万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1462)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(浅間山)―万葉集 巻十四 三四四八

●歌は、「花散らふこの向つ峰の乎那の峰のひじにつくまで君が代もがも」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(浅間山)万葉歌碑(作者未詳)

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(浅間山)万葉歌碑の副碑

●歌碑は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(浅間山)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆波奈治良布 己能牟可都乎乃 乎那能乎能 比自尓都久麻提 伎美我与母賀母

       (作者未詳 巻十四 三四四八)

 

≪書き下し≫花散(はなぢ)らふこの向(むか)つ峰(を)の乎那(をな)の峰(を)のひじにつくまで君が代(よ)もがも

 

(訳)花散り紛う真向いの丘、この乎那(をな)の丘が泥に漬かるのちの世までもずっと、我が君の命があってくれたらなあ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ひじ:ヒヂ(泥)の訛りか。(伊藤脚注)

(注の注)ひじ【洲】〘名〙 洲(す)。[補注]「ひし」との違いについては、上代東国方言(「ひじ」)と九州大隅地方の方言(「ひし」)の違いかとする説や、万葉例の「ひじに」の「に」によって「ひし」が連濁したものかとする説などがある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 「令和版『はままつ万葉歌碑・故地マップ』(制作:浜松市)」には、この歌の大意として、「この向かいの乎那の峰の花が散っている。花の命は短くとも、あの峰が湖の中州に着くほどに長く延びているように、あなたも長く生きてくださいますように。」と書かれている。

 浜名湖奥浜名湖)に隣接する乎那の峰や歌の清らかさを考えると、「ひじ」は「洲」というご当地解釈に軍配が上がるように思える。

 

 浜松万葉歌碑巡りの最初の歌碑が「巻十四 三四四八」である。ブログでも東歌はこれまでも紹介してきたが、初のご当地の「東歌」である。

 万葉集巻十四「東歌」二三八首は、国別分類されている「勘国歌」九十五首と国別分類されていない「未勘国歌」一四三首に分けられている。勘国歌は遠江信濃以東である。

 これは「防人歌」の国別分類と合致している。

 巻十四の巻末歌三五七七歌の左注に「以前歌詞土山川之名也」<以前(さき)の歌詞は、(いまだ)知土山川の名を(かむが)へ知ること得ず>とあり、以前(さき)の一四三首(三四三八から三五七七歌)を「未勘国歌」と称している。

 そして「三河国」が含まれていないことに関して、加藤静雄氏は、その著「万葉集東歌論」の中で、持統上皇三河行幸との関連を書かれている。壬申の乱において三河の兵が尾張の兵とともに戦ったので、その論功行賞的意味合いもあり、持統上皇は老骨に鞭打って三河行幸を行なったという。三河から帰京して一か月後に没していることからも、上皇にとって生前に果たしておきたかったことであったのであろう。

 三河国が防人差遣の国に入っていない理由は、壬申の乱に於いて尾張の兵と共に戦った実績が評価されたからである。壬申の乱で功績のあった国は防人を派遣しなくてもよいという特権が与えられたと考えられるのである。

 遠江信濃ラインは壬申の乱の影響を受けて成立したのであろう。

 

 持統上皇三河行幸についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1427)」でも紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

乎那の峯(おなのみね)について、「浜名湖リゾート通信」に次のように書かれている。

「『万葉集』に収められた歌の舞台にもなった乎那の峯(おなのみね)では、1月下旬になると、静岡県天然記念物にも指定されている『マンサク』が奥浜名湖に春を告げるように咲き始めます。黄色い糸のような花びらをもつ『マンサク』は、春になると、どの花よりも早く咲きはじめることから(まず咲く→マズサク→マンサク)この名前が付いたとも言われています・・・乎那の峯の『マンサク』は日本に自生するものとしては、南限にあるとされる、とっても珍しいもので、樹齢100年以上、高さは5mにもなります。満開になると山が黄色に染まります。

 

 「マンサク」については、「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)に、「マンサクは冬の名残のある野山などで、木々の芽吹きも始まらない季節に、黄色の花を咲かせ、いち早く春の訪れを告げる花木です。花がよく咲けば豊作、花が少なければ不作など、稲の作柄を占う植物として古くから人との深いつながりをもっていました。そこから満作の名がついたとも、開花期が早いことから『まず咲く』や『真っ先』が変化したともいわれています。(後略)」と書かれている。

「マンサク」 「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)より引用させていただきました。

 

 4月12日の最初の訪問地は「乎那の峰(浅間山)」である。前日思いがけなく最明寺の裏山、幡豆神社、西浦町・万葉の小径とミニ登山を三回も強いられたものであるから足腰が少し痛く身体も重く感じる。

 ここ乎那の峰の歌碑も山頂付近にある。

「乎那の峯」案内図

 駐車場に車を停め「乎那の峯 天然記念物 鵺代(ぬえしろ)のまんさく群落」の標識に従って入口と思われる所から上り始める。麓近くの休憩所まででも結構な山道である。家内もここまではノルディックウォーキングポールを使って頑張って上って来たが、限界だという。休憩所で待っていてもらうことにし歌碑を目指して単独ミニ登山である。三ケ日桜がまだ少し楽しめた。

 山腹途中の蕨がまるでジェラシックパークさながらである。

 山道のあちこちに白いアクリル板に手書きされた歌碑プレートがある。しかしかなり破損している。自然劣化によるものではない。心ない人の仕業であろう。

 これまでもこのような歌碑プレートを数多く見てきたが、どこででも悲しい出合いが多いのは残念である。

悲しい現実


 この手の植物に関連した歌碑プレートの歌は、どうしても重複することが多いが、ご当地の特色も感じることもできるので、できるだけ撮影し、ブログでも紹介していくことにしている。

 ようやく山頂近くの歌碑にたどり着いたのである。そこからもう少し行けば休憩所があり浜名湖の遠望が見られるようであるが、家内を待たせている以上、ここから引き返えしたのである。

 

 前日に引き続き4回目のミニ登山は、結構身体にこたえた。後は無理をしないように予定をこなして行くだけである。

 万葉歌碑万歳である。

 

 浜松市発行の「令和版『はままつ万葉歌碑・故地マップ』」は、浜松市内の万葉歌碑巡りには欠かせない優れものである。事前に入手されておくことをお勧めいたします。



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「浜名湖リゾート通信」

★「令和版『はままつ万葉歌碑・故地マップ』( 制作:浜松市)」

 

※20230629静岡県浜松市に訂正