―その1441―
●歌は、「言に出でて言はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも」である。
●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P9)にある。
●歌をみていこう。
◆言出而 云者忌染 朝㒵乃 穂庭開不出 戀為鴨
(作者未詳 巻十 二二七五)
≪書き下し≫言(こと)に出(い)でて言はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出(で)ぬ恋もするかも
(訳)口に出して言っては憚(はばか)り多いので、朝顔の花が表立って咲き出るような、そんな人目に立つそぶりを見せずにひそかに恋い焦がれています。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆゆし 形容詞:①おそれ多い。はばかられる。神聖だ。②不吉だ。忌まわしい。縁起が悪い。③甚だしい。ひととおりでない。ひどい。とんでもない。④すばらしい。りっぱだ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)あさがほの【朝顔の】枕詞:朝顔の花のように、の意で下の語句にかかる。
① 朝顔の花が美しく、人目につきやすいところから、「穂に咲き出づ」につづく。② 朝顔の花が、朝咲いてたちまちしぼんでしまうところから、「はかなし」につづく。③ 「年さえこごと」につづく。かかり方は未詳。一説に末句の「放(さ)く」に「咲く」の意を介してかかるという。また、初句の「わが愛妻」にかかるものが倒置されたともいう。あるいは比喩の句で、「凍(こご)ゆ」の意を表わすとも、稲などにからみつく意を表わすとも、恋人をたとえたものともいう。 ※万葉(8C後)一四・三五〇二「わが愛妻(めづま)人は離(さ)くれど安佐我保能(アサガホノ)年さへこごと吾(わ)は離(さ)かるがへ」(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注の注)枕詞の解説の②は、今の「朝顔」を指しており、万葉集では該当しない。
この歌ならびに「朝顔」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その283)」で紹介している。
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「今の朝顔」の日本への到来は、「奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では『牽牛子(けにごし、けんごし)』と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた。和漢三才図会には4品種が紹介されている。なお、遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もある。この場合、古く万葉集などで『朝顔』と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているとされる。」「日本では薬用よりも観賞用として人気を集めた。」「種子は『牽牛子』(けにごし、けんごし)と呼ばれる生薬として用いられ、日本薬局方にも収録されている。中国の古医書『名医別録』では、牛を牽いて行き交換の謝礼したことが名前の由来とされている。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
―その1442―
●歌は、「うち靡く春来るらし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば」である。
●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P10)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「尾張連歌二首 名闕」<尾張連(をはりのむらじ)が歌二首 名は欠けたり>である。
(注)尾張連:伝未詳。歌は二首のみ。(伊藤脚注)
◆打靡 春来良之 山際 遠木末乃 開徃見者
(尾張連 巻八 一四二二)
≪書き下し≫うち靡く春来るらし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば
(訳)草木が芽を出して靡く春が今しもやって来たらしい。山あいの遠くの梢(こずえ)という梢が次々と咲いてゆくのを見ると。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)うちなびく【打ち靡く】[一]自動詞:①(草・髪などが)なびく。②(人が)横になる。横たわる。③心が、ある方になびく。(ア)慕う。(イ)服従する。 ※「うち」は接頭語。
[二]他動詞:服従させる。 ※「うち」は接頭語。
(注の注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)こぬれ【木末】名詞:木の枝の先端。こずえ。 ※「こ(木)のうれ(末)」の変化した語。上代語(学研)
(注)山の際:山と山の合い間。(伊藤脚注)
この歌ならびに「うち靡く」で始まる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1043)」で紹介している。
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もう一首の方もみてみよう。
◆春山之 開乃乎為里尓 春菜採 妹之白紐 見九四与四門
(尾張連 巻八 一四二一)
≪書き下し≫春山の咲きのをゐりに春菜(はるな)摘(つ)む妹(いも)が白紐(しらひも)見らくしよしも
(訳)春山の花の咲き乱れているあたりで春菜を摘んでいる子、その子のくっきりした白紐を見るのはなかなかいい気持ちだ。(同上)
(注)をゐり=ををり【撓り】名詞:花がたくさん咲くなどして、枝がたわみ曲がること。(学研)
(注の注)ををる【撓る】自動詞:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。 ※上代語。(学研)
「花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである」ことを「ふふむ 【含む】(自動詞)」(学研)というが、「ををる」にしろ「ふふむ」にしろ何となく微笑ましい響きのする言葉である。
「ををる」を詠み込んだ歌をみてみよう。
◆八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益ゝ尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通
(山部赤人 巻六 九二三)
≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠(おをかきごも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやしくしくに この川は 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ
(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が高々とお造りになった吉野の宮、この宮は、幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、川の流れの清らかな河内である。春の頃には山に花が枝もたわわに咲き乱れ、秋ともなれば川面一面に霧が立ちわたる。その山の幾重にも重なるように幾度(いくたび)も幾度も、この川の流れの絶えぬように絶えることなく、大君に仕える大宮人はいつの世にも変わることなくここに通うことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)たかしらす【高知らす】分類連語:立派に造り営みなさる。 ⇒なりたち:動詞「たかしる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」(学研)
(注)たたなづく【畳なづく】分類枕詞:①幾重にも重なっている意で、「青垣」「青垣山」にかかる。②「柔肌(にきはだ)」にかかる。かかる理由は未詳。 ⇒参考:(1)①②ともに枕詞(まくらことば)ではなく、普通の動詞とみる説もある。(2)②の歌(巻二 一九四歌)は、「柔肌」にかかる『万葉集』唯一の例。(学研)
(注)こもる【籠る・隠る】自動詞:①入る。囲まれている。包まれている。②閉じこもる。引きこもる。③隠れる。ひそむ。④寺社に泊りこむ。参籠(さんろう)する。(学研)ここでは③の意
(注)かわなみ【川並】:川のたたづまい。(コトバンク 大辞林第3版)
(注)いやしくしくに:[副]いよいよしきりに。(コトバンク デジタル大辞泉)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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◆春去者 乎呼理尓乎呼里 鴬之 鳴吾嶋曽 不息通為
(古歌 巻六 一〇一二)
≪書き下し≫春さればををりにををり鴬の鳴く我が山斎ぞやまず通はせ
(訳)春ともなれば、枝も撓(たわ)むばかりに梅の花が咲き乱れ、鶯が来て鳴く我が家の庭園です。その時になったら、欠かさず通って来て下さい。(同上)
(注)「ををる」は撓み曲がる意。主語は前歌(一〇一一歌)の「梅」であろう。(伊藤脚注)
◆春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨
(作者未詳 巻十三 三二六六)
≪書き下し≫春されば 花咲ををり 秋づけば 丹(に)のほにもみつ 味酒(うまさけ)を 神(かむ)なび山の 帯(おび)にせる 明日香(あすか)の川の 早き瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)の うち靡(なび)き 心は寄りて 朝露(あさつゆ)の 消(け)なば消(け)ぬべく 恋ひしくも しるくも逢(あ)へる 隠(こも)り妻(づま)かも
(訳)春がやって来ると花が枝もたわわに咲き乱れ、秋がになると木の葉がまっ赤に色づく、その神なび山が帯にしている明日香川、この川の早瀬の中に生い茂る玉藻が、流れのままに靡くように、心はひたすら靡き寄り、朝霧がはかなく消えるように、身も消え果てるなら消え果ててしまえとばかりに、恋い焦がれた甲斐があって、今こうしてやっと逢うこと叶った我が忍び妻よ、ああ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)にのほ【丹の穂】:赤い色の目立つこと。赤くおもてにあらわれること。(広辞苑無料検索 広辞苑)
(注)「春されば・・・生ふる玉藻の」が序。「うち靡き」を起こす。(伊藤脚注)
(注)しるく【著く】[副]《形容詞「しる(著)し」の連用形から》:はっきり見えるさま。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」