万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1447,1448)―愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P15)―万葉集 巻八 一四四四、巻五 八〇二

―その1447―

●歌は、「山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛なりけり」である。

愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P15)万葉歌碑<プレート>(高田女王)

●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P15)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利

      (高田女王 巻八 一四四四)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)の咲きたる野辺(のへ)のつほすみれこの春の雨に盛(さか)りなりけり

 

(訳)山吹の咲いている野辺のつぼすみれ、このすみれは、この春の雨にあって、今が真っ盛りだ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つぼすみれ【壺菫/坪菫/菫=菜】:① スミレ科の多年草。山野に生え、高さ10〜20センチ。葉は腎臓形で柄が長い。春、花柄を出し、紫色のすじのある白い花をつける。こまのつめ。にょいすみれ。《季 春》② 襲(かさね)の色目の名。表は紫、裏は薄青。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは①に意

 

つぼすみれ 野草図鑑⑤ すみれの巻 保育社から引用させていただきました。

 「すみれ」といえばあまりにもポピュラーなので、今までスルーしていたが、改めて調べてみると、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)の「すみれ」の項に、「スミレは、山野に自生するスミレ科の多年草で、花の形が墨入れ(隅壺)に似ているところから、スミレと名付けられたという。わが国は、世界の中でも有数の“すみれ王国”で、基本的な種が約50種、そのほかにも多くの亜種、変種がある。」と書かれている。

 現物を見たかと、考えてみると記憶がない。恥ずかしい限りである。

 「野草図鑑 長田武正 著/長田喜美子 写真 保育社」によると、スミレのなかまは、花期が終わって夏に入ると、急に大きな葉を出すようになるものが多い。大きいだけでなく、まるで別のもののように形も変わる・・・これを夏葉、春葉と呼んで区別する。」と書かれている。蝶には、春型、夏型があるのは知っていたが、スミレの仲間にも葉の形が変わるとは驚きであった。

 スミレあり、ツボスミレあり、タチツボスミレありと・・・。

 いやはや勉強不足でした。

 

 艶やかな山吹から一気に地味なすみれにフォーカスしたこの歌の美しさが少しわかったような気がした。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1317)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その1448―

●歌は、「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより・・・」である。

愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P16)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P16)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

      (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

 川合康三氏は、「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」(中西 進 編著 角川新書)のなかで、「『序』では釈迦ですら、『子を愛する心有り。況(いは)むや、世間の蒼生(さうせい)、誰(たれ)か子を愛せざらめや』と、子供への愛が人としてやむにやまれぬ自然の感情であることを記す。弁解めいたこの『序』の背後には、子への愛情の煩悩の一つに教える仏教の教えがあり、憶良はそれを敢えて振り切って、子への思いを奔出させる。・・・憶良のように子供への愛情は人の必然であるとことさら語ることもない。『瓜食めば』の歌がうたうのは、理を超えて湧き起る子への思いである。わけもなく生ずる愛、それは人として自然の情であると憶良は言いたいかに思われる。」と書いておられる。

 

この歌ならびに序および八〇三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

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 中国文学を背景とした憶良の人間、社会、哲学など森羅万象に鋭い視点で抉り出す憶良のすごさに驚きを隠しえない。歌はそれこそ氷山の一角であり、その深層まで解きほぐさないと歌を解しえない。

  それでいて、八八〇から八八二歌の題詞のように「敢(あ)えて私懐(しくわい)を布(の)ぶる歌三首」のように、旅人に早く奈良の都に戻して下さいと頼む人間味溢れる歌や、三三七歌の「宴を罷(まか)る歌」など微笑ましく親しみを感じさせる歌などその多様性・柔軟性にも驚かされる。

 

 八八〇から八八二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その902)」で紹介している。

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 三三七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「野草図鑑」 長田武正 著/長田喜美子 写真 (保育社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉