、ここも車で待機することに。小生は、本日3回目のミニ登山である。小径の傍らに小ぢんまりした歌碑と木製の歌碑プレートが建てられている。

しばらく上ると。万葉の小径まっすぐ、安礼の埼右の分かれ道に。まっすぐ稲村神社を目指す。結構タフなルートである。

万葉の小径まっすぐ、安礼の埼右の分かれ道

 歌碑巡りにこれほどまで体力勝負が必要とは。

 稲村神社に到着。

稲村神社

 神社の参道石段を下る。鳥居の前に「万葉歌碑 安礼の埼」の案内板が建てられている。この案内板は写真に撮ったが、肝心の歌碑の写真を撮り忘れたのである。なんという大失態。

稲村神社鳥居と参道

万葉歌碑「安礼の埼」案内板

 

 家に帰って、写真を整理していて気が付いたのである。ショックである。次に機会があればとしか言いようがない。

 

 三河安城駅の後、実は額田郡幸田町の稲荷神社に行ったのであるが、境内を散策しても歌碑が見つからず、先達のブログの写真のアングルから見てもどうも歌碑が撤去されているようであった。幸田町教育委員会に確認の電話を入れたが、歌碑の担当は生涯学習課であり、今日明日と休暇をとっているとのことであった。なぜかこれ以上追跡する気力が萎えてしまった。知立旧東海道西尾市の最明寺でのロスタイムがひびき、ホテルは豊橋にとっていたので後の予定はパスせざるを得なくなったのである。

 こんなに肉体的、精神的に疲れた、歌碑巡りは初めてであった。

 

 

「万葉の小径」については、西浦観光協会HPに「西浦温泉の小高い山にある、稲村神社に通じる約500mほどの遊歩道。万葉歌人三河湾の美しさを詠んだ歌碑があり、ムラサキシキブ、シラハギなどの万葉の花が咲き誇ります。このことから万葉の小径と呼ばれています。」と紹介されている。

「万葉の小径」案内図

展望デッキ案内板




 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「西浦観光協会HP」