万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1461)―愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(9)―万葉集 巻七 一二三六

●歌は、「夢のみに継ぎて見えつつ高島の磯越す波のしくしく思ほゆ」である。

愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(9)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(9)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆夢耳 継而所見乍 竹嶋之 越礒波之 敷布所念

       (作者未詳 巻七 一二三六)

 

≪書き下し>夢(いめ)のみに継(つ)ぎて見えつつ高島(たかしま)の礒(いそ)越す波のしくしく思ほゆ

                           

(訳)夢の中でばかり絶えず見えるだけなので、高島の磯を越す波のように、あの子のことがひっきりなしに思われる。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)高島:滋賀県高島市か。(伊藤脚注)

(注)「高島(たかしま)の礒(いそ)越す波の」は序。「しくしく」を起こす。(伊藤脚注)

(注)つぐ【継ぐ・続ぐ】他動詞①絶えないようにする。続ける。保ち続ける。②受け伝える。伝承する。継承する。③跡を受ける。相続する。◇「嗣ぐ」とも書く。④つなぎ合わせる。繕う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)しくしく【頻く頻く】[副]《動詞「し(頻)く」を重ねたものから》:絶え間なく。しきりに。(weblio古語辞典 デジタル大辞泉

 

 一二三六から一二三九歌の四首について、伊藤博氏は一二三九歌の脚注で、「一二三六からの四首、旅宿りして波を見聞する一まとまり。第一、三首が望郷歌、第二、四首が旅先の岸辺を思ったり見たりする歌。」と書かれている。

 

 他の三首もみてみよう。

 

◆静母 岸者波者 縁家留香 此屋通 聞乍居者

       (作者未詳 巻七 一二三七)

 

≪書き下し≫静(しづ)けくも岸には波は寄せけるかこれの屋(や)通し聞きつつ居(を)れば

 

(訳)波は何とまあ静かに岸辺にうち寄せていることか。この旅寝の壁越しに耳を澄まして聞いていると。(同上)

 

 

◆竹嶋乃 阿戸白波者 動友 吾家思 五百入鉇染

       (作者未詳 巻七 一二三八)

 

≪書き下し≫高島(たかしま)の安曇(あど)白波(しらなみ)は騒(さわ)けども我(わ)れは家思ふ廬(いほ)り悲しみ

 

(訳)高島の安曇川に立つ白波は騒がしいけれども、私はただ一筋に家の妻を思っている。旅の仮寝の床の悲しさに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)安曇:滋賀県高島市安曇川町を流れる川。

(注)いほり【庵・廬】名詞:「いほ(庵)」に同じ。

(注の注)いほ【庵・廬】名詞:①仮小屋。▽農作業のために、草木などで造った。②草庵(そうあん)。▽僧や世捨て人の仮ずまい。自分の家をへりくだってもいう。(学研)ここでは①の意

 

 

◆大海之 礒本由須理 立波之 将依念有 濱之浄奚久

       (作者未詳 巻七 一二三九)

 

≪書き下し≫大海(おほうみ)の礒(いそ)もと揺(ゆす)り立つ波の寄せむと思へる浜の清(きよ)けく

 

(訳)大海原の岩礁の根元を揺さぶって立つ波が、うち寄せようとしている浜の、何とまあ清らかなことか。(同上)

 

 

 

 巻七 一二三八歌は、柿本人麻呂の一三三歌をトレースしたのではないかと思える。歌をみてみよう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(学研)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

 

 並べてみるとよくわかるのである。

◆笹の葉はみ山もさやにさやげども我れは妹思ふ別れ来ぬれば(一三三歌)

◆高島の安曇白波は  さわけども我れは家思ふ廬り悲しみ(一二三八歌)

 

 一二三八ならびに一三三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1272)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 この稿の歌碑紹介で、西浦温泉万葉の小径シリーズは終わりである。

 

 11日の歌碑巡りは、グリーンにオンしてもパターにてこずりなかなかホールアウトできない小生のゴルフみたいなところが多かった。特に最明寺では、歌碑を見つけるのに、裏山を頂上まで上るというハプニング的ロスタイムのお蔭で予定時間を大幅に上回ってしまった。

 最明寺の歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1431)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 ホテルは豊橋にとっている。予定では、西浦温泉万葉の小径の後は、豊川市で4カ所ほど巡ることにしていたが、やむなくパスすることにした。

 

 万葉歌碑巡りはなかなか計画通りにはいかないものである。しかし万葉歌碑は万葉集を母体としているのでその魅力に引き込まれてしまう。苦労して歌碑に巡り合った瞬間にそれまでの苦労が不思議と消え、喜びに転じているのである。

 万葉集よ、そして万葉歌碑の魔力よ・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞典 デジタル大辞泉